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2021.08.03

こだわりが詰まった饅頭の味を承継。地元の佐賀に戻り、夫婦で継いだ「創作和菓子ひかり」

連載「継ぐまち、継ぐひと」

継ぐまち:佐賀県小城市

継ぐひと:嘉村光平、早紀

譲るひと:高木慶隆

〈 この連載は… 〉

後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。

取材・文:栗原香小梨    写真:亀山ののこ   編集:浅井克俊、中鶴果林(ココホレジャパン

砂糖がつないだ甘い継業の物語

砂糖文化が広まった長崎街道、別名「シュガーロード」沿いにある佐賀県小城市(おぎし)。羊羹づくりが盛んなこのまちは人口5万人ほどに対し20軒以上もの羊羹屋が軒を連ねる珍しいまちだ。

そんなこのまちで、1993年に創業した「高木まんじゅう」。元々餡子の製造業を営んでいた高木慶隆(たかぎ よしたか)さんがつくる饅頭のファンは県内外に広まり、まとめて20〜30個買って帰る人もいたそうだ。しかし、二人三脚で饅頭屋を営んできた高木さんと奥様が相次いで体調を崩し、2018年8月に静かに閉店した。

ところが、翌年の2019年3月に、高木さんの店舗と饅頭の味を引き継ぎ、「創作和菓子ひかり」が新たにオープンした。そこには、饅頭の味に惚れた現在の店主と夫の夢に寄り添ってきた奥様、そして現店主の人柄に一目惚れした先代の、砂糖がつないだ甘い継業の物語があった。

引き継がれた三種の饅頭。左上「チョコまんじゅう」、右上「玉子まんじゅう」、下「酒まんじゅう」

甘さに妥協しない饅頭づくり

先代店主の高木さんが「高木まんじゅう」を創業したのは、44歳のとき。まちに饅頭を出す店がなかったため店をはじめたという高木さんだが、その前は、家族で餡子の製造業を営んでいた。戦後、高木さんのお父様が「まちに羊羹屋がたくさんあるのに、餡子屋がない」といって、まずは餡子屋を始めたそうだ。

高木さんは、和菓子職人を志し18歳で和歌山の和菓子工房に勤めたが、製造から売り子に回されてしまった。製造の楽しさが忘れられなかったため、しばらく働いたのち小城に戻り、家業の餡子屋に入った。

しばらくして、当時下水道の整備が整っていなかった小城では、莫大なコストがかかる浄化槽整備が求められた。しかし、浄化槽を設置した場合、餡子の価格を大きく上げざるを得ず、価格競争で勝つ見込みがなかったため、餡子屋を辞めた。

先代の「高木まんじゅう」元店主、高木慶隆さん

「小さい頃から饅頭をつくりよってね」という高木さんだが、本格的に学校や店舗で饅頭づくりを学んだことはない。和歌山の和菓子工房で見てきたことや、知り合いから饅頭のつくり方を教えてもらって試行錯誤し、現在の饅頭の製法にたどり着いたそうだ。

饅頭に入れるこだわりの餡子は上白糖のみで炊く。他の糖類や香料などは一切入っていない

そんな高木さんのオリジナルの饅頭は、甘さに妥協しない、こだわりの一品だ。

「店をはじめるころは健康ブームで、評論家がよく『甘さ控えめがいい』といっていた時代だったけれど、我々が小さい頃って、生卵と砂糖っていったらものすごい貴重品で、黒砂糖をもらえたらものすごく嬉しかったし、上白糖はもっと嬉しかった。だから、この商売をすると決めた時に、『砂糖の甘さをしっかり出した饅頭にしよう』と決めていました」

甘さに妥協しない高木さんの饅頭は話題となり、県内外への出店のオファーが幾度もあったそうだが、「個人のお客さんに菓子をつくる暇がなくなる」と、すべて断っていたという。そこには「いつも買いに来てくれる常連のお客さんを大事にしたい」という、高木さんの信念があったからだ。

「菓子づくりに一途で、芯が通った人」。餡子や饅頭の生地、お客さんに対する姿勢はすべて一貫している。そんな店主の人柄と心地よさに惹かれてか、「高木まんじゅう」は、昼間は地域のお年寄りの井戸端会議の場、夕方は地域で働く外回りの営業さんたちの休憩の場ともなり、長年「地域の憩いの場」として老若男女から親しまれてきた。

「この子に譲りたい」と一目惚れ

県内外からもお客さんが来ていた「高木まんじゅう」だが、高木さんが63歳のとき、体調を崩してしまう。お客さんからの「続けてほしい」という声に応え、営業時間を短縮するなどして店を開け続けてきたが、ついには一緒に商いをしてきた奥様も体調を崩してしまった。

限界を感じた高木さんは、2018年の8月、周りには一切伝えず、静かに店先のシャッターを下ろし、「閉店」の貼り紙を貼った。周りに周知しなかったのも、高木さんなりの「お客さんを大事に考えた」結果なのだろう。

「一人に言えば、『うちにだけ作ってくれ』って言うひともおるでしょ。でも、みんな大事なお客さんだからね」

高木さんは、閉店前から取引きのあった金融機関からの紹介で、何名かと承継について話をしていたそうだが、他の業種の店をやったり、別のところで作った菓子を売るだけの店舗として使いたいという話だったため、すべて断ったという。
うちの味を残せないし、うちのお客さんを守れないなら、私の代で終わらせようとも思いました。でも、光平くんと会って話した時に、一目惚れしたんですよ。「お客さんを大事に」という自分の信念に共感してくれて、光平くんの菓子作りに打ち込む姿勢や人柄を見て、昔の自分とも重なったんですよね。『この子に譲ろう』って思ったんです

饅頭の味に惚れて

「実は餡子があまり好きじゃないんですよ。でも高木さんの炊いた餡子でつくる饅頭は、とても美味しかったんです」

「創作和菓子ひかり」店主 嘉村光平さん。1989年生まれ。小城市出身で、継業を機に地元にUターンした

高木さんから光平さんに引き継がれた饅頭は、外はふんわりもっちり、かつ中はねっとりしたつぶ餡がつまっている。噛みしめると、口の中にはしっかりした餡の甘さと、柔らかい生地の絶妙なハーモニーが広がる。

「創作和菓子ひかり」の店主・嘉村光平(かむらこうへい)さんは、高校生の頃は調理師を夢見ていたそうだ。ある日、学校の実習でシュークリームをつくった経験からパティシエを目指し、大阪の製菓学校へ進学。そこで和菓子の奥深さと面白さに触れ、和菓子職人の道を志すようになる。卒業後は、大阪の和菓子店にて和菓子職人として勤務した。

「もともと小城というか、佐賀に戻って自分の店をやりたいと思っていました」

そんな光平さんの思いを知っていた母から、地元・小城の「高木まんじゅう」で後継者を探していることを聞いた。

「『高木まんじゅう』は幼い頃から知っていましたし、地元に帰って店を構えたいと思っていた自分にとって、初期投資が抑えられ、お客さんもある程度ついてくれている事業承継は、かなり魅力的な話でした」

光平さんはすぐに高木さんに連絡を取り、2018年の年明けに、妻の早紀さんと一緒に大阪から佐賀にあるお店を見に行った。「大阪とは違う環境で店をやっていけるのか」と事業承継について悩んでいるうちに月日が経ち、5月ごろに光平さんの実家から電話があった。

「高木さんが店を閉めるらしいから、すぐにでも決断するように言われて。なかなかないチャンスで、先延ばしにできないと思いました。妻にも相談したら『やっていいんじゃない』という言葉に背中を押されて、承継を決めました。高木さんから聞いた砂糖の使い方や甘みの出し方にしても、大阪の和菓子店でやってきたこととは全然違うやり方で。地域による違いを知ったことで、佐賀の菓子を作りたいと思ったんです」

「気軽に相談しやすい」夫婦二人三脚の承継

「結婚前から佐賀で店を出したいと聞いていたので、心づもりはしていました。夫婦でやってるから気軽に相談できるし、答えが出やすいのがいいですね。苦労したのは、方言くらいです(笑)」

妻の早紀さんは京都生まれ。

そう明るい笑顔で話してくれた妻の早紀さん。京都生まれで、大阪に実家がある早紀さんは、佐賀への移住や継業に対して不安はなかったのだろうか。

「父が転勤族で、幼い頃からいろんな地域へ移動してきましたから、移住に不安はありませんでした。夫の両親と同居しているので、子供を見てもらえて助かっています。大阪で働いていた頃は主人も忙しかったのですが、今は一緒に仕事を上がることもできるので、家族の時間は以前より増えているんですよ」

継業後、特に店の経営や運営が安定するまでは、家族からの手厚いサポートは非常に心強いだろう。義理のご両親も、「孫と子どもが増えて嬉しい」といって、積極的に家事や子育てをサポートしてくれているそうだ。

前の職場もお客さんと話す機会が多かったという早紀さん。楽しんで接客をしているそう

「最初に高木さんにお会いした時に、饅頭に対してすごい情熱を持っておられる方だなと思いました。その饅頭がとても地域の人に愛され、日常的にも食べられていて、『地域の味』になっているんですよ。その饅頭の味を一緒に引き継げるなら、主人が店を継いだ後もきっとうまくいくんじゃないかと思いました」

と、継業後の経営についても不安はなかったという早紀さん。

決して否定することなく、光平さんの思いや夢に寄り添い続けてきた早紀さんの姿が印象的だ。良き理解者であるパートナーの存在も、継業の決断やその後の経営を続けていくには、とても大事な要素なのかもしれない。

仕事だけではなく、これからの暮らし、家族の将来を話し合ったふたりは、夫婦二人三脚で「高木まんじゅう」を継ぐことを決意。事業譲渡時の契約は、土地と建物を譲り受ける不動産契約だが、店にあった菓子づくりの道具や機材も譲り受け、「酒まんじゅう」、「玉子まんじゅう」、「チョコまんじゅう」の三種の饅頭のレシピを引き継いだ。

こうして2019年の3月に、饅頭の味を引き継いだ「創作和菓子ひかり」が新たにオープンした。「高木まんじゅう」が閉店して、7ヶ月後のことだ。

地域の味を目指して

高木さんから饅頭の味を引き継いだ光平さんだが、饅頭づくりの難しさについてこう話す。

「饅頭は、気候や湿度によって、生地がだめになることがあるんです。日々調整が必要なのですが、どうしてもうまくいかない時は、高木さんに連絡して助けてもらっています」

「饅頭は生き物。自分が満足する商品ができることの方が少ない。それくらい難しいんです。はじめに『失敗する時もあるぞ。覚悟してやって』って言った時に、光平くんはそれでも自分の味をそのまま継ぎたいと言ってくれたんです。正直とても嬉しかった。だから、たまには口も出すかと思ってね(笑)」

そんなやりとりからも、ふたりの間にある信頼関係が垣間見えた。新商品ができれば、高木さんに食べてもらい、アドバイスをもらっているそうだ。「あまり口を出さないようにしている」という高木さんだが、光平さんの作る菓子に対して、意見を言ってくれるそうだ。

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「『美味しい』というのは、その人の口に合っているかどうかなんです。全員に美味しいと思われる菓子を作ることは無理なんですよ。3割が美味しいと言えば上等。光平君も自分のクセ、持ち味を出して『光平くんの菓子』で頑張ってほしい」

そう期待を込めて話す高木さん。店を譲ったからこその責任があり、今でも餡子の出来具合やお店の様子を見に来ているが、「お客さんがいるのが見えるとほっとする」と話す。

「光平くんには光平くんのお客さんが付いているようで安心しとります。当たり前のことをしていたら、当たり前にお客さんがついてくる。クセのある自分の菓子をつくって、評価されてほしい。光平くんはいい腕を持っていますから。お店に行くたびに光平くんと話をして、『この子なら大丈夫』って納得して毎回帰っているんです」

高木さんから「決して考えを押しつけられたことはない」と話す光平さん。ふたりの間には心地よい空気が流れる。それは、お互いに対する「尊敬」と「信頼」の念があるからだろう。

最後に、光平さんと早紀さんに今後の展望について伺った。

「できるだけ長く店を続けていきたいです。自分の子どもたちが将来やりたいというなら教えますけど、そうでないなら、やりたい人に来てもらって、地域の味をつなげていきたいですね」

と光平さん。

「子どもたち世代にも饅頭を食べてもらって、地域の味を次の世代にもつなげていきたいです。そして、饅頭と一緒に、主人のつくった菓子も地域の味になってくれたらいいな」

と早紀さんは話す。

高木さんの饅頭に惚れた光平さんと、光平さんの人柄や考えに一目惚れした高木さん。ふたりが出会ったのは必然であるように思えてならない。ふたりの「お客さんのために菓子を作りたい」という一途な思いが重なり、互いを引き寄せたのではないだろうか。互いの考えを理解・尊重し、「共通した思い」を持つことは、事業承継をスムーズに進める上で大切なポイントになるだろう。

光平さんは、良き理解者でありパートナーの早紀さんと、信頼を寄せる先代に恵まれ、今日も「地域の味」を目指しクセのある菓子をつくり続ける。光平さんのつくる菓子が「佐賀県小城市の味」となる日は、そう遠くないのかもしれない。

「光平くんのこれからが楽しみ」と話す高木さんの言葉からは、光平さんに対する揺るぎない信頼が伝わってきた。


継いだもの:饅頭屋(3種の饅頭)

住所:佐賀県小城市小城町字自在269-6

TEL:0952-72-1311

HP:創作和菓子ひかり

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