蔵造りの建物で営む手織工房
JR東京駅から山形新幹線で約2時間35分。「かみのやま温泉」という駅名の通り、奥羽三楽郷がある山形県上山市に到着します。スキーやスノーボードで有名な蔵王スキー場までは車で30分と、観光客が訪れるまちです。
温泉やスキー場のほか、お城があります。1535年に武衛義忠が築いたと伝えられる上山城は1982年に再建され、現在は郷土歴史資料館として利用されています。かつて最上氏・山形城の支配下にあり、最南端の支城としてたびたび、米沢の伊達氏や上杉氏との攻防の舞台となったのだそう。
そんなまちのシンボルである上山城から徒歩3分の場所に、城下町を感じる蔵造りの建物があります。それが今回弟子を募集する手織工房「棉屋(めんや)」です。
棉屋を創業し、手織り作家として活動する渡邉政子さんは、1995年に公務員を退職して手織り作家に転身。以来、約30年にわたり手織作家として衣服やバックなどを製造してきました。自身も82歳になり、誰かに技術を受け継いでほしいと考えるようになりました。技術はもちろん、建物や織機を受け継ぎたい人がいるのであれば、弟子として教えたいと考えています。
天然染色と古布を活かした織り方が特徴
渡邉さんが手織作家に転身したきっかけは、趣味の登山でした。
「登山を通じて自然の素材や色を組み合わせて表現できることがないかと考えていたんです。1年に1回、五倍子染(ふしぞめ)や柿渋染など天然染料で染色しています。自然でやさしい色合いを楽しんでほしいという思いで商品を作っています」
長野での細工教室や機織りの体験入学の経験を経て、手織りが自分に合うと感じ、京都にある学校へ入学、合計4年間通って手織りを習得したという渡邉さん。1995年、54歳の時に退職し、1997年に手織工房「棉屋」を立ち上げて作家活動をはじめました。
渡邉さんの作品の大きな特徴は、自ら染めた経糸(たていと)に、不要となった着物などの古布を裂き、生まれた緯糸(よこいと)を合わせて織り上げる「裂織(さきおり)」という手法です。江戸時代に寒冷な気候により綿や絹などの栽培が難しい東北地方で裂織が生まれたと言われています。
捨てられてしまうはずだった古布の風合いを天然染色した糸と組み合わせ、衣服にリメイクしたり、バッグを仕立てたり、「伝統的アップサイクル」とでもいうような技術です。
「裂織の『ものを大切にする』という精神を伝えたいと思ってこれまで向き合ってきました。古い布を組み合わせることで、織物を通じて昔と今がつながることができると思っています。近年、SDGsという動きが世界的に出てきていますが、それにつながるのではないかと思うんです」
生徒仲間と一緒に学べる環境
2017年に上山市のこの場所へ移転し、蔵造りの建物を改修。店内には織機が3つ並ぶ製作スペースや、作った作品が並ぶ販売スペースが広がっています。店舗で直接お客様対応をしており、空いた時間で製造や商品開発をしています。
お客様との関わりを大切にしている一方、1つひとつ丁寧に手織りで製造していることから、商品完成までに時間がかかり大量生産ができないことや、値段が高価になることが課題だといいます。自分なりの織り方を確立させ、効率よく取り組むことが必要になるかもしれません。
1日の流れは、9時半頃までに出勤し、10時に開店、お客様対応や商品づくりをして15時に閉店・退勤という流れを想定しています。自分で製造した商品が売れた場合は、諸手数料を差し引いた売上を受け取ることができます。技術の承継までは1年から3年を想定していますが、他の仕事との掛け持ちもしながら取り組むことが現実的だと思います。
弟子入りする方には、ゆくゆくはこうした店舗販売などの事業も引き継いでもらえたらと渡邉さんは考えています。また、弟子入りした際には、渡邉さんを含めて3人と一緒に働くことになります。
「2人のうちの1人は、後継者としてではなく委託者として活動しています。もう1人は弟子のような存在です。私の『後継者』としては今回募集する方が初めてとなります」
数年間は渡邉さんのもとで技術を学びながら、渡邉さんが大切にしてきた「ものを大切にする精神」に自分らしさを加え、ものづくりに挑戦してみませんか。