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2021.06.18

地域の商いは毎日が選挙だ。地域の暗闇を照らす小さな灯りを継いだ「三宅商店」

連載「継ぐまち、継ぐひと」

継ぐまち:岡山県吉備中央町

継ぐひと:三宅洋平

譲ったひと:葛原元子

〈 この連載は… 〉

後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。

取材・文:アサイアサミ    写真:浅井克俊    編集:浅井克俊、中鶴果林(ココホレジャパン

生きるためにつくった『三宅商店』。2度の選挙を経てたどり着いたまち

岡山県吉備中央町。県のちょうど真ん中にあるこのまちは、吉備高原と呼ばれる豊かな裾野にひろがる閑静な田舎まちである。ありのままの自然が残る吉備中央町に移住者が絶えないのは、この美しい環境に身を置きたいと考えるからだろう。

反面、町南部は昭和48年に岡山県が整備を進めたニュータウン「吉備高原都市」があるが、その姿はバブル崩壊後より時が止まったままだ。

地方地域の栄枯衰退を体現するようなまちの北部、外灯もない山道にぽつりとある一軒の商店。どこのまちでも見かける小さな商店が、この春「三宅商店」という屋号に変わった。新しいオーナーに引き継がれたのだ。

店主は、三宅洋平さん。レゲエロック・バンド「犬式 (INUSHIKI)」のヴォーカル&ギターであり、2度の国政選挙へ立候補し「選挙フェス」で、若者を中心にムーブメントを起したことは記憶に新しい。

2013年、2016年と2度の参議院選挙に立候補。17日間の選挙運動は「選挙フェス」として多くの人の心を動かした。写真:伊藤愛輔

アーティストである彼が、人里離れた岡山の山奥で商店を受け継ぐ。なぜ吉備中央町にたどりつき、地域の生業を継業することになったのかをここで紐解いてみようと思う。

三宅さんは「三宅商店」というオンラインショップを経営している。その理由を伺うと「ツアーミュージシャンって、不規則だし、酒も飲むし、ほっといたらすぐ死ぬんじゃないかってくらい過酷な生活。各地でリトリート(=本来の自分にもどる時間)できることやひとに支えられながら、今まで20年以上やってきました。

そのなかで、自分が出会ってきた“いいもの”をみんなに教えたいから、物販で自分で“いいもの”を売っちゃえばいいやって」

その根底には、東日本大震災および福島の原発事故以降に自身に起こった変化があった。

「この時代になって、カオスが訪れたときに芋ひとつ植えてない自分の弱さとか、音楽より大事なことがあるな、と突きつけられました。なんでもやって、生きていかなくちゃいけないんだっていう感覚も芽生えました」

生きる力が必要。そんな危機感から生まれた「三宅商店」は、ひとにも地球にもやさしい、オーガニックを基軸としたキュレーションで品揃えをしている。

はじめは、自身の拠点だった、沖縄県本部町の小さな公設市場のかたすみで。オンラインショップも平行して開設。「自分の服すらロクにたためない男が、タイパンツを必死でたたんで日本中に送ってた(笑)」と三宅さん。さらに那覇で実店舗を持つ。

沖縄の実店舗。全国からファンが訪れる巡礼地のような場でもあった 写真提供:三宅商店

そして2013年の7月、参議院選立候補。緑の党から全国比例区に立候補した彼を応援する人々は「三宅商店」でグッズを買い求めた。彼のこだわりを宿した商品を購入することで、支持者はほしい未来に手を伸ばした。

だが支持者が増えればアンチも増える。2度目の参議院議員選挙に打って出たときは「三宅商店」に心無い誹謗中傷が届いた。三宅さん自身も心身を削り、「三宅商店」のスタッフも疲弊していく。

そのとき、2つの転機が訪れる。ひとつは沖縄の実店舗が老朽化で立ち退きをしなければならなくなったこと。もうひとつは、三宅商店のオンライン機能を沖縄から岡山に移転。心機一転、三宅商店は再スタートをきった。

三宅さん自身も岡山へ移住。もともと、父は総社、母は倉敷の出身。岡山には郷里という感覚を持っていたことも彼を後押しした。

三宅洋平さんは合同会社三宅商店の社長でもある

「実店舗ってビジネス的に摩擦だらけでコストしかかからない。売れても売れなくても、お店にひとは必要だし、オンラインショップを回している者からみると赤字案件でしかない。

それでもニーズはある。「お店があったら行きたい」とか言うんですよね。苦労も知らず(笑)そんなこんなでオンライン一本でやろう!と平和になっていました」

生まれも育ちも世代も違うのに「気が合いそう」

「三宅商店」の物流拠点兼事務所は趣のある一軒家。その、道を挟んだ向かいにあったのが『ヤマザキYショップくずはら』。今回、三宅商店に事業を引き継いだ葛原元子さんの一家が経営していた。

三宅さんと葛原さんが出会ったのは、3年前。葛原さんが所有していた物件を三宅商店の事務所として貸し受ける際、知り合った。世代も違ければ、生まれ育ったバックグラウンドも違う。

親子ほど年齢が離れているが、お互いを尊敬し合っているように見える

葛原さん「田舎の人間から見たら、本当に変わったひとたちでした」

「いや東京でも変わりもんだから(笑)」

葛原さん「でも、三宅さんと一緒に働いている子らはみんな素直だし、息子から「ひとを外見で判断したらいけんよ~」ってずっといわれていたんです。

三宅さんがワークショップを開くというので、とにかく話を訊いてみよう!って思って、お友達と一緒に行きました。どういう生き様をおくってきたのか、私なりに理解したいなと思って。そこでなんとなく、惹かれる部分がありました」

最初はおそるおそる様子を伺っていた葛原さん。三宅さんたちの本質に触れていき「気が合いそう」と思った。そして、家はあけておくより使ってもらったほうがええからと、周囲を説得し、大家と店子の関係になった。

「良きお向かいさん」になって3年後。葛原さんのお店が立ち行かなくなる事態に。

三宅さんが岡山移住から3年の月日が経った2020年、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックが全世界を襲ったのだ。

「去年の夏、コロナ禍まっさかりの頃、店主の葛原さんから「ヤマザキ閉めようと思うんよ」ってお話がありました。そして、その跡地で商店を引き続きあんたらにやってほしいとおっしゃられたんです」

葛原さん「年々売上が減っていくし、お店が回らなくなっていくなかでコロナがあって、もうだめだなって思ったんですよ。

うちは息子がふたりおりますが、現状をよく知っているので、お店を継ごうか?ともよういわないし、私も自信を持って「継いだらどう?」って言えなかった。

最初は、商工会に相談したり、誰かお店をやりたいというかたにつなげてくれるかもしれないと、岡山県の事業承継・引継ぎ支援センターへ訪ねていったりもしました。

そのなかでお向かいの三宅商店で働いているスタッフさんに「お店やめようと思うんよ」と話したら、「私らになんかさせてください」といわれました」

「うちの奥さんが「葛原のお母さんが、お店わたしたちに継いでもらっていいっていってるよー!」ってるんるんで帰ってきた(笑)いや、待て待てと」

商店を受け継ぐことを、三宅さんは「考えさせてくれ」と答えた。実店舗がしんどくてオンラインに切り替え、さらにコロナの影響で実店舗に来るお客さんは確実に減っている。そして騒ぎが収束する様子はない。リスクしかなかった。

さらに『ヤマザキYショップくずはら』と三宅商店の商品では思想が乖離した商品が多数ある。普通に「三宅商店」をここでやっても地域の役には立てないと感じた。

「けれど、お母さんと話したり、お店のルーツを伺って、心が動かされたんです」

『ヤマザキYショップくずはら』はたばこやお酒、日用品などを扱うコンビニエンスだが、前身は「くずはら商店」といい、池田藩が治めていた時代より、高瀬舟で川の貿易が往来していた頃の亡くなる人があれば、棺の棺桶の蓋を打つ釘まで品揃えてきた歴史を持つ地域唯一の商店だ。

昭和60年頃のくずはら商店。中央のピンク色のシャツが元子さん  写真提供:葛原元子

先祖代々、この地でゆりかごから棺桶まで売る商店。三河屋のサブちゃんのように御用聞きに地域全体の注文をうけおっていたこともあった。ちなみに次に最寄りのお店は車で30分以上先だ。

また、葛原さんの先代にも継ぎ手がおらず、葛原さんの夫は養子としてこの商店を継いだ。そこに嫁いできたのが葛原さんだ。葛原さん夫婦は「継いでもらうひと」であり、「継いだひと」でもあったのだ。

「先祖の思いをここで途絶えさせたくない。その葛原さんの思いに僕も共感したし、僕は選挙に出て「政治を変えなきゃだめだ」って思っていたけれど、あの膨大なエネルギーは一瞬の嵐のように過ぎ去っていった。

そう思ったとき地域の一角を変えることすら、ちゃんとお付き合いするだけですごく時間がかかって、すごく難しいことだって、ここに住んでわかったし、今回、地域の商店を継ぐことは、それができるチャンスだと思いました」

葛原元子さん。笑顔がかわいい、みんなのお母さん

葛原さんが訪れた三宅さんのワークショップは、奇しくも「シティ・リペア」。ご近所付き合いから世界を変える。まさにシンクグローバリーアクトローカリー。

また「いきなり僕らがお店をはじめても、地域の役には立たない」と葛原さんは、三宅さんたちと50軒近くを一緒にあいさつ回りに連れ出してくれた。

「僕からしたら「毎日、選挙の個別訪問じゃん」と思いました」

葛原さん「そういってくれて、本当うれしいだけです。だからこそ成功してほしいと思うし、三宅さんたちに「ここに来てよかった」とも思ってほしいです」

継業は、世代間の価値を認め合う手段にもなる

かわいいポストに錆びたバス停や昔なつかしの自販機コーナーなど、昭和テイストあふれる外観。

かくして、『ヤマザキYショップくずはら』は、新しい継ぎ手を得て『三宅商店』となり、その思いは受け継がれることとなった。土地建物は賃貸。そのほか譲渡に係る費用もなし。店舗はDIYでリノベーションされた。

看板には「弁当 ドリンク 酒 自然食品」の文字。小さな商店から微かに感じるオルタナティブな感性。三宅さんは「そのままYショップのままやるのも面白いと思ったりもした。俺があの制服来て店立つとか(笑)以前のレトロ感は残そうと思った」という。

葛原さん「お店をリノベーションするさまも新鮮でした。古い材料を持ってきて、燃やしたらええようなものばかり集めていて、どんなものができるんかなぁと思っていたら、みるみる、古いものが再生されて、素敵やなぁ~って。木のぬくもりを感じられるお店になりました」

まだプレオープン中だが、三宅商店の商品と従来の商品が入り交じる。ポテチの真向かいにオーガニックのギーが向かい合う姿はまさに多様性でしかない。

大衆向け商品と自然食品が入り混じる
三宅さんも在庫をチェックしながら品出し中

「どう折衷させていくかは僕らにとっても大きなテーマ。

従来の価値観と新しい価値観がリスペクトしあいながら、混ざり合っていく。

僕はそこを「エッジ」っていう言葉を使うんだけど、多様性と社会変革のエネルギーはエッジに集まる気がしていて。問題が起こっている現場こそ、解決が生まれるし、エッジが社会を変えると思っている、エッジに立つ意味は常々感じています。

僕自身、地域のおじさんたちのリクエストについて、今までと感じ方が変わっていて、「おじさんがほしいと思っているものを仕入れることで、接点ができて、そこからはじめて「こういうタバコもあるよ」って、僕の価値観の話をすることができる。

商店でモノを売り買いすること、好みのものを訊いて仕入れて、関係性をつくるなかでさりげなく話ができたら。お互いの世界が広がるなぁと」

新しくなった商店の前で

地域は高齢者が多く、三宅さんがリスペクトしている商品が実際に「効いた」という方もいる。

「僕らが想像するよりもっとお年寄りは身体の不調を抱えていて、その気持ちが前より分かるようになりました。血圧が下がることで、どれだけ楽になるかって、正直ぼくらはそこまで身を持ってわからない。そのフィーリングを僕らも学べているなって思います」

選挙のとき、世の中を変えるって本当に難しいな、と思ったことのひとつが、日本におけるジェネレーションギャップと田舎と都会の意識の差だったという三宅さん。

そこを埋めるのは本当に難しい。けれど、ここで暮らして地域と関わっていけば自然とお互いわかりあえる。『三宅商店』が地域の商店になったことで、価値観を認めあう手段を得て、分断を超えていくのだ。

「地域で暮らしていると、このお店が地域にとってどんなに大切なお店なのかがわかるんです。暗くなるのが早いこの山間は、三叉路が真っ暗になってしまう。ここが本当に灯火だったんだって。気がついたとき、やるって決めてよかったと思いました。

あと、『ヤマザキYショップくずはら』は朝7時からオープンなんですが、幼い子を持つ僕らを気遣ってくれて、葛原さん自ら早朝の店番を買って出てくれたり、当面の家賃はなしにしてくれたり、そんな心意気は葛原さんの「ご先祖から受け継いだこの商店の灯りを消さない」という思いですよね」

葛原さんは朝の店番と、管理するキャンプ場の受付を引き続き商店で行う。

葛原さん「私も、ここに嫁いできて、先代にとても良くしていただきました。『三宅商店』になって私も店番をしますが、孫や娘息子がたくさんできたようで本当に嬉しい」

誰でもいいわけではない「あなた」に継いでほしいと言われたこと。一緒にやりたい、といってくれたこと。その思いに三宅さんは応えた。

こうして、彼らは、各々、持っているもの、できることを持ち寄り、お互い大切にしていることを認めあい、消えかけた商店の明かりを灯し直した。

継業は、ただ役割を受け継ぐのではなく、継ぐひとと継がれるひとがリスペクトを重ね一緒に歩んで次世代へつなげていくことなのだと、彼らのあたたかな関係性を見て、改めて思うのだ。


継いだもの:くずはら商店

住所:岡山県加賀郡吉備中央町小森1881

TEL:0867-34-9030

HP:https://miyakestore.com/

取材後、葛原さんからいただいた手づくりの柏餅。こうして、世代がつながることで地域の味もつながっていく

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