継ぐまち:京都府京都市
継ぐひと:大嶋亮さん

〈 この連載は… 〉
後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。
取材・文:佐藤純平 写真:酒谷薫 編集:ココホレジャパン
「西陣織」の産地として知られる京都府京都市西陣。織屋の町家がいまも残り、長きにわたって日本の染織文化を支えてきた職人たちの営みが息づいている地域だ。
西陣織は、先染めした糸を使い、多品種少量生産で精緻な文様を織りあげる高級絹織物。帯や着物を中心に発展してきた一方、時代とともに和装需要は大きく変化し、産地の事業者数や職人の数も減少を続けている。
そうしたなか、西陣の一角で100年以上事業を続けてきたのが、株式会社マツモトだ。もともとは西陣織に使われる原糸を扱う問屋として創業。その後、時代と共に事業を転換し、直近では和装小物やヘアアクセサリーなどの企画・製造へと事業を広げながら、地域のものづくりとともに歩んできた。

しかし、同社もまた後継者不在という課題を抱えていた。そのバトンを引き継いだのが、建築・不動産業界で20年以上キャリアを積み、異業種から飛び込んだ大嶋亮さんだった。
事業承継とリノベーションの共通点
大嶋さんが建築・不動産業界を志した原点には、阪神・淡路大震災の経験がある。1995年、当時中学生だった大嶋さんは震度7の揺れを経験した。自宅も周辺の住宅も倒壊。それまで仲良くしていた隣人たちとは離れ離れになり、当たり前に存在していた近所付き合いが失われていった。
「建物って、人と人との関係性やコミュニティそのものをつくっていたんだと痛感しました」
その経験から、人と人をつなぐような場の作り手になりたいという思いを抱いた。

大学卒業後は関西で働き出し、20代後半で東京へ移住。建築・不動産会社で営業や開発、人事といった幅広い業務を経験した。ただ、東京で働き続けるなかで、ある違和感を抱くようになる。
「関西の友人たちも、気づけば多くが東京で働いていたんですよ。優秀な人もおもしろい会社も、東京に集まっていく。地方には、若者が働きたいと思える場が少ないのかなと思ったんです」
30歳で結婚。パートナーの地元も関西だったことから、「いずれはUターンしたい」と考えるようになった。そして40歳を前に、今後どう生きていきたいかを真剣に考えはじめ、「これまでの経験を活かして地方に貢献したい」という思いを抱く。
「建物をつくることも大事ですけど、それ以上に、若い人が働きたくなるようなおもしろくて儲かる会社をつくれば、その地域はより元気になるんじゃないかと思ったんです。そう考えて、経営を勉強することにしました」

それから大嶋さんは、MBA取得のために大学院に通い始めた。しかし、自分はゼロから起業するタイプではないとも感じていたという。そこで知ったのが、第三者承継という選択肢だった。既に価値がある会社を引き継ぎ、歴史を残しながら、新しい価値をつくっていく。それは、これまで携わってきたリノベーションの考え方とも重なっていた。
「リノベーションって、いいものは残して、いまの時代に合わせるべきものはアップデートしていくという考え方なんです。組織や事業も同じだと思いました」
そして、第三者承継先を見つけるために、大嶋さんは動き出した。
異業種だからこそ変革できる
MBA修了後、大嶋さんは家族で京都へ移住。関西圏で第三者承継先を探しはじめた。当初は、自身の経験を活かせる建築・不動産業界に絞っていた。しかし、中小企業庁の事業承継支援サービスや仲介会社を利用しても、なかなか納得できる承継先とは出会えなかった。そのまま約2年、「ここだ」と思える承継先は見つからなかったという。
そんな折に、第三者承継を行うSoFunと出会う。SoFunは、後継者不在の中小企業を承継し、外部から経営人材を送り込む仕組みを展開している。地域に必要な企業を買い取り、短期売却ではなく、永続保有することを前提に企業の成長を支援する。さらには、チーム型経営を掲げ、承継者に伴走しながら、一緒に事業を続けていく点にも惹かれた。
「こういう仕組みを求めていたと胸が躍りましたね」
SoFunとの対話を重ねるなかで、大嶋さんの考え方にある変化が生まれていく。それまで建築・不動産業界に絞っていた承継先の条件を外すことにした。
「『異業種だからこそ、業界の慣習に縛られずに変革できることもある』と言われて。たしかにそういう側面もあるなと思ったんです」
そして、SoFunと出会ってから1年後、紹介されたのが株式会社マツモトだった。売上高は安定し、財務は健全。 西陣という土地で積み重ねてきた歴史やインハウスデザイナーの存在、内製化された生産体制にも可能性を感じたという。
「ブランディング次第で、海外にも届くものづくりができるんじゃないかと思ったんです」

とはいえ、建築・不動産業界からものづくり業界への転身。ギャップの大きさに不安がなかったわけではない。
「正直、やってみないと分からないという感覚でした。でも、この機会を逃したら次はないかもしれないと思ったんです」
大嶋さんは、当時を振り返り「最後は、『えいやっ』で飛び込んだところはあります」と語る。明確な決め手があったというより、いくつものタイミングが重なって決まった承継だった。
関連記事:地方銀行出身者が設立した、中小企業の承継問題を解決する会社「SoFun」
経営理論だけでは、会社は動かない
マツモトを承継するにあたり、先代経営者とも何回か面談を重ねた。そのときに大嶋さんが痛感したのは、「経営理論だけでは会社は動かない」という現実だった。
「承継前は、自分はマネジメントに専念した方がいいのかなと思っていたんです。事業環境分析などをして、事業戦略を練ったりもしていました。でも、『頭を使うだけでは社員や顧客とも信頼関係が築けない』と感じるようになってきました」
自ら生産現場で試作品を作ったり、地道に営業したりして、少しずつ現場を学び始めた。

また、承継前から「長時間労働をはじめとする労働環境の改善も大きな課題だ」という話も聞いていた。そこで承継後、大嶋さんが最初に取り組んだのが労働環境の改善だった。36協定の説明を社員に行い、フレックスタイム制や固定残業制度を導入。しかし、これまでのやり方を大切にしてきた社員との摩擦も生まれたという。
「長時間労働を改善した方がいいという総論は理解してくれました。一方で、中には、業務量が偏って多い人、いいものづくりには時間がかかる、という考え方の人もいるため、時間をかけて、少しずつ納得していってもらうべきだと考えていました」
だからこそ、一気に変えようとはしなかった。バックオフィスのデジタル化や業務フローの改善を少しずつ進めながら、働く時間を減らしても成果は落ちないという実感を現場と共有していった。
「いまもまだ過渡期です」と大嶋さんは苦笑を浮かべる。
ものづくりの力を残したい
承継から1年半。大嶋さんはいま、新しい挑戦を進めている。それは、海外市場への展開だ。
これまでマツモトは、問屋向けの卸売を中心に事業を続けてきた。しかし、主軸の和装市場やジュニア向けヘアアクセサリーの市場縮小が進むなかで、従来のビジネスモデルだけを続けていては先細りになってしまうという危機感を持っている。そのため台湾をはじめとした東アジア市場を視野に入れながら、販路拡大や新しい商品開発にも乗り出しはじめている。
「京都や西陣でつくっている背景を活かしながら、今の日本を感じてもらえる商品をつくりたいんです」

こうした発想には、異業種から承継した大嶋さんならではの視点も影響している。
「この業界にずっといたわけじゃないからこそ、今まで通りの慣習や慣例に従うべきだという考えがそこまで強くないんです。自社ブランドをつくって、BtoCでも直接届けていくとか、ビジネスモデル自体を変えていく発想は、外から来たからこそ持ちやすかったのかもしれません」

大嶋さんは、新しい商品や市場を模索するなかで、何を残すべきなのかについても考えるようになったという。
「何をつくるかは、時代に合わせて変わってもいいと思うんです。ただ、長年培われてきたものづくりの力は残していきたい」
残すだけではなく、時代に合わせて更新しながら受け継いでいく。そうしたリノベーションの感覚が、大嶋さんの考える事業承継の根底にある。
次の担い手が育つ「おもしろい会社」へ
そして、今後大嶋さんが向き合っていこうと考えているのが、「次の担い手」を育てることだ。
承継後の1年半、大嶋さん自身が営業、生産、バックオフィスまで、あらゆる実務を担いながら走り続けてきた。そのことで、人材育成まで手が回らなくなる現実を痛感している。
「中小企業って、経営者自身がプレイヤーになっていることが多いんです。だから、人を育てる余裕がなかなかない。でも、それが後継者不足につながっている面もあると思うんです」
だからこそ今後は、社内で次の担い手となるマネジメント人材を育てていきたいと考えている。

「若い人が『ここで働きたい』と思えるような、おもしろい会社をつくりたい」
その思いは、承継前から変わっていない。西陣で受け継いだものづくりの土台を残しながら、組織も事業も、いまの時代に合わせて少しずつリノベーションしていく。
次の担い手が育つ会社を目指して、大嶋さんの挑戦は続いている。
継いだもの:京都・西陣のものづくり事業
住所:京都市上京区今出川通堀川西入西船橋町326
ホームページ:https://kyoto-handmade.com/