一度は途絶えた伝統工芸

「八丈織」とは、草木染めの絹織物のことを指し、八丈島で生産される黄八丈が最も有名ですが、八丈島だけで生産されるものではなく、古くから日本各地で生産されていきました。
「秋田八丈」は、江戸時代後期(1800年)頃に、秋田藩が、産業振興のため、染色・機織の指導者として招いた蓼沼甚平(たてぬまじんぺい)が、秋田に自生する「ハマナス」の根を染料として、独特の風合いに染め上げる技法を開発して評判となったのがはじまりとされています。黄八丈に比べると、光沢度合いが少し低く、渋みがあるのが特徴です。

1895年頃に最盛期を迎えましたが、昭和初期には秋田八丈を操業する事業者は秋田県で一軒のみとなり、2003年にその最後の一軒「滑川機操所」が廃業したことで、一時はその生産が途絶えてしまいます。
現在、秋田県内はもちろん、日本で唯一の秋田八丈の生産者である奈良田登志子さんは、滑川機操所の元従業員。機操所の機材を引き継ぎ、2006年に北秋田市内(旧鷹巣町)に「秋田八丈ことむ工房」を創業しました。
たったひとりに受け継がれた無形の資産

ことむ工房では、絹糸の染色から機織りを奈良田さんひとりで行っています。県内の草木を中心とした染料で、絹糸を染め、それを組み合わせて織り上げます。その工程のひとつひとつは、滑川機操所で働きながら先代から見様見真似で学んできた無形の資産です。


中でも「一番難しい」と奈良田さんが言うのが、染め。
天然の草木での染色は化学染料のように綺麗には染まらず、気温によってもその風合いが変わります。色ムラなく染め上げるには、長年の経験値が必要で、一色染め上げるのにかかる期間は約一週間。その間は工房に泊まり込みます。
そうして染め上げた絹糸の組み合わせで織られる秋田八丈の柄は無限大。染め上げから織り上がるまでに3ヶ月かかり、すべてが手作業によってつくられる本物の一点物です。
この繊細な技術と秋田のハマナスの根で表現される秋田八丈独特の色彩、布面に畝のような凹凸を現す「畝織(うねおり)」は、秋田県指定無形文化財に指定されています。秋田八丈の反物で作られたネクタイや名刺入れなどは、ふるさと納税の返礼品だけでなく、秋田県知事や行政職員の勝負アイテムとしても愛用される、秋田を代表する伝統工芸品なのです。

何としても継ぎたいという気持ちが必要

ことむ工房にこれまで継ぎ手がいなかったと言えば、そんなことはありません。「この技術を継ぎたい」と弟子志願をする人はこれまでもありましたが、みな難しい状況となりました。
「何としても継ぎたい、この技術・伝統工芸を残したい、という強い気持ちがないと長続きしない」と、気さくな奈良田さんも承継問題の話題には厳しい顔を覗かせます。
すでに生産者がひとりとなってしまった秋田八丈は希少性が高く、県や市の支援も望める一方で、技術の習得に時間を要するのはもちろん、人口減や和装の機会の減少、原材料高などの逆風の中、製品づくりだけでなく、新たな需要を生み出していくことも必要です。
奈良田さんも商品開発やマーケティング、ネット販売などには手が回っていないのが現状だといいます。
日本全国の多くの伝統工芸と同様の課題を抱える秋田八丈ですが、それでも秋田でつむいだものづくりの歴史と技術に価値と可能性を感じ、秋田八丈の生産者として自己実現を目指しながら承継と発展に挑戦してくれる方を北秋田市は全力でバックアップします。
