継ぐまち:長崎県壱岐市
継ぐひと:川添啓司
〈 この連載は… 〉
後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。
取材・文:栗原香小梨 写真:Mitz Kurihara 編集:中鶴果林(ココホレジャパン)
小さな島の継業の物語
近年、水産業界では日本人の「魚離れ」が喫緊の課題となっており、水産物消費の減退や漁業生産量の減少などによって、水産加工品の生産量も年々減少傾向にある。魚離れの背景には、食の欧米化や骨があることによる食べる面倒臭さ、調理の手間、生臭さ、価格高騰などの問題が考えられているが、試行錯誤の末、「食べる面倒臭さ」、「調理の手間」、「生臭さ」といった問題に配慮したフライや干物などの水産加工品をつくり、インスタグラムを中心に話題を呼び、海外にもファンを生んでいる水産加工会社がある。
福岡市博多港から高速船で約1時間ほどの場所にある長崎県壱岐市。島には150以上の神社があり、日本最古の歴史書「古事記」にも登場する古来より神々とゆかりが深い場所とされている。一方で、自然豊かで、麦焼酎発祥の地とされ、農業や漁業、畜産業などの一次産業が盛んな島だ。
島の東部芦部地区、絶景を望む海に面した高台の上に創業約40年になる丸昇水産がある。長年地元の方から愛され、近隣住民の食卓に丸昇水産の干物がならぶことも少なくない。
元々漁業会社を経営する網元だった小嶋憲郎(こじまけんろう)さんが水産加工を行うようになり創業。しかし、赤字経営となり、2018年に廃業が決まっていた矢先、丸昇水産を継ぐことを申し出た人物がいた。
「地域の人のために自分が行動しないといけないと思って。強い覚悟と気持ちを持って、ここに来ました」
そう語ったのは、丸昇水産の3代目を継いだ川添啓司(かわぞえけいじ)さんだ。
2019年1月に丸昇水産を承継し、インスタグラムでは珍しい形状のエビフライと、確かな商品の味で話題を呼んでいる。月に1回のオンライン販売では、早い時にはカートをオープンしてから10分も経たないうちに売り切れることもあるというから驚きだ。顧客の8割がリピーターで、売り上げの7割ほどがオンラインからの注文だという。人気は国内にとどまらず、海外の人の目にもとまり、海外から問い合わせが入ることもあるそうだ。
順風満帆な承継のように思えるが、継業から6年目を迎え、その道のりを振り返り思うこと、未来に見据えているものは何だろうか。小さな島の継業の物語をうかがった。
祖父への思いとともに異業種からの継業
川添さんは壱岐市出身。消防士を志し、大阪の大学へ進学後、北九州市と壱岐市で計7年ほど消防士として活躍した。都市部にある北九州市の署では現場に行くことが多く、忙しくても充実した毎日だったそうだ。地元壱岐に戻ってからは、父親の経営する工務店を継ぐことを見据え、消防士の仕事をしながら工務店の仕事の勉強もしていた。
異業種から丸昇水産を承継した川添さんだが、どのような経緯で水産加工の会社を継ぐことになったのだろうか。
川添さんが小嶋さんと出会ったのは、子どもの頃。
「祖父とバイクでここに来るのを楽しみにしていました。先代はよくここで作業している傍ら、のしイカを僕にくれて、それがすごく印象に残っています。とても優しい方でしたね」
元々は、川添さんの祖父と小嶋さんのお兄さんが親友だったが、小嶋さんのお兄さんが若くして亡くなる直前、川添さんの祖父は「弟(憲郎さん)を頼んだ」という親友からの最後の頼みを聞き、それからずっと小嶋さんのことを気にかけてきたそうだ。
川添さんが壱岐に戻り4年が経つ頃、小嶋さんが大病を患い入院したが、闘病の末亡くなり、小嶋さんの娘さんが2代目を継いだ。小嶋さんが病に倒れる前から丸昇水産は赤字経営だったが、小嶋さんの娘さんが継いだ後も赤字が続き、厳しい状況だったという。幼き頃に通った思い出の場所がなくなるのではと、不安がよぎった川添さん。
「祖父も心配していましたけど、自分自身も、丸昇水産を守ったほうがいいのか、消防士をこのまま続けていくのか、複雑な気持ちでした」
都市部と比べ、地方の消防署では現場へ駆けつけることが少なく、プレーヤーとして動きたい性分の川添さんは、現場へ出ない日々の中で、家業の工務店や丸昇水産のことを考える時間がだんだんと増えていった。
そんな中、丸昇水産がいよいよ経営が厳しくなり、廃業するという話を聞いた川添さん。
「当時の丸昇水産には60歳を超えている従業員もいて、次に働く場所がないじゃないですか。近所の人たちからも廃業を残念がる声も聞いていて、地域の雇用や地域の人の思いを守りたいと考え、ここを継ぐ覚悟を決めました」
継ぐことを家族に伝えると、祖父は「そうか」ととても喜んだそうだ。
「小さいころから消防士を目指していたんですけど、おじいちゃんがいつも応援してくれていたんですよ。進学資金も結構支えてもらって、おじいちゃん孝行したいなって気持ちもあったので、喜んでもらえて嬉しかったです」
一方で、経営の厳しさを知っている父親からは反対されたという。島の人たちからも「公務員を辞めるのはもったいない」「今までと畑違いの仕事だけど大丈夫か」という声があったというが、川添さんの決心は揺らぐことはなかった。
「いろいろ言われたりはしたんですけど、むしろそれがモチベーションになってですね、やってやるぞって思いました。くじけそうになった時には、その時の気持ちを思い出して自分を奮い立たせています」
承継する際、2代目からは「赤字やけん、もう難しいと思うよ」と言われたという。しかし、幼き頃に祖父と訪れた思い出、先代が大事に守ってきた場所、小嶋さんを長年気にかけてきた祖父の思い、食卓にならぶ地域の味ーーーたくさんの思いが込み上げ、「地域に愛されてきた丸昇水産を守りたい」という思いが強くなったという。
「やれることは片っ端からやろうと思って」
こうして、地域の味を未来に残し、地域住民の思いに応えるため、丸昇水産と川添さんの挑戦がはじまった。
二足のわらじを履きながらの挑戦
川添さんは消防士を辞めた後、丸昇水産を継ぐと同時に、家業の工務店にも入ることとなった。父親が70歳を迎える2026年に川添さんは建築士の資格を取り(7年の実務経験を積むと2級建築士の受験資格を得られる)、家業を継ぐためだ。
工務店と丸昇水産の二足のわらじを履き、ほぼ休みがない状態が続いた。
「休みなしでやってやるという思いで 3年は頑張るって決めてたんですけど。その後はもう体が覚えてしまって。むしろ休んだら不安になります」
と川添さんは笑いながら教えてくれた。取材の前日も夜中の12時まで仕込み作業をしていたそうだ。現在も工務店の仕事を夕方までこなし、次の日の作業のために夕方から夜中まで仕込みの作業をしているという。
承継後、はじめに取り組んだのは資金調達だった。承継と同時に、赤字の負債も引き継いだため、銀行から1600万ほどの借り入れと合わせて退職金も注ぎ込み、国境離島補助金も利用して、施設の修繕や設備機器の導入などを行った。
島内でも、はじめは近隣住民にしか知られていなかったという丸昇水産だが、島内全体に知ってもらえるよう、インスタグラムを使って宣伝を行い、徐々に島中に口コミで広がっていったそうだ。年に1回、地域への感謝を込めて、丸昇水産の敷地内に島内の飲食店を呼んだり、DJに来てもらったりして地域の方向けのイベントも実施している。今では、内祝いに丸昇水産の商品を使ってくれる若い世代や、島内の観光施設や店舗の方がおすすめのお土産として紹介してくれることも多いという。
承継から3年目を迎えた2021年には法人化した。従業員の雇用条件をよくしたいという思いがあったからだ。会社を設立したら社会保険への加入のほか、従業員がいる場合には雇用保険や労働保険にも入る必要がある。こうした整備があることで、今後働きたいと思ってもらえる可能性もあるだろう。
幼い子どもを持つ従業員からは「短時間勤務もできるようになり、働きやすくなった」という声も。
法人化した直後からは、福岡の駅ビルや銀行から大規模イベント等への出店の話も来るようになったという。法人設立により、社会的な信用度が増したことがうかがえる。
法人化する直前に、店頭での販売に加え、オンラインでの販売も開始した。 島内への販売のみでは経営が厳しいと考えていた川添さんは承継当初より、ネットショップを通した全国への販売展開も視野に入れていたそうだ。
「北は北海道、南は沖縄の方も注文してくれるのですが、北海道なんかは結構送料が高いにもかかわらず注文してくれるお客さんがいらっしゃって、すごく嬉しいです」
と語る川添さん。
全国からのファンがついてきた2022年には、クラウドファンディングにもチャレンジした。当時、お客様へ商品を発送した際、エビフライやアジフライのパン粉が剥がれ落ちてしまうことが課題だったが、製造した時と同じ状態でお客様に商品が届けられるよう真空包装機の導入が目的だった。
SNSでのフォロワーや商品購入をしている方々を中心に共感を呼び、200万円を超える支援が集まったそうだ。
「目標額を大きく上回って達成したんですが、支援をしてくれた方々に恩返しをしたいという思いが強くて。必要経費を除いて、残ったお金で返礼品に商品などをプラスしてお返ししたんです」
応援してくれた方々はその後もリピーターとして商品を購入してくれているという。「既存のお客様を大切にしたい」そういったお客様を思う気持ちがリピーターへと繋がっているようだ。
「承継後はどんどん新しい商品を開発し、小嶋さんの代からの商品を残すのは1つだけでいいと思っていた」という川添さん。丸昇水産を訪れる地元のお客さんから、「あれはないと」「これがほしい」と言われ、「元々あった商品を、残さんといかんな」という思いが強くなったという。
今では小嶋さんの代から働いている従業員に作り方を教わりながら、その味を守り続けている。
「消防士の仕事も地域貢献はできるんですが、ここの仕事は、また違った意味でお客さんからありがとうの声が聞けるので、それが嬉しいですよね。そうすると、さらに良くしたいっていう思いが強くなったりとか、地域のためになってるなっていうのを実感します」
と話す川添さんの目は生き生きとしている。
従業員ではなくパートナーを増やす
川添さんは地元の知り合いや同級生、後輩の水産会社に声をかけ、ライバルともなりそうな地元の水産会社と協業するスタイルをとっている。丸昇水産では、小魚を取り扱っているため大きな魚を捌く技術を持っていないが、市場にいいマグロが入ったときなどは、協業している水産会社に仕入れと解体まで行ってもらい、それを丸昇水産が仕入れて販売することもあるという。また、経費はすぐ支払うようにしており、協業している会社が資金繰りに困らないようにしている。大きな魚は仕入れ額も大きいため、大きな魚を捌く技術を持っていても、なかなか仕入れることが難しい。それぞれの会社の良さを活かした協業は、今後地域の仕事を続けていく上で画期的な取り組みになりそうだ。
「お互いにメリットがあるよう、うまく地域の中でサイクルが回るようにしています」
地域のことを大切に考える、川添さんらしい言葉だ。
「承継から6年目ですが、他の水産会社からも、 一緒になんかできんかな、とか、うちの魚をちょっと取り扱ってくれんか、とか、そういう話をされるようになってきて。周りから信頼というか、徐々に頼られる感じになってきて嬉しいですよね」
と川添さんは話す。承継直後から覚悟を持って丸昇水産と向き合い、着実に事業を重ねてきたからこそ得られた信頼だろう。
現在は、「地元壱岐市のためになることをしたい」と、ふるさと納税への出品や、廃業した宿泊施設跡で、飲食スペースやキッズスペース、フリースペースを備えた複合施設のオープンを計画中だ。
「飲食スペースもうちだけじゃなくて、若い世代の水産会社と協力し合いながらやっていこうと思っています。今は打ち合わせしながら進めているところです。キッチンが結構広いので、個人に貸し出すことも考えていて、そういう人たちが使いやすいように進めていこうかなと。
あと、壱岐にはお子さんたちが遊べるスペースがまったくないんですよね。雨の日とかでも中で遊べるようなスペースをちょっと作ってやりたいなっていう思いがあったりとかして、いろいろ考えています」
と川添さんは構想を語ってくれた。休みなく走り続けた5年間だったが、6年目を迎えた今もなお、目まぐるしく変わる状況の中で、その目は少しずつ地域に向いている。
今後は丸昇水産だけでなく、壱岐全体の底上げを目指して、挑戦は続いていくのだろう。
継いだもの:水産加工会社
住所:長崎県壱岐市芦辺町瀬戸浦594-2