城崎で受け継がれた伝統技術
兵庫県伝統的工芸品、および豊岡市無形文化財に指定されている「城崎麦わら細工」の歴史は約300年。江戸時代に城崎を訪れた湯治客が、宿賃の足しにと麦わらを赤・青・黄と色とりどりに染め、土産物として販売したことがはじまりと言われています。
その後、城崎の工芸品として発展。江戸時代後期には、ドイツ人医師シーボルトが資料として持ち帰り、海を超えて城崎の職人の技術が知れ渡りました。
日本全国に様々な伝統工芸品、郷土民芸品がありますが、「城崎麦わら細工」は、麦づくりから染色、糊づくり、その原材料、工程のすべてを職人が行う手仕事です。
文化人が愛した「城崎温泉」
城崎温泉は、平安時代から知られる長い歴史を持ち、志賀直哉(「城の崎にて」の著者)等、多くの文化人に愛されてきた兵庫県を代表する温泉街です。
まちの中心には川が流れ、趣ある温泉宿が軒を連ねる情緒豊かなまちなみを残し、「外湯」と呼ばれる7つの公衆浴場を浴衣と下駄でめぐる温泉客も風景の一部として溶け込みます。
城崎麦わら細工は、この温泉文化と共に受け継がれてきました。
城崎の文化と技術を残さなければ
人々がハレの日を過ごしてきた城崎で発展した城崎麦わら細工でしたが、多くの伝統工芸がそうであるように、後継者不足により、その存続に危機感を募らせています。
「桐箱の細工が一番難しいんですが、いまそれができるのは4人ほどです」
今回、弟子を募集する神谷俊彰さんは、麦わら細工職人の三代目。27歳で職人の世界に入り、技術を磨いて35歳で独り立ちしました。同世代で技術を学んだ人はいたものの、職人として専業で麦わら細工に取り組んでいる人はごくわずか、技術の承継が急がれています。
城崎麦わら細工の材料は、原材料の麦、それを貼り合わせる糊。麦わらを切って、糊で貼り合わせるシンプルな工程で、様々な美しい模様や世界を表現します。
「僕もやったことがない柄があります」と神谷さんが言うほど、その世界は奥深く、技術の習得には限りがありません。だからこそ、いま承継しなれば技術や図柄が失われてしまうかもしれないのです。
城崎麦わら細工は、原材料の麦づくりからはじまります。
昔は、岡山県から仕入れていましたが、麦農家の減少から豊岡の農家に栽培をお願いするも、豊岡の農家も高齢化が進み、2020年から自分たちで栽培するようになりました。
10月末に種まきをし、6月に手刈りして、天日干し。麦わら細工振興協会と共同で2a、自分たちで3a(1a=100平方メートル)を手入れしながら、1年間につかう分を毎年育てています。
収穫した麦わらは、職人自ら染色。染色した麦わらは湿らせて、一本ずつ開いていきます。
麦わらを貼る糊も自分たちでつくります。材料は家庭で食べるお米。それを練って丁度いい粘度にしていきます。
「これが難しくて、最初のうちは、手がお米だらけでベタベタになってしまう。この習得だけでも早い人で数ヶ月。遅い人だと1年くらいかかってしまいます」と神谷さん。
糊づくりの習得と同じく、習い始めで苦労するのが刃物研ぎ。麦わら細工の繊細な世界を表現するために刃物の切れ味など、細かい触感を自分で調整する必要があります。「細工」前にも、習得しなければならない技術がたくさんあるのです。
2020年に神谷さんに弟子入りした今井幸子さんは東京都出身。お母さんと訪れた城崎の温泉宿で、コウノトリの額入り色紙を見たのが麦わら細工との出会いでした。
「最初は絵かと思ったんですが、宿の人に『これは麦わらでできているんですよ』と教えられて、ビックリしました。そのあと、神谷さんの工房を訪ねて麦わら細工体験をして、これを一生の仕事にしたいと思ったんです」
その後、城崎温泉のまちも気に入った今井さんは移住を決意。地域おこし協力隊として伝統技術承継に取り組むことになりました。
「まだ刃物を研ぐのがうまくできないんです」という今井さんでしたが、流れるような手付きで糊を練り、小物入れに丁寧に麦わらを貼っていきます。
麦わら細工の魅力について、神谷さんと今井さんに尋ねると、「麦のすごさ」だと口を揃えます。
「わたしたちは、麦のすごさに助けられているんです。麦の魅力を引き出すことが、麦わら細工の一番の醍醐味です」
原材料の麦づくりから手がけるからこそ、麦の力を感じることができるのかもしれません。
城崎で受け継がれた歴史と繊細な魅力を持つ「城崎麦わら細工」は、その未来を紡いでくれる新しいつくり手を募集しています。
生産性が求められる時代において、材料の一つひとつを手づくりするこの仕事は非効率極まりないかもしれません。しかしだからこそ「麦のすごさ」を感じ、「一生の仕事にしたい」と思える、ここにしかないあなたの天職になるかもしれません。