郵便局員だった父がはじめた和菓子店
追分駅は、1892年(明治25年)に、炭鉱から産出される石炭を積出港へと運搬する北海道炭礦鉄道(ほっかいどうたんこうてつどう)の駅として、岩見沢駅-室蘭駅間の開業時につくられました。構内には追分機関庫(のちに追分機関区に改称)と呼ばれる車両基地が設置され、今もその跡地が残っています。
現在、JR室蘭本線と石狩線が乗り入れ、特急とかちが停車し、新千歳空港や札幌からのアクセスも良好です。しかし、時代の変遷とともに炭鉱時代のにぎわいは薄れ、駅周辺の商店は経営者の高齢化や担い手不足により、空き店舗が目立つようになりました。
下出菓子舗の創業は、1958年(昭和33年)。郵便局員をしていた現店主である下出公司さんのお父さんが、兼業ではじめました。当時は店舗を持たず、注文があったときにつくる受注生産のスタイルで、法事などの地域の催事に手作りの和菓子を提供していました。
その後、お父さんは郵便局を退職。追分駅近くの現在の場所に店舗を構え、専業の和菓子店として開業しました。下出さんも高校卒業後にお父さんと一緒に和菓子作りをはじめ現在まで営業を続けています。
小さいけれど、ここにしかないまちの和菓子店
下出菓子舗の名物は「追分銘菓 どうりん」。機関車の車輪にあたる動輪を模した餡入りの落雁です。そのほかにも安平町のブランドメロンである「アサヒメロン」の規格外品をつかった「メロン饅頭」など、安平町・追分の地域性や素材を活かした創作和菓子を開発してきました。また、まちの名物づくりに取り組む一方で、法事のお供え物や鏡餅など、町民の催事に必要なお菓子やお餅類も注文を受けて製造してきました。
「小さい町では和菓子だけでやっていけないから、いろいろなものがつくれないといけない」と下出さんは話してくれました。
下出菓子舗は、地域の資源を活かし、地域のニーズに応えてきた、小さいけれどここにしかないまちの和菓子店です。
惜しまれる前に継業を
「この秋で終わりにしようとも思っている」と話す下出さん。
高齢となり、体力が衰えたため「もう終わりにしよう」と思うこともしばしば。それでも地域の人に頼まれれば断れず、この日も催事に頼まれたべこ餅を準備しています。
「下出さんが辞めてしまったら、町民のみなさんが困ってしまいますね」とたずねると「札幌や苫小牧のお菓子屋さんに注文すれば大丈夫ですよ」と下出さんは答えます。もちろん「お供え物」という役割は、他のお店の商品でも代替可能です。しかし、安平町で生まれ、まちの催事にいつもあった下出菓子舗の和菓子たちがなくなってしまったら、町民は惜しむに違いありません。
「やりたい人がいるなら機材をあげてもいいし、味を教えてもいいですよ。ただし、機械は古いし、紙に書いたレシピがあるわけではないから、菓子作り未経験のひとが一人前になるには5年くらいはかかると思います」
下出菓子舗の店舗と屋号、味や地域のお客さん、すべてを継いでもらえたら、それが一番の継業でしょう。けれど、機材を譲り受けて新しくお菓子屋さんを開業しても、「追分銘菓 どうりん」の味だけを継いでも、どれもまちにとっては大切な地域の資源を引き継ぐ価値ある継業となるはずです。
安平町では、創業に対する補助金、創業塾や起業家カレッジなどによる起業家支援、空き家の賃貸、リフォーム、賃貸に対する助成などを行っており、まちも全面的に下出菓子舗の継業を支援します。