郡上市で数少ないフェルト印刷所
デザインした版の穴からインクを落とし、布などの生地に柄をつける、シルクスクリーン印刷。Tシャツやトートバッグなどの布製品や、木やビニール、フェルトまで、水と空気以外なら何にでも印刷できるとも言われています。
シルクスクリーン印刷の発祥の地と言われているのが、岐阜県郡上市。
戦後、新しい印刷技術として郡上市でシルクスクリーン印刷の工業印刷機が開発され、日本全国に広まったそうです。
そんなシルクスクリーン印刷発祥の地で、25年以上「スクリーン可児(かに)」を営んできた、可児光さん。
スクリーン印刷の会社に勤めたのち、独立して仕事をやりたいと創業。それ以来、ひとりで経営してきました。
これまで、車検証入れの名入れや、習字の下敷きにマス目をつけたり、ビニール袋に印刷をしたりと、多様な業種に携わってきたそうです。いまでは郡上市で数少ないフェルト印刷ができる印刷所です。
なかでも印象に残っているのは、愛知県名古屋市で開催された名古屋女子国際マラソン(現在はマラソンフェスティバル・ナゴヤ・愛知)で使われるゼッケンを印刷したときのこと。何万枚と印刷をしたそうで、テレビに映る選手たちが着用するゼッケンを見たときには、やりがいを感じたといいます。
身近な日用品から、マラソン選手が着用するようなゼッケンまで、仕事を通して幅広い分野に携わってきました。
いっぽうで、スクリーン印刷の難しさは、指定された色調を出せないときだと話します。
油性と水性とのインクの違いや、生地の素材によっても色が変化するのだそう。
納得できる色を出す技術を習得するまでに時間はかかりますが、試行錯誤しながらものづくりをすることは、スクリーン印刷のおもしろさだといいます。
シルクスクリーン印刷の技術を継いでほしい
譲渡しようと思った理由は、「シルクスクリーン印刷の技術を伝承したいから」。
後継者不足のため店をたたんだ同業者もいたそうで、可児さんも1、2年の間に廃業することも検討していました。
しかし、郡上から日本中に広まった印刷技術を途絶えさせたくないという一心で、継業バンクを通して後継者を募集することを決めたそうです。
現在も継続的に仕事の発注はあり、取引先は引き継がれますが、新規の取引を断るなど廃業に向けた事業の整理をしていたため、継業後は、新たな取引先の開拓やネットでの受注などが必要になります。
印刷をとりまく環境は日々変化しているものの、IT技術と掛け合わせるなど新しい視点を取り入れれば、事業を拡大する可能性はあるのではないかと話します。
継ぎたい人がいた場合は、座学で学んでもらうより、現地に足を運んでもらい実際に印刷をして学んでほしいそう。
「覚えるのには時間がかかると思いますので、しっかりとしたマニュアルはないけれど、付き添って教えるつもりです」
可児さんが継いでもらうことを想定して話す際、「わたしも一緒に勉強をしていきたい」と話していたのが印象的でした。
学び続ける姿勢を持ち、研究心が旺盛な人に、郡上で受け継がれてきたスクリーン印刷の技術を継業してほしいと思います。