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2022.06.30

地域の暮らしを支える日本一小さな百貨店「つねよし百貨店」継業10年目のリアルストーリー

連載「継ぐまち、継ぐひと」

継ぐまち:京都府京丹後市

継ぐひと:東田一馬

〈 この連載は… 〉

後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。

取材・文:高橋マキ 写真:Akitsu Okd 編集:中鶴果林(ココホレジャパン

村ぐるみで営まれた、日本一小さな百貨店

近年「買い物難民」という言葉がTVのニュースなどでも報道されるようになった。食料品や日用品など、生活必需品の買い物が困難な状況に置かれている人のことをいう。過疎化、少子高齢化、小売店の撤退や廃業、公共交通機関の廃止や衰退など、「買い物難民」が生じる理由はさまざまだ。

山間部の地域からお店がなくなり、自分や家族が買い物難民になるのを危惧した地元の有志が自主的に出資してこぎ出した、奇跡のような村営の食料・雑貨店が、かつて京都に存在した。

「京都」といっても、鴨川や祇園があり観光客で賑わうあの街ではない。京都駅からは東京に行くよりも所要時間がかかってしまう、京都府北部、現在の京丹後市大宮町の話

JAの支所が統廃合され、地域からお店がなくなるのを危惧した常吉地区の地元の有志33人が、350万円を出資して食料・雑貨店を開いたのは1997年のこと。今から25年も前のことで、ソーシャルビジネスの先駆けだった。

ソーシャルビジネスの先駆けとしても注目された「常吉村営百貨店」(画像提供:つねよし百貨店)

そうして始まった「常吉村営百貨店」は地域の生活拠点として欠かせない場所だったが、干支もひと回りすると、地区の住民は 800人からさらに大きく減少、 当然ながら、立ちあげに関わった人たち自身も高齢化した。

さらには周囲の国道沿いに大型店やコンビニチェーンが出店し、日本全体を見渡してみても、2000年にはAmazonジャパンがサイトをオープン、2008年にはiPhoneが日本に登場と、私たちの暮らし方自体が激変した時代だった。

最後はこの場所を守りつづけていた社長の大木満和さん自身が体調を崩したことを機に、15年の節目をもってこの奇跡のような村営百貨店の閉店を決断した。 それが、2012年の夏のこと。

しかし、地域の高齢者にとってはこの場所が「辞められたら生きていかれへん」ライフラインであることには変わりない。閉店した百貨店の店内に集まった地域の人たちが額を合わせる中、

「継ぎましょか」

そう申し出たのが、農林水産省の「田舎で働き隊!」として家族でこのまちに移住していた東田一馬さんだ。

「言ってしまったんですよ。自分でもそのときの気持ちは説明できないんですけど」

東田一馬さん。1964年大阪生まれ。大学卒業後、通信業界に就職。アメリカでMBA取得、シリコンバレーでの起業を経て帰国、IT業界に転職の後、2009年に「田舎で働き隊!」として京都府京丹後市に移住。研修として旧「常吉村営百貨店」の運営に携わった縁もあり、妻の真希さんと共に、チャレンジ!つねよし百貨店の実行委員会に名を連ねた

継業10年。時代の変化は容赦ない

「僕が継業してからちょうど今年で10年になるんですよね」

会話の途中、まるでふと思い出したかのように東田さんがいう。ポロリと「継ぎましょか」と申し出たのち、旧常吉村営百貨店が東田一馬さん・真希さん夫妻率いる「チャレンジ!つねよし百貨店」として再び商店の扉を開いたのは、2012年の11月だった。

「建物はJAからの賃貸物件をそのまま賃貸契約で、棚などこまごました店内備品は無償で旧百貨店から譲り受けて、資本金ゼロからのスタートでした。最初は商品もないので、ネットでお米の予約を受付け、それを元手に開店する形で文字通り自転車操業を始めたんです」

東田さんは、バブル絶頂期に大学を卒業した世代。シリコンバレーでの起業後、華々しく業界を渡り歩いたが、時代の変化や息子を授かったことなどを機に、2009年に家族で京丹後市に移住していた。

「これから継業しようとする人たちに向けて、『10年先を考えて経営しましょう』と言うべきなんでしょうけどね(笑)。正直にうちの経営状況をいえば、始まりもそんなゆるい感じでしたし、今はビジネスとして縮小はしているけど、プラスマイナスがなんとなくうまくいってるという、これまたゆるい感じなんです」

商店としての機能はシュリンクしているが、数年前に店内奥をコワーキングスペースに改装。本棚オーナー制の「まちライブラリー」の仕組みも採用し、本棚だけでなく、ピアノも置いた。大勢で集うより、ひとりで本やピアノを楽しみに来た人がたまたま誰かと出会える場を意識したという。

「まちライブラリー」の仕組みも採用したコワーキングスペース。まちライブラリーは、おすすめ本を持ち寄って、人と人が出会う私設図書館活動。社会参加のきっかけやまちづくりにも役立つと話題

「だけど、百貨店が開店した1997年のまちの人口が800人、僕がここに移住した2009年で600人、そして2022年現在では400人と、25年間で半減していて、いろんなバランスが変わってきました。村自体のあり方も、百貨店のあり方も、ああ、次のステージに来ているんだな、という実感があります」

ここで東田さんが言う「いろんなバランス」は、人口減少という数字の問題から派生して実に多岐にわたっており、日々の暮らしというのは目に見えない「人と人のバランス」の上に成り立っているのだと、改めて思わされた。

「改装を手伝ってくださったり、手作りの豆ごはんやらおかずやらを差し入れしてくださったり、村営から継業した当時の僕たちのことを何かと気にかけて応援してくださった村の方々が、うちの常連さん。そんな常連さんたちが高齢化によって次第にここまで足を運べなくなり、定期配達させていただくようになり、さらに歳を重ねてひとり、またひとりと亡くなっていかれるのは、やっぱり寂しいものですよ」

自販機と喫煙スペースのある休憩スペース、トイレにバス停。商店に用がなくても地域の誰もが立ち寄れる場所だ。そう言えば、缶コーヒーを飲みながら喫煙する人の姿もぐんと減った

四半世紀前、村営百貨店に出資した世代の方々が描いたであろう過疎の村の少し先の未来の、さらに次のステージを、2022年の今「寂しい気持ち」で迎えている東田さん。そこには、10年という年月の中に含まれる、おおよそ2年に及ぶ新型コロナウィルス蔓延も大きく影響していた。

百貨店内の黒板には、地域の子供たちが通学する大宮南小学校の子供たちが描いた絵。この「がっこう」も全児童数が100人を切った。夕方、百貨店の前に停まるスクールバスを出迎える東田さんに応える「ただいま~」の声の数も、今年は3人に減った

ギブアンドテイクでまちと寄り添う

中山間地域のライフラインとしての食料・雑貨店という顔の他に、「つねよし百貨店」には、もう一つ「コミュニティの場」という重要な役割がある。用事があってもなくてもいつでも来てね、という安心・安全なサードプレイスだったのが、新型コロナウィルス蔓延以降は『来ないで』と言わなければならなくなった。

2020年はお客さんゼロの状況を良しとしなければならなかった
普段は、近県からドライブがてら立ち寄る若い世代のお客さんの姿も

「常連のおばあちゃんたちは、茶飲み友だちとの寄り合いすら自粛していたようです。2年間、地域の行事やお祭りもなくなりましたしね」

変わることを余儀なくされたのは、お客さんだけではない。ちょっとした農産物や、裏山で採ってきた山菜、家で作った加工品を納品してくれていた近隣の農家さんたちが引退を決意するきっかけになってしまった。

ご近所さんが届けてくれる農産物を百貨店が販売することで循環していた小さな経済

「生産者さんたちの気力が途切れてしまった、ひとことで表すならそんなところでしょうか。たとえば、お盆の時期のお花は人気があってたくさん売れたし、夏の売り上げを支えてくれていたんですけどね」

と東田さんは言う。そういった小さな商いは、金額の多寡以上に、その人にとって暮らしの中のちょっとしたよろこびやアクセントみたいなものだったかもしれない。暮らしの中の「やる気」を削いだのは、新型コロナウイルスだけではなかった。

例えば、法律の改正。村営百貨店の頃から15年以上、百貨店一番の人気商品で、催事では1日に800本売れたこともあるという大根の漬物も、令和3年の食品衛生法の改正で漬物製造業の許可を取得することが必要になったために、作るのを辞めてしまったのだという。

「持続可能にするために、大きな企業や法人に集約して効率化しようという社会の流れなのかもしれないけど、それって、ほんと?って言いたくなりますね。僕たちがマイナーなことをやっているというのはわかってるんですけどね」

東田さん自身も、まさかの大きな痛手を負った。実は、新型コロナウイルス蔓延により影響を受けた事業者を支えるはずの持続化給付金も受け取っていない。法人税は納めていたが、運営組織が法人でも個人事業主でもない「みなし法人」という形態だったため、対象外にされたのだ。

「さらに、これから始まるインボイス制度も、高齢者中心の小さな農家さんの野菜を扱う百貨店にとっては優しくない。インボイスなんて発行できないような生産者さんの小さな生業を地域経済として循環させるしくみが百貨店の持ち味なので、なんだか救われない気持ちになります」

文句を言ってもしょうがないんだけどねー、と言葉の最後には朗らかに笑いつつも、東田さんはやっぱり寂しさと迷いのまっただ中にいるようだった。

最初から、ここで何かを成し遂げようという大きな志があるわけではなく、地域の人のためという奉仕の精神もあまりなくて、この村に暮らす人とギブアンドテイク、つまり、お互いさまの関係でありたいという感覚なんです。だからこそ、地域の人に必要とされなくなったら、仕舞い方も考えなあかんなぁとは思ってます

この場所の「役割」に耳を傾ける

「こんなことばかり言って、『なぜ10年も続いてるの?』と思われるでしょうね(笑)。でも、僕は初めから意識して『ゆるい』んです。それでも百貨店がこうして今日まで続いているのは、これはもう、超常現象としか表現できないのかも」

ユーモアを交えつつ、「逆に、思いだけで継業しても大変なのかな」と、東田さんは続ける。

「大木さんから引き継いだ時、人の意思を超えて百貨店そのものに、残りたいという意思があったのだと思えてならないんです。そこにたまたま私たち家族が東京からやってきていて、行政にも引き継ぎができる体制が整っていた。無理に残そう、継ごうということでは、決してなかったんです。継がれずに途絶えてしまうものもたくさんあるけど、ほんとにその場に生き残る意思があれば、残っていくんだと思うんです

平たく言い換えればタイミングみたいなことかもしれないが、「超常現象」という表現は、なんとも言い得て妙だ。この「超常現象みたいなもの」に、これまで通りゆるく寄り添い、大木さんにならって15年は「つねよし百貨店」を続けようという、これまたゆるい目標が東田さんにはある。

「たとえば、こういう場所には地域の見守りの役割もあると期待されます。高齢者の自宅に配達に行っておしゃべりをしたりするから、確かにそういう側面もあります。でも、配達に行ってたまたま倒れてるのを見つけて一命を取りとめた、みたいなドラマチックなことは起こらないんですよ」

そうじゃなくて、と東田さんは一呼吸置いて続ける。「それは、むしろ、百貨店の定休日の日だったりするんですよ」。

「ギリギリの最後の最後まで、いつもの店でいつもの買い物をしてご飯を食べて、最後の最後まで普段の暮らしをして、ふいっと、亡くなりはるんです。その最期の1日まで、百貨店が地域の方の普段の暮らしのお手伝いができるというのは、幸せだなあと」

継業した当初は、彼もそんなことは思いもしなかっただろう。ドラマみたいにその場に居合わせなかったことを悔やんだ日もあったかもしれない。でも、10年という年月の中でいくつもの寂しい別れを経験して、国や行政の理想としている見守り機能ではなく、これが「つねよし百貨店」としてのリアルな見守りのカタチなのだと、今の東田さんには誇りに思える。

日常を支えることこそが、百貨店の役割だ

そんな気づきを与えてくれた世代、村営時代から支えとなってくれたなじみの農家さんたちや常連さんとの寂しいお別れが続いたかと思えば、他県の企業から「日本の農業を応援させてほしい」と、「米つなぎプロジェクト」の相談が舞い込んだり、若い世代とのご縁から、ドリップコーヒーのパックや希少な日本蜜蜂のハチミツの販売も始まった。新しい商品は、評判も売り上げも上々だ。

障害者就労支援を行う一般社団法人「暮らしランプ」のドリップパックは、百貨店のオリジナルパッケージで
大宮町内の養蜂家さんが手がける希少な日本蜜蜂のハチミツは、今では売り上げナンバーワン

最近、「ダークホース的な生き方」というのが語られているんですよ、と東田さんが教えてくれた。いわく、自己充足感を軸に「行き当たりばったり」に生きることが、実は経済的にも精神的にも成功への最短ルートである……というもの。他人から見れば行き当たりばったりに見える「ゆるさ」は、存外、的外れでもなかったのかもしれない。

「役割が終わったらおしまいでもいいかなと思いつつ、役割自体がどんどん変化してきて、さてこれからどうなるのかな、というところでしょうか」

ちなみに、冒頭に触れたが、東田さんはバブル期にIT業界という右肩上がりの世界に身を置いた人だ。
「当時、その時代の働き方の象徴として、大手代理店・電通の『鬼十則』というのがありました。常吉に来て、180度真逆の世界を体感した私は、開店時に『百貨店十訓』という運営方針を掲げたんです」

「つねよし百貨店 十訓」

1.成長しない Do NOT grow

2.競争しない Do NOT compete

3.効率化しない Do NOT seek efficiency

4.奉仕しない Do NOT give and give

5.レバレッジかけない Do NOT be leveraged

6.ストックをつくらない Do NOT make stocks

7.すべてにオープンに、多様に Open to everyone and respect diversity

8.役目がある限り Carry the mission as long as is needed

9.未来のために The mission for the future

10. Always Happy Be always Happy!

ここには、村営百貨店の理念を受け継ぎつつ新たな地域の拠点としての機能を存続させたいという願いと挑戦がこめられていて、その方針は変わらないし、挑戦は今も続いている。実のところ、東田さん自身、この場の役目が今すぐに終わってしまうとは思っていない。自分や家族の人生、まちのあり方、社会情勢などがさまざまに響き合う状況の変化に抗うのではなく、しなやかに寄り添うスタンスを貫く東田一馬さんの「ゆるさ」こそが強みとなって超常現象を引き寄せ、「つねよし百貨店」を次のステージに運んでいくのだろう。「役目がある限り」「未来のために」。10年前に掲げた、成長経済へのアンチテーゼとともに。


継いだもの:日本一小さな百貨店

住所:京都府京丹後市大宮町上常吉123-2

TEL:0772-68-1819

WEBサイト:http://e-mura.jp/tsuneyoshi/

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