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2020.11.24

譲渡費用なし。全員正社員。「地域に愛される店」の譲り方・継ぎ方、お好み焼 一休

連載「継ぐまち、継ぐひと」

継ぐまち:岡山県和気町

継ぐひと:田原匠

譲ったひと:芝池玉江、昭一

前オーナーの芝池昭一さん(左)、玉江さん(中)、現オーナーの田原匠さん(右)。3人は今も同じ町内で暮らすご近所さん

〈 この連載は… 〉

後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。

取材・文:江森真矢子 写真:松本紀子 編集:浅井克俊(ココホレジャパン

「このひとに継いでほしい」とご近所さんに指名継業

岡山駅から電車で東に30分。旧くはまちを流れる一級河川・吉井川の河川交通でひと・ものが行き交い、現在も人々を受け入れる土壌や、交通の便の良さから移住者に人気の和気町。

駅を降りるとすぐにバンダナを巻き、コテを片手に明るく笑うキャラクターの描かれた「お好み焼 一休」の看板が目に入る。和気町民なら誰もが知る店だ。

主婦だった芝池玉江さんが1975年に創業したこのお店は、2019年4月に、同じ町内に住む田原匠さんをオーナーが後継者に「指名」。田原さんが快諾し引き継がれた。

一休は明るく清潔で、バンダナを頭に働く従業員がてきぱきと動く、活気はあるけれどうるさくはない、親しみやすいけれどちゃんとしている、そんな居心地のいいお店だ。

看板メニューの「一休焼」は、キャベツたっぷりの生地と豚バラを海苔で巻いた、見た目は真っ黒だけれどふわっと軽く、冷めても美味しい玉江さん考案の一品。他には、ブタ玉、イカ玉、エビ玉といった定番のお好み焼き、モダン焼き、一休弁当。ソフトドリンクにビールやチューハイ、おつまみになるような一品料理もある。町外にもファンが多い。

ここにしかないメニュー、一休焼はベストのタイミングで天地を返し、海苔をのせて半分に折り、鉄板の上で6つに切って完成する

一休を継業した田原さんの前職はIT企業の経営者。システム開発やコンサルティングを行う会社を仲間と大阪で起業、自宅を妻の実家のある和気町にかまえ、月曜の朝に大阪まで2時間半かけて出勤、金曜の夜に和気に帰ってくる二拠点生活を15年以上続けながら、自治会などの活動にも積極的に参加してきた。一休の前オーナーの芝池さん夫妻とも同じ町内会に住むご近所さんだ。

これだけ愛されている店を無くしてはいけない

一休の創業は高度経済成長期にあった昭和50年(1975年)。和気駅の前に、商業ビルが建つことを知って「お好み焼がとにかく好きだったから、勢いで」始めた玉江さん。ご主人の昭一さんは、元鉄道の運転手で会社を早期退職した後、玉江さんと二人三脚で店を経営してきた。40年間のサラリーマン経験もあり、いずれはやめて余生を楽しみたいと考えていた昭一さん、60歳を自分の定年にしようと考えていた玉江さんは、廃業も考えてきた。

子育て真っ最中は、朝、保育園に子どもを預け、お迎えの時間は店を閉めて、子どもと一緒に店に帰ってきて営業を続けた。けして簡単ではなかった。子どもたちが巣立ち、駅前の再開発で店の入ったビルの取り壊しが決まった時は、これが潮時だと考えた。それでも続けてきたのは「これだけ愛されている店を無くしていいのか」という自問に対して「否」という答えを出し続けてきたからだ。

店内はテーブル20席、カウンター7席、個室もある。煙がフロアに流れることはないよう、厨房の換気をしっかり設計されている

「学生相手に始めた店でした」と玉江さん。

ビルの2階にある14席の小さな店に、たくさんの人が来店した。駅前再開発を機に借入れをして現在の場所に新店舗を構えたのは2011年。席数は倍になり、和気町内からだけでなく近隣から、小さな子どもから高齢者まで、お客の層は広がった。

責任感が強く、昭和の男の心意気を感じさせる昭一さん。店を譲るのは借入金を完済してからだった

店は繁盛しているが、自分たちは年をとる。それぞれの就職先で責任ある仕事を任されている子どもたちに店を継いでくれとは言えない。借金は完済した。継いでくれる人を探す中、「誠実な人柄を知っていたし、いつまでもこの生活を続けるわけにはいかない。いつかは商売をやりたいということも聞いていたから「この人なら」と、田原さんに声をかけました」と昭一さん。

実は田原さんの奥さんも高校生の頃からのお客さん。「お父さんお母さんもよう知っとるし、このご夫婦が店を継いでくれたらと考えていたんです」。昭一さんが焼きそばを、玉江さんがお好み焼を焼き、経理を見るという役割分担をしてやってきたため、夫婦で一緒にやっていくことが欠かせないと考えていたからだ。

一方の田原さんは二拠点生活をしながらも、自治会の仕事や共通の趣味であるゴルフで昭一さんと触れ合っていた。子どもたちの学校ではPTA役員となり、地区の盆踊りでは誰よりも激しく踊る。そんな姿を見てきた昭一さんが「継いでくれないか」と最初に切り出したのは、地区の河川美化活動の最中だった。

「いつかは」と思っていたけれど

エネルギッシュな田原さんは、ゴルフだけでなくマラソン、カヌー、ボルダリングと多彩な趣味を持つ。読んだり書いたりすることも好きで、エッセイ集を出版したことがある。2012年に上梓した三々隈啓太名義の『マイ・ヘビームーン』(日本文学館)には、今を予感させるこんな一節があった。

「週末料理人の小生としては、もう少し年をとって状況が許せばお店でも……と思うこともあり、そう考えるとおそらく料理が好きなんでしょうね(中略)さて、店を開くとなると、当然、お店の構えや料理、もちろん収支計画やらなんやらかんやら、様々なことを考えることが必要です。やはり、その中には、色々とこだわりも入れたいと思うのは当然で、密かに色々と考えているのですが…」

マイ・ヘビームーン

「いつかは、と考えたことはあるもののびっくりしましたよ。でも、「継がないか」と言ってもらえたことは嬉しくて。最後はエイヤ!で決めました」。子どもたちも手が離れ、いずれは義理の親たちの面倒も見なければならない。家族バラバラだった生活を変えるタイミングだった。「僕は基本、頼まれて断る、ってことがあんまりないんですよね」と田原さんは振り返る。

熱いハートとクールな頭脳、好奇心いっぱいで明るい田原さんは地域の人たちからの信頼も厚い

最後は勢いとはいえ、検討する間にはそれまでの会社の経営をどうするか、頼ってくれるお客さんをどうするか、自分の生活をどうするか…さまざまなことを考えた。帳簿も見せてもらい、経営的に「まあなんとかなるやろ」という判断をした田原さんが、奥さんと一緒に芝池夫妻のもとを訪ね「お引き受けします」と告げたのは、河川清掃の日から3ヶ月後、2018年のはじめだった。

それからすぐにベテラン従業員を集め、店を早仕舞いして田原さんと引き合わせた「前々から引退することは決めていたし、誰かに継いでもらいたいと考えていることは、従業員もみんな知っていました。だから、みんないつか次の人が、という覚悟はできていたはずです」と玉江さん。

役員を務めていた会社に計画を告げた田原さんが次にしたのは、和気に帰る土日、一休に入ること。店のオペレーションや調理方法を一通り学び、ピーク時にどれぐらいの注文があって、どれぐらいお客さんが入るのか、ロスがどれぐらい出るのか、冷静な目で観察した。

そして、年末に前職を辞すと大阪の家を引き払い、2019年の4月に正式に店を承継。昭一さんが理想とした夫婦での継業ではないが、一休は安心して任せられる人に引き継がれた。

「田原さんは、1年間一緒に働いて、従業員との折り合いも悪くなかった。みんなスッと、円満に受け入れてくれたと思っています」と玉江さんは言う。

守ってほしいのは屋号と従業員

店を譲るに際して芝池夫妻がつけた条件は、「一休の名前を残してほしい」「従業員を可愛がってほしい」というふたつ。譲渡費用は一切なし。店舗は設備や内装をそのままの状態で賃貸することにした。そのまま継いでもらえれば廃業にかかるコストはかからないし、従業員にひまをださなくてもいい。家賃収入は年金代わりになり、十分メリットはある。

アイデアマンで料理好きの田原さんのこと、店を継いで何か新しいメニューを投入したのでは?と問うと「いや、みそ汁ぐらいですかね」。変えたのはメニューではなく経営。それまでの個人事業から株式会社にし、全員を正社員にしたのだ。そして、自分は調理はせずにフロアや近隣市への営業、拡販に徹した。

もちろん名前を継いでいるんですけど、名前の中にはいろんなものが入ってるやないですか。店主が変わったら味やサービスが変わったとお客さんに思われるのは嫌やった。あとは従業員さんにどう思われるのか、それが一番」。従業員を大切にという芝池夫妻の想いも継いだからこそ、感じてきたプレッシャーなのだろう。

正社員化して社会保障も全てカバーするとなると当然コストは上がる。「パートのままで時間を気にしながら働いたり、繁閑に応じて働き方や収入に差が出るよりそんなん気にせんと仕事してもらったほうがええと思ったんです」。経営的には厳しくとも、待遇を上げ、休みも取りやすくした。

オーナー自ら車で営業とデリバリーにはげむ。地域の事業所や役場、学校もお客さんだ

それを聞いた昭一さんは「みんなと話すこともあるけど、悪口言う人は誰もおらん。みんな喜んで働いてる。本当にようやってくださってると思います」。玉江さんは「経営者が変わることに戸惑いは当然あったと思うんですけど、みんな田原さんといい関係を築いてくれています。うちでいちばん長く働く人は、お子さんが幼稚園の時から勤続20何年か。私と同世代の人が一緒に卒業した以外、8人みんなが残ってくれています」と新オーナーと従業員の関係を見守っている。

ベテラン従業員の手つきの鮮やかさ!どのメニューも、ここぞという加減を五感で判断し、焼き上げる

愛される理由

取材の間、昭一さんは「これだけ愛されてきた店」という言葉を何度か口にした。「田原さんには、なぜうちが愛されてきたのかを考え続けてほしい」とリクエストした。

40数年の間、近隣でも幾多の飲食店が創業しては廃業する中で残ってきた一休は、まちのインフラと言ってもいいのかもしれない。お客さんだけではなく、毎年、地元の中学生の職場体験を受け入れていることも誇りと思っている昭一さん。そのあり方からは人々に必要とされることを、誠意を持って成す元鉄道マンの矜恃のようなものを感じる。

和気町はもちろん、たくさんのひとが食べてきた一休のお好み焼き

笑顔で店に立ち続け、お客さんから「おばちゃん」と慕われてきた玉江さんから滲み出るのは思いやりだ。

「私は29歳で店をはじめました。高校生だったお客さんが子どもを連れて来てくれたり、親子三代のお客さんもいます。そんな店だから私は休むわけにいかなかったけれど、今は会社にしたのだから、ある程度自由な時間を作って続けてほしい。田原さんみたいにたくさん趣味がある人はなおさら。ストレスを抱えるとスタッフにもお客さんにもいい印象を与えません」。

看板のモデルでもある玉江さん。今はバンダナを巻くことなく、近くから一休を見守っている

ふたりがやってきたからこその愛される店を田原さんに譲って寂しくはないのだろうか?「もうないよ、キッパリね。寂しいより楽しい。身軽になって、人生を楽しんでいますよ。それとね、田原さんには言ってなかったけど、彼やったらひょっとしたらあちこち支店を出して…なんて思ってたし、店を大きくしてくれるんじゃないかなあと期待してます」と昭一さんは微笑む。

1年半経って「ようやく楽になってきた」と言う田原さん。二拠点生活をしていたときはオンオフがはっきりしていたが、ここまで週1度の定休日以外はほぼ休みなく働いてきた。奥さんからは「休み少ないやん、って(笑)。生活が変わっていきなり僕が毎日うちにいるし、休みは合わないし、あのひとがいちばんしんどかったと思う」。経営を引き継いでからも一休のよさは変わらないと、お客さんにも従業員にも信頼されてるいま「やっと安心して休みが取れるかなというところ」。

「昔からのお客さんはきてくれるし、メニュー持って和気町以外もあちこち回ったら、新しいお客さんからもけっこう注文が来る。前の会社のお客さんとか、僕だからと店にきてくれる人がいるのも嬉しいですね」。前職では新しいサービスを考えたり、企画やコンサルをしてきた田原さん、今は「これからやりたいこと、やれそうなことはいっぱいあっていろんなモデルを考えてます」と、いたずらっぽく笑った。

ご近所さん同士の前オーナーと新オーナーは、互いが人生を楽しめるように気づかい合う。一緒に働く従業員にも、お店に通ってくれるお客さんにも。愛される店をつくるのも、継ぐのも簡単なことではないけれど、愛される理由は、とてもシンプルなのかもしれない。


継いだもの:お好み焼店

住所:岡山県和気郡和気町福富644

TEL:0869-93-0519

営業時間:10:30 ~ 20:30(ラストオーダー 20:00)

定休日:月曜、年末年始

HP:お好み焼 一休

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