〈2024年2月14日 譲渡条件を更新しました〉
江戸時代末期から続く温泉旅館「川津屋」
日本有数の豪雪地帯として知られる新潟県津南町。自然豊かな町の中でも、さらに“秘境”と言われる秋山郷の山中にポツンと佇む「川津屋」は、江戸時代末期創業の歴史ある温泉旅館です。
自慢の源泉掛け流しの温泉も、創業当初から200年以上湧き続ける天然温泉。詳細な年月は不明ですが、川津屋の創業者が知人と共に手掘りで温泉を掘り当て、この場所に旅館を建てたと言われています。かつては「薬師の湯」として親しまれ、川津屋のすぐそばを通る旧草津街道を行く商人や旅人の傷を癒してきました。江戸時代後期に活躍した新潟県出身の随筆家・鈴木牧之執筆の「秋山記行」には、当時の川津屋の写真が登場しています。
川津屋がある秋山郷は平家の落人伝説が残る地として知られ、大正・昭和の人気小説家・吉川英治氏も川津屋に滞在しながら「新・平家物語」を執筆しました。そのことから多くの小説ファンが訪れ、そのまま常連になったお客さんも多いといいます。
また、津南町は、2000年から続く地域アートイベントの草分け的な存在である「大地の芸術祭」の開催地でもあります。3年に一度開催されるトリエンナーレ期間には国内外から50万人以上が、期間外でも常設されたアート作品の鑑賞に多くの観光客、アートファンが訪れます。
継げない、でも「川津屋」を残したい
現在旅館を切り盛りするのは、川津屋4代目の吉野徹さんと早坂悠吾さん。ふたりの関係は、義理の親子です。もともとは神奈川県で暮らしていた早坂さん夫妻ですが、妻の実家の旅館が人手不足でピンチと知り、2年前から津南町へ移住。義理の父である吉野さんを手伝うようになりました。
それから3年間ふたりで営業を続けてきましたが、移住当初からいずれは第三者へ譲渡することを決めていたため、早坂さんは今も5代目を名乗らずにいます。移住前から接客業に従事していたこともあり、川津屋での仕事は自分に合っているという早坂さん。「自分が継ぎたい気持ちもある」といいますが、将来子どもが生まれた場合、山深いこの場所で暮らすのは難しいと考え、譲渡するまでの繋ぎ役に徹することを決めました。
しかし、先祖代々200年以上も大切に守り続けてきたからこそ、実際に宿を運営する後継者の顔も知らないまま事務的に事業と建物を売却し、川津屋を簡単に手放すことに抵抗もあります。後継者に向き合い、長い年月をかけて川津屋が培ってきたもの、そしてこの屋号を未来へ繋いでほしい。その思いから継業バンクを通して後継者を探すことにしました。
大自然の恵みを存分に味わえる宿
現在は1日2組限定で営業中ですが、客室は全部で5部屋あり、1日最大10~12名ほどの宿泊が可能です。昔からの常連さんも多く、由緒ある歴史や大自然に囲まれた絶好のロケーションから、コロナ禍以前は、人気の宿として賑わっていました。今後は、戻ってきたインバウンド需要を捕え、他にない特別な体験をもとめる外国人観光客を集客できる可能性は十分あります。
また、住み込みも可能で、現在は吉野さんと早坂さんも川津屋で暮らしながら営業をしています。
宿泊プランはすべて朝・夕食付きで、食事は山菜料理やジビエ料理をメインに提供。山菜料理は早坂さんが自ら採ってきた山菜を、そしてジビエ料理は古くから繋がりのある地元の猟師から仕入れた肉を調理しています。後継者には、山菜を採る場所やアク抜きの方法、地元猟師との繋がりなど、そうしたノウハウのすべてを引き継ぐことが可能です。
館内での宿泊業務はもちろんですが、周辺環境の整備や春の山菜採り、冬の除雪など、たとえ宿泊客がいなくても仕事は尽きません。しかし、そんな忙しい毎日でも、自然が近くにあることで心が癒されていると早坂さんは語ります。
「毎日忙しいですよ。でも、疲れても顔を上げれば綺麗な景色があるので、体感的にはそんなに疲れていないというか。予想以上に山の中にあるので、自然が好きな方なら絶好の場所だと思います」
やる気があれば、宿泊業以外の事業展開も可能
川津屋は、宿泊業以外にも惣菜やどぶろくの製造販売を行っています。旅館の他に山林もあり、裏山でキャンプ場として活用できるように整備しているので、宿泊業以外の事業展開も可能です。
宿泊業に専念するもよし。宿泊業と並行して、この場所でできることにどんどん挑戦するもよし。すべては後継者次第。秘湯と呼ぶにふさわしい圧倒的な自然環境と200年の歴史。近年、まちを上げて取り組んでいる世界的なアートイベントは、特別な体験を求める観光客を強く惹きつけるはずです。
360度見渡す限りの大自然と、江戸時代から続く歴史ロマンあふれる温泉宿「川津屋」。雄大な自然に囲まれたこの地で代々続く長い歴史を、10年先、20年先の未来へと紡いでくださる方をお待ちしています。