継ぐまち:大阪市中崎町
継ぐひと:片牧尚之(2代目)山納慎也(3代目)古家慶子(4代目)
見守るひと:山納洋
〈 この連載は… 〉
後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。
取材・文:高橋マキ 写真:衣笠名津美 編集:浅井克俊(ココホレジャパン)
ずっと、譲られ続ける店
大阪市中崎町。大阪の都心・梅田のお隣、歩いても15分という好立地でありながら、庶民的な昭和のまちの風情を残す昔ながらのまちなみにショップやクリエイターが集い、独自の文化を形成しているエリア。時代を映すユニークでおしゃれなカフェが居並ぶ中、昔ながらの純喫茶風情を貫く喫茶店が今回の舞台。
「喫茶・ラウンジ『正』だった時代に、一度だけ来たことがあります。店の前にはドーンとコーヒーの自販機が置かれていて、中に入ると案の定、山積みの新聞や雑誌とともに、埃や時間や思い出といった色々なものが雑然と積み重なっているーー。そんな喫茶店でした」
10年以上前の記憶をそんな風に語ってくださった山納洋(やまのうひろし)さんは、会社員でありながら、この店のすぐそばで自ら日替わり店主カフェをプロデュース、運営している。その場づくりの経験を綴った『カフェという場のつくり方:自分らしい起業のススメ』『つながるカフェ:コミュニティの〈場〉をつくる方法』の著者としても有名だ。
「ある日、その看板が『中崎町昭和喫茶 ニューMASA』に変わっているのに気付き、あ、これは「譲り店(ゆずりみせ)」だな!とピンときたんです」。
「譲り店」とは、このころから山納さんが著書の中で使っている言葉だが、「いつだったか、天王寺の古い喫茶店に入って、何年続けていらっしゃるのかを尋ねた時に、店主の方が口にされたことばなんです。昔からある言葉なんだと思って使っていました」
店を継がせるでも売るでもなく「譲る」という発想。もしかしたら昔からまちの至るところにあったのかもしれない。
ありがたさ半分、息苦しさ半分?
片牧尚之さんは、かつて、喫茶・ラウンジ『正』の常連の一人だった。「6年くらい通ってたのかな。午後からの勤めだったので、出勤前にここでモーニングを食べるのが日課でした。ある日、店主が「もう閉めよぅか、思うねん」と言うので、それはもったいないねという話になりました」
当時はクリエイティブ職に就いていた片牧さんが、きっぱりとその仕事を辞めてまで「僕がやりましょか?」と手をあげた理由は、自己だけの都合ではなかった。
「同じ常連客の中に、毎日のように顔を合わせる、近所のおばちゃんがいたんです。彼女の居場所がなくなるのは困るよなあと」。この場所をなくしたくなかった、と彼は言う。なくすのは簡単だけど。
「ほな、やりぃ」
うまくいくかはわからんけど、このままで続けたらええわと、ふたつ返事で承諾してくれた先代ママの名前はヨシコさん。これがマサコさんではないことに勝手なロマンを妄想したりもするけれど、片牧さんいわく「長年の常連さんも話を盛るから、何がどこまでホンマの話か、結局わからずじまい(笑)」なのだそう。もしかすると、ヨシコさんも誰かからバトンを継いだことがあったのかもしれない。ともかく、どんな事情があったにせよ、女性が一人で商売をやるのがまだまだ珍しかった時代、ヨシコさんが喫茶店をやりたいと思った時にこの物件があった。それが昭和57(1982)年のことだ。
「このまま、やればエエわ」
店を受け継いだ当初は、月々の家賃、光熱費、経費すべてを先代に納める仕組みだった。
「初期費用がかからないので、初めはメチャクチャありがたかったのですが、正直なところ、同時に、ちょっとした息苦しさもあって。結局、半年〜1年のうちに、賃貸契約をはじめとするすべての名義変更を申し出ました」
このちょっとした塩梅が、継業時のひとつの難関かもしれない。助かるなぁと思える人と、片牧さんのようにきっぱり「自分のものにしてしまいたい」人と。
新しい風を吹かせるのは、僕じゃない
かくして、喫茶・ラウンジ『正』は平成23(2011)年6月、中崎町昭和喫茶『ニューMASA』に看板を掛け替え、譲り店としてスタートすることになった。時は、関西を席巻したカフェブームが一段落ついて、今のコーヒーサードウェーブが到来する少し前。
「元の店内の雰囲気を活かして、ちょっとノスタルジーに、昭和の風をどう吹かそうかと考えました」
2代目マスター、片牧尚之さんの『ニューMASA』につく新しいお客さんも増えた。同世代はもちろん、その中には、建築家の安藤忠雄さん、それに桂文枝さんも。「文枝師匠は、新聞にも書いてくれはったし、うちをモデルにした「喫茶店の片隅で」という新作落語も生まれたんです」。平均年齢79歳(!)という人生の先輩ばかりの常連客に囲まれる居心地のよさ。「師匠」「大御所」としての肩書きを忘れられる、大切な居場所になっていたのだろう。
ところが令和になって、『ニューMASA』に転期が訪れた。
「元号が変わった途端、僕がやっていた昭和感と平成がごちゃ混ぜになってしまった。もっと古い、戦前戦後のイメージでわかりやすく強調しないと、若い世代が「昭和」と認識してくれなくなったんです」
片牧さんの気持ちの中で、コトン、と「昭和喫茶」の自負が揺らいだ。ここは、古き良き昭和の風情を残す昔ながらのまちなみが、若者たちのハートをとらえる中崎町なのに。
これまで通り、若者にも「かわいい」と言ってもらいたいし、近所の常連さんたちと交わってほしいから、服装や内装、音楽で「もっと古い昭和」を演出してみたりもした。メニューには、インスタ映えするクリームソーダ。ところが、片や常連客は、正真正銘の昭和時代を生きてきた大人たちなのだから、格好だけの「映(ば)え」は彼らの前では空転する。なんだか歯車が噛み合わない。スマホ、写メ、インスタ……ハイスピードで変わっていく時代感とニーズに、絡め取られるように翻弄された。
喫茶店の存在意義ってなんだろう。
続けていけない大きな理由が生じたわけではなかった。でも、自分の年齢のことだとか、経験だとか、いくつかの小さな齟齬(そご)が澱(おり)のようにたまっていき、ある日、片牧さん自身が、どうやらその答えを見失ってしまったらしい。
「8月の、ちょうど天神祭のあたりが喫茶店はオフシーズンで、暇に任せていろいろ考えてしまったんですよ。そんな時に、山納さんがふらっと立ち寄ってくれはって。ぼちぼちこの店を卒業しようと思います、と告げました」
でも、この店をなくしてしまうのはもったいない。今の僕には答えが見つからないけど、違う人がやってみたら、また新しい風が吹かせるんじゃないかなーー。そして、いつかまた風向きが変わった時に再び、僕が戻ってくる日があったとしても。
そんな相談を受けて、これは自分の仕事だと気付いたのだと山納さんは言う。
「これまで「譲り店」やカフェの可能性を本に書いたり喋ったりしてきた僕が、この状況をみすみすスルーしてしまったら、値打ちが下がってしまいます」
(後編に続く)
継いだもの:喫茶店
ニューMASA
住所:大阪府大阪市北区中崎西1丁目1-16
TEL:06-6373-3445