江戸時代に5万8千石の城下町として栄えた出石(豊岡市出石町)は、別名「但馬の小京都」と呼ばれ、昔ながらの町家のたたずまいや史跡が点在するまちの中心部は国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。なかでも札幌に次ぎ国内で2番目に古い時計台と言われる「辰鼓楼(しんころう)」は出石のシンボルで、観光客が立ち止まって写真を撮る姿を見かけます。
地元住民に親しまれてきた
時計台まで徒歩5分の場所にある料理店「葵」は、寿司、会席、仕出しを手がける、地域の方々に親しまれてきたお店です。創業から42年を迎えるタイミングで、体力面に限界を感じたことから、店舗を活用してもらえるひとを募集することに決めました。
オーナーであり自身も厨房に立つ水嶋通さんは、出石で生まれ育ちました。洋食シェフを目指して大阪の調理師専門学校に進学し、寿司屋でアルバイトをしながら学校に通っていたそうです。
「専門学校を卒業後、寿司屋で6年ほど働いていた頃、兄から一緒に店をやらないかと誘われたんです。「葵」というお店の名前は、兄が当時働いていたレストランの名前からとりました。城下町に合った屋号をつけたつもりです」
寿司屋を連想しないような店名にした理由は、お寿司以外にも幅広い料理を提供して「葵に行けばなんでも食べられる」ことを目指していたから。お店のメニューは地域でとれた食材を使うことにこだわっているのだそう。
「約30年前に店舗を増築してからは宴席もするようになり、歓送迎会や冠婚葬祭まで幅広く利用していただいています」と話すように、地域住民の多くは一度は葵で食べたことがあるというほど、親しまれているお店なのです。
創業から12年後の1992年には、増築して店舗を刷新し、現在の店舗の姿になりました。その際に水嶋さんがこだわったのは、出石の街並みをイメージしたという外観です。
「正面から見ると平家に見えるでしょう?でも実際は2階建てなんです。家老屋敷といって、出石の藩士が住んでいた家のつくりを意識しました。
この場所は重要伝統的建造物群保存地区ではないのですが、出石景観賞をいただけたのはとても嬉しかったです」
観光客でにぎわう
創業当時と比べて、出石は観光地としての魅力が増しているといいます。出石名物の「出石そば」は、出石藩主松平氏と信州上田藩の仙石氏がお国替えとなった宝永3年(1706年)に、信州のそば職人を連れてきたことで誕生したと言われています。
水嶋さんがお店を始めた頃は数軒だった蕎麦屋も、今では約40軒あるそうです。
また、葵から徒歩10分の場所にある近畿地方最古の芝居小屋「出石永楽館」では、落語、演劇など様々なイベントが行われています。永楽館が復元された2008年から、歌舞伎役者の片岡愛之助さんを座頭に迎え公演を開催しており、11月頃は多くのファンでにぎわうそうです。
「歌舞伎があるときはとても忙しいですね。ここ数年はコロナ禍で中止になっていますが、また再開すれば、たくさん人が訪れてくれると思いますよ。このあたりは宿泊施設が少ないので、この店を改装して宿泊施設の機能をつけてもいいと思います」
引き継ぎの条件は賃貸ですが、原状回復などは応相談とのこと。地域住民だけでなく観光客も訪れるこのお店で、宿泊機能を備えた新規事業にチャレンジするのも良いかもしれません。
地域に愛されるお店として続いてほしい
引き継ぎにあたって、特に条件は設けないとのことですが、ひとつだけ条件をあげるとすれば、「地域の清掃活動やお祭りごとには協力をするなど、地域との付き合いを大切にしてほしい」ということです。こうした当たり前だけど大切なことを引き継ぐことで、出石で愛されるお店になっていくのかもしれません。
メニューについても「新しいメニューを考えて自分の味を出してもらったらいいと思います」と話す水嶋さんですが、希望があれば継業後にレシピを教えていただくことも可能です。
出石に暮らすひとは約9,000人。宴席をするお店がなくなってしまうと、足を伸ばさなければいけません。地域の方はもちろん、観光客にとっても食事ができる場所が続いてほしいと思います。