
出石地域で60年以上続く織物工場
兵庫県豊岡市にある出石地域は、かつて数百軒もの織物業者が集まる産地でした。正式には「但馬ちりめん」のブランドですが、地域では「出石ちりめん」として親しまれています。丹後ちりめんの産地である丹後地域と技術交流を重ねながら、独自の織物文化を育んできました。
そんな出石で1962年の創業から約60年以上にわたり織物業を続けてきた「永田清織物」では、工場兼展示・販売場および染体験スペースとして利用してきた建物を活用する方を募集しています。

代表・永田清さんは、用途を問わず建物を有効に使ってくれる方を探していますが、織物製造の経験があり、この場所で織物業を承継したいという方であれば、技術の指導や設備の譲渡も可能です。
高校卒業後、修行を経て独立創業
永田さんが織物の道に進んだのは、高校卒業後のことでした。地元で働きたいという想いから、豊岡市内で但馬ちりめんを製造している織物会社に就職します。
「給料はいらないから技術だけ勉強させてくれと頼んだんです。」
当時、その会社には120〜140台もの織機があり、永田さんは織機の修理部門で技術を学びました。成人式までに自立したいという強い意志を持っていた永田さんは、2年間の修行を経て21歳で独立を決意します。
「その会社の織手さんだった1人に頼んでこちらに来てもらい、実家の敷地内で小さな工場を始め、そこから今に至ります」当時は、出石地域だけでも相当な数の織物業者が存在しており、永田清織物が始めた頃にはすでに60以上の事業者がいたといいます。

最盛期には年商1億円、繊細な技術で培ったノウハウ
最盛期は昭和50年代から60年頃。全国的な絹ブームで、結婚式や葬式、学校の入卒式など、冠婚葬祭には必ず和装が用いられる時代でした。
「女性の方は学校行事でも必ず着物を着る。そういう時代だったんです」
最盛期には年商1億円を売り上げ、従業員も最大8名ほど。但馬ちりめんを製造し、数多くの製品を出荷していました。

織物の製造工程では、まず丹後や地元の業者から強力な撚り(より)のかかった絹糸を仕入れ、ジャカード機を使い経糸(たていと)と緯糸(よこいと)で柄を出していきます。完成した反物は、精錬所で仕上げ加工を施し、「但馬ちりめん」のブランドとして出荷されていました。
永田さんが織り上げた製品の中には、通産大臣賞を受賞したものもあり、確かな技術力が売上にもあらわれていました。

特に注目されるのが、通産大臣賞を受賞したパイルちりめん。西脇市にある繊維指導所の指導をもとに開発したもので、精錬すると溶ける糸を使ってパイル状に仕上げ、柄が表現されています。
「経糸の張力変化だけで美しい柄を織り上げる美しいちりめんや、経糸をシャーリングカットして柄をつくる技術も開発しました」
また、永田さんは趣味として型染めにも取り組んできました。工場の2階の1区画を工房にすることで、観光客や地域の方に向けた型染め体験教室なども開催してきました。

地域産業の歴史を感じる工場の譲り先を求めて
しかし時代とともに、和装は洋装へと移り変わっていきます。冠婚葬祭も貸衣装が主流となり、新たに着物を仕立てる需要は激減しました。
「着物だけじゃなく、住居も変わりました。畳が少なくなり、神仏に使う織物の需要もなくなって。業界全体が厳しくなっていったんです」
出石地域全体でも数多くあった織物業者ですが、現在では1〜2軒しか残っていないとのこと。永田清織物も徐々に事業を縮小し、今年6月まで細々と続けてきましたが、ご自身の年齢や体力面も考え、建物や設備を活用してくれる方を募集することにしました。
「この建物が有効に活用されることが一番大切。次の方のアイデアで、新しい形で出石の文化を発信していただければ嬉しいですね」
既存の織機などの設備も含めて活用してくれる方はもちろん大歓迎ですが、織物業に限らず、さまざまなアイデアでこの建物を有効に活用してくれる方からの応募をお待ちしています。
2階建て工場と展示販売スペース
事業所建物は2階建ての工場と平屋の展示販売スペースに分かれており、継ぎ手の方は建物所有者の永田さんから賃貸する形になります。
工場1階は織物製造スペースとして使用されており、広さは約100坪。工場2階の1区画については型染め体験工房で、その他は物置きとして使われています。2階の物置部分以外については利用が可能です。
平屋の展示販売スペースには、長年製造してきた反物やちりめん小物の在庫が保管されており、これらの商品在庫は、必要に応じて随時売り渡すことができます。また、出石藩ゆかりの屏風など歴史的な美術品も保管されており、展示場として利用する場合には無償貸与も可能です。

工場の1階全部、2階の1区画および平屋の展示スペースを合わせて、家賃は月7万円。新しい経営者の方の負担をなるべく少なくしたい、という永田さんの意向で価格設定されています。
また建物は、永田さんの自宅の敷地内にあるため、何かあれば永田さんにすぐご相談可能です。
使用可能な織機と必要な初期投資
工場には織機が19台あります。中にはすでに使用が難しく処分予定のものが10数台ありますが、使用可能な織機も残されています。
使用可能な織機は、通常の織機5台(900ジャカード織機)、千八(せんぱち)と呼ばれる千八織機2台、そして永田さんが10年ほど前に特注した1,200ジャカード織機1台です。
これらの織機は織物製造を希望される方に譲渡することが可能です。ただし、いくつかの織機については、実際に稼働させるために追加の設備投資が必要です。

「機拵(はたごしらえ)と言って、ジャカード(※経糸の上下を制御する装置)から下の鉛まで、経糸を一本一本手作業で結んでいくんです。これに1台あたり25万円ほどかかります。それに加えてジャカードの設置に約10万円。合わせて35〜40万円程度の初期投資が必要になります」
機拵は数年に一度やり直す必要がありますが、ジャカードは一度設置すればそのまま使い続けられます。
千八織機は、経糸を上げる針が通常の織機で900本あるところ、1,800本の針がある特殊な織機です。通常の織機の倍の細かさで柄を表現でき、美しい仕上がりが特徴です。

「1,200ジャカード織機は、通常の1.3倍程の糸数で織れる特殊なものです。より細密な柄を表現できるので、商品化を目指して開発していました」

織機以外にも、緯糸を巻き付ける管捲(くだまき)機など、織物製造に必要な設備が揃っています。これらの設備も、織物製造を希望される方には有償で譲渡可能です。
織物製造を行わない方が賃貸される場合は、織機などの設備は永田さんの方で処分しますので、広々とした工場スペースとして活用可能です。
出石の歴史と文化を次世代へ
永田さんが承継を決意した背景には、この建物と技術を無駄にしたくないという想いがあります。
「知人から『もったいないから活用してくれる人を探してみては』と勧められたんです。そろそろ工場をたたもうと思っていましたが、確かに60年以上続けてきたものを簡単に終わらせるのは惜しい」
出石地域の織物産業は衰退しましたが、それだけに残された技術や設備、そして歴史的な品々の価値は高まっています。
「出石には柳行李(やなぎこうり)から始まる1,200年の歴史があります。その流れの中で、私たちも織物を作り続けてきた。この歴史を次の世代に何らかの形で残せたら」

織物製造の経験者であれば、永田さんから直接技術指導を受けることも可能です。織物業に限らず、この場所を活用して新しい事業を始めたい方であれば、永田さんは歓迎してくれます。
地域の産業の歴史を感じる工場を次世代に残してくれる想いのある方からの応募をお待ちしています。
