継ぐまち:東京都国立市
継ぐひと:坂根千里
見守るひと:小野淳
〈 この連載は… 〉
後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。
取材・文:前田美帆 写真:廣川かりん 編集:浅井克俊、中鶴果林(ココホレジャパン)
“昭和”なスナックを継業したZ世代
煌々と明かりが灯る看板と、店内から聞こえてくる歌謡曲の歌声。店前を通り過ぎるだけの人にとってみれば、スナックは年配の常連客がママとの会話やカラオケを楽しむ“昭和の店”というイメージが強いかもしれない。
しかし、そんな昭和の香りが漂うスナックを継いだのは、一橋大学を今年卒業したばかりの坂根千里さん。Z世代である彼女が、なぜスナックを継ぐことになったのか。そして大学卒業後、いきなり新卒で“継業”の道を選んだ理由とは一体なんだったのだろう。
東京都の西側、都内とは思えないのどかな田園風景が広がる国立市・谷保エリア。坂根さんが今年4月にオープンした「スナック水中」は、JR南武線・谷保駅から徒歩2分のところにある。
ここはもともと地元で20年以上愛され続けた「すなっく・せつこ」があった場所。多くの人に惜しまれながら昨年12月に閉店したが、大学在学中にアルバイトとして働いていた坂根さんがママを引き継ぎ、「スナック水中」としてリニューアルオープンさせた。店を訪れたのはプレオープンから間もない4月中旬のこと。“ママ”という呼び名にぴったりの紫色のスーツに身を包んだ坂根さんが笑顔で迎えてくれた。
「すなっく・せつこ」との出会いは、坂根さんが大学2年生のとき。当時、学生団体を立ち上げ、国立市内でゲストハウスを開業した坂根さんは、日頃から地域の活動でお世話になっていた小野淳さんに連れられてスナックを訪れた。
初めて経験する場の雰囲気に緊張しながら小野さんと話していると、そんなことはお構いなしというように隣のお客さんが話しかけてくる。「何頼むの?」「何歌う?」と、こちらのテリトリーにずかずかと入り込んでくるようなスナック特有のコミュニケーションに衝撃を受けたという。
「大学1年生のときに行った奄美大島のローカルなコミュニティがすごくこんな感じで。鎧を着てない人同士が自分をさらけ出して、それを認め許し合っているような、密なコミュニケーションだったんです。きっと国立にはないだろうな、夏休みのいい経験だったなと記憶していたのに、まさかいつも通っている路地の半地下にこんな場所があったのかと衝撃を受けました」
しかもその日のうちに、出会ったばかりのママ・せつこさんから「来週から働かない?」とスカウトされたというから驚く。今や店を継ぐまでになった坂根さんに、その場で声をかけた先代ママの目は確かだったのだろう。当時は坂根さん自身もまさかの展開に戸惑ったが、最終的には「この場所をもっと知りたい」という好奇心が勝ち、その2週間後には「ちり」という源氏名で働き始めていた。
そうして働くうちに、世代や性別を超えた予想外のコミュニケーションが生まれる“スナック”に魅せられていった坂根さん。途中、休学して行った海外留学先のカンボジアでは屋台を購入し、路上で即席のスナックをやっていたというほどのスナック好きになっていた。そんな姿を見てか、帰国後店に復帰した坂根さんに、せつこママは「店を継いでほしい」とやんわり伝え始めたという。
「ママには冗談っぽく『ちりちゃんが継いだらいいかな、と思ってるの!』と、ちょっとずつ揺さぶりをかけられていて。初めは私も『いやいやいや』とおどけて返していたのですが、しばらくして『本当に考えている』というお話をいただいたんです」
そんなふうに話があったのは、就職活動が始まる大学3年生の春頃。企業に就職するか、スナックを継いで起業するか。周りには企業へ就職する人が圧倒的に多い中で、「スナックを継ぐ」という決断は容易ではない。
「内心で『面白そう』と思っている自分もいたし、『このスナックをきっかけに挑戦できることがあるんじゃないか』という思いもありました。一方で、もともと私は丸の内をカツカツ歩くような自立したバリキャリ女子になりたいと思っていたので、葛藤はずっとありましたね」
やってみたいけれど、本当に自分にできるのかーー漠然とした興味と不安を抱えながら小野さんに相談すると、「本気なら」と地元の商工会の担当者を紹介してもらうことに。そこから事業計画の作成など継業の準備を進めつつ、並行して就職活動も行う多忙な日々が始まる。どちらに転んでも良いように、坂根さんはギリギリまで悩み尽くした。
SOSが出せない“強がり女子”を救いたい
スナックで実現したいことは何か、そして自分が感じている不安は何なのかをひとつずつ棚卸しし、どうしたらその不安が解消されるのかを徹底的に考える。収入の不安があるなら、生活費がいくらあれば良いのか、そのために売上はいくら必要か、副業はどうするか、ひとつずつ組み立てることで不安を解消していった。そうして自身の思いに向き合い続け、少しずつ着実に地盤を固めていった坂根さん。最終的に「スナックを継ぐ」決断をしたのは、自分の中にある確かな思いを無視できなかったからだ。
「就活中、周りの女の子たちがどんどん自滅していったんです。表ではすごく頑張っている子が家でひとり鬱々としていて、後日会うと『実はあの日沈んでてさ』と打ち明けられることが何度もあって。それを見て私は、そういう子たちに対して良いサービスを作りたいと思っていました。もし今ここで私がその思いを諦めて就職して、他の誰かが同じようなことをやってたらそのほうが悔しい。だからやっぱりこのスナックで、自分がそれをやろうと思いました」
そう決心がつくまで、約1年。この思いに至ったのは、坂根さん自身もスナックで過ごす何気ない時間に何度も救われてきたからだ。誰かといたい孤独な夜、スナックへ行けばママやお客さんがいて、小さな悩みや情けない自分も、くだらない話と一緒に笑い飛ばすことができた。せつこママの存在に救われたからこそ、次はその場所を自分が作りたい。坂根さんの思いは鮮明になっていた。
ここまで後継者の候補は坂根さんひとりだったように見えるが、実はそうではない。「僕は後から知ったのですが、せつこママは前から継いでくれる人を探していて、商工会にも相談していたらしいんです。実際に候補もいたと聞きました」と小野さん。坂根さんも店舗と事業を買収する形で承継しているが、他の候補者の中には坂根さんの3倍の金額で買うと言っていた人もいたそうだ。
「ちょこちょこ候補がいたみたいですが、『信頼できない人には渡さない』とママがなかなか認めなかったみたいです。それを聞いたのも私が迷っている時だったので、ママには『こう言ってる人もいるのよ』と圧力をかけられたこともありました(笑)」
より高い金額で買ってもらえれば、多くの利益が残ったはずだ。しかし、20年以上守り続けてきた大切な店だからこそ、確実に信頼できる人に託したかったのだろう。せつこママが選んだのは、お金ではなく坂根さんだった。
地域のつながりが助けてくれた
それからオープンまでさらに1年以上をかけ、綿密な準備を進めてきた坂根さん。開業のための資金は、銀行融資のほか、行政の事業承継補助金やクラウドファンディングなどで調達。丁寧に作り上げた事業計画のおかげで複数の銀行から融資を受けることができ、クラウドファンディングでは387万円の協賛が集まるなど、坂根さんの思いに共感した多くの人から支援が集まった。
しかし、女子大生がスナックを継ぐという特殊な継業には、多くのハードルがあったはずだ。大学在学中にここまでやるのは並大抵のことではない。そこには坂根さん自身の努力ももちろんあったはずだが、この街で作り上げてきた人脈や人とのつながりが坂根さんを助けてくれたという。
たとえば、収入の不安をクリアにするため探していた副業先は、在学中からインターンとして働いていた出版社が契約社員として雇用してくれることになったほか、クラウドファンディングの支援者も約6割は地域の活動で知り合った人だったという。さらに、商工会の中にも坂根さんの活動を知る人がいたことで、坂根さんを信じて真剣に考えてくれたという背景もあった。
そして最初に商工会と坂根さんをつないだ小野さんも、聞けばこの承継を実現するための人選をしてくれていた。
「商工会なら誰でもいいわけではないと思ったので、『面白いことを応援しよう』という意識が強い人を選んで紹介したんです。女子大生がスナックを継ぐなんて、普通に考えたら『やめたほうがいいんじゃないの?』と思うような話だったと思うんですよ。でもそうならないように、実はいろんな人に『これ絶対やったほうがいいよね』と話して外堀を埋めながら、みんなで盛り上げていこうという空気を作っていました」
そんな小野さんをはじめ、多くの人の思いや信頼があったからこそ実現できた継業だったのだろう。もちろん、先代・せつこママからの思いも坂根さんは感じていた。
「開業まで本当にスムーズだったんです。今回は私が事業を買い取るかたちで承継しましたが、こういうのって、たとえばその金額にどこまで含まれているのか、ここからは違うよねとか、ひと悶着あるものだと思うんです。でも、ママは本当にさらっと『もう適当でいいよ』っていうような感じで。それもママから信頼をいただいて、良い関係ができていたからだったのかなと思いましたね」
営業に必要な事務手続きや申請のほか、お客さんの引き継ぎ以外は何も干渉しなかったというママの姿勢にも坂根さんへの信頼が窺える。コロナ禍で「すなっく・せつこ」を休業していた時も月に1回は顔を合わせ、近況報告をし合っていた二人。店のことよりもママや常連さんの近況を聞くほうが多かったというが、母娘のような距離感があったからこそ、ママは坂根さんに店を任せたのかもしれない。
そして、プレオープンの2日前までかかった改装工事も無事に終了し、今年4月、新たなスタートを切った「スナック水中」。坂根さんが目指すのは、常連さんや古き良きスナックの魅力を大切にしながら、他の地域から来た人や若者、そして女性も気軽に来店し楽しめるスナックだ。
店内には、国立に関わりの深いアーティストのレコードや本を用意しているほか、小野さんが経営する農園で採れたミントのモヒートや地ビールなど、地域にちなんだメニューも用意されている。国立のモノを楽しみながら、横で飲んでいる地元の人のコミュニティに少しだけお邪魔する。そんな体験ができる場所だ。小野さんは、この「スナック水中」に観光の観点からも期待を寄せる。
「観光まちづくり系の話を公的な場でするときに、話題に上りにくいのがナイトライフなんですよね。でもナイトライフって実はすごくお金が落ちるし、そこを楽しく過ごせるかどうかというのは1日の満足度に直結するんです。だけどここ(谷保)って歓楽街があるわけでもないし、晩飯食べたあとももうちょっと遊びたいじゃないですか。そんなときにスナックって結構いいなあ、と思っていました」
オープン以来、遠方のお客さんも連日訪れ、地元のお客さんと肩を組みカラオケを歌って帰っていく。初対面でもすぐに打ち解けてしまうスナックという場所だからこそ、地元のコミュニティにもすんなり入れてしまうのかもしれない。そしてその時間は、この街でしかできない特別な体験になるのだ。
実現できたのは“継業”だったから
そしてオープンを迎えた今、改めて坂根さんに今回の継業を振り返ってもらった。新卒で起業し、他人の事業を継ぐというのはハードルが高いように思えるが、事業承継だからできた側面もあったそうだ。
「準備期間中、商工会の中小企業診断士さんに言われて、他のM&Aの募集や貸店舗も見てみたんです。でも学生の私にはどれも無理で。大きな資金もないし、学生証だけじゃ物件も借りられない。『私はここじゃないと無理なんだ』とわかるタイミングが何度かあったんですよね。せつこママから“承継する”というかたちだったから、前のスナックの売上が見えて銀行融資を受けられたり、補助金も受けられて。最終的には、事業承継の旨みをフルでいただくことができたと思います」
強がり女子をスナックで救いたいーー坂根さんがその思いを実現させるためには、“継業”という手段しかなかった。しかし振り返ると、店や地域が育んだ人脈を活かし、資金面での優遇や、多くの人が力を貸してくれた。結果的には事業承継であること自体がメリットになっていたのだ。
坂根さんをずっと横で見守ってきた小野さんも、事業承継の価値をこう語る。
「僕は自分で起業しているからよく分かるのですが、たとえば何十年もかけて築いた資源や人材をバトンタッチしてもらえるとすると、最初のスタートラインが全然変わるんですよね。でも若い人には、そういう背景にある価値が見えていないことが多い。だから、20〜30年前に作られた資産や資源を活用せずにゼロから何かを始めようとする人が多いけど、それってすごくもったいないことだなと」
国立市には全国から多くの学生が集まってくるが、大学を卒業すれば国立を出てしまう。この街にも活用できるはずの資源が多くあるのに、学生と街が交わる機会のないまま通り過ぎていくのがもったいないと感じていたという小野さん。坂根さんの継業の話は、念願でもあったそうだ。
そしてこの街で坂根さんの挑戦が形になったことで、次世代へつなぐ思いについても小野さんは話してくれた。
「僕も13年ほど前にこのまちにやってきたのですが、あるとき会社でトラブって仕事を辞めて、仕方なく自分の会社を作っていたときに、地元の人にすごく助けてもらったんです。それがあったから、今度は自分が支える側にまわろうというのがあって。だから今、地域の支えを受けて彼女のお店が生まれたことによって、今度は彼女が後押しする側にまわってくれるんじゃないかなと。まちとしても、何かに挑戦しやすい雰囲気づくりはすごく大事だなと思っているので、期待しています」
魅力的な人や場所が増えれば、それはそのまま街の魅力になる。坂根さんの作る新時代のスナックは、谷保の新たな社交場として、人や街をつなぐ起点になっていくだろう。さらに、坂根さんはこれからについて、「女性が安らげる場所」としてのスナックも追求していきたいと話す。
「私はずっと『女性とおじさまが共存できるのか』というのが自分のテーマだと思っています。自分の経験として、友人と二人で『こんなことあってさ……』と飲食店で対面するよりも、スナックの明るくてカオスなコミュニケーションが自分を癒やしてくれたことがあったんですよね。だからそれを再生産したい。普通ならありえないと思われるこのミックスがどうやったらできるのか、どんどん攻めていきたいと思っています」
そんなふうに坂根さんが力になりたいと話すのは、決して女性だけではない。人に頼ることが苦手な、家でひとり鬱々としているすべての人にとって、ここに来れば誰かに会える、社会とつながれる場所になりたい。坂根さんは今後の目標をそんなふうに語ってくれた。
知らない誰かとくだらない話をして笑い合う夜は、考えるべきことがありすぎる現代にこそ必要だ。スナックで過ごす時間は、まさにそれなのだ。“昭和のもの”としてとどめておくにはもったいないからこそ、坂根さんはスナックを自分たちの世代にも合うものにアップデートしようとしている。
ゆらゆらと水に浮かぶように、たまには力を抜いて何も考えず漂いたい夜、半地下の扉の向こうでママが待っている。
継いだもの:スナック
住所:東京都国立市富士見台1-17-12 エスアンドエスビル 1F
TEL:042-505-7307