継ぐまち:新潟県新潟市
継ぐひと:難波章浩(Hi-STANDARD/NAMBA69)
〈 この連載は… 〉
後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。
取材・文:丸山智子 写真:涌井正和 編集:中鶴果林/浅井克俊(ココホレジャパン)
「大好きな飲食店が閉店してしまう」そんな経験に覚えはないだろうか。そしてあの味を2度と食べられなくなってしまう、店主に会えなくなってしまう…と寂しさを感じ、「後継者はいないのだろうか」と淡い期待を抱きつつ、閉店の日を迎えてしまったことが。
2021年11月、とある新潟の人気ラーメン店が、歴史に幕を降ろすことになった。その時「僕が継ぎます!」と名乗り出たのは、店主の血縁でもなく、飲食店経験者でもなかった。
彼の名は難波章浩ーーーバンドマン、国内外で活躍してきた “ハイスタ”ことHi-STANDARD、そしてNAMBA69のベースボーカル難波章浩さんだった。
今までの自分を支えてきた味がなくなってしまう
あっさり味のラーメンとラーメンチャーハンの店「楽久(らっきゅう)」は、新潟市西区の新潟大学や住宅街がそばにあるラーメン店だった。
難波さんの地元であり、サッカーに夢中だった高校時代に通い詰めていたお店だ。
「女将さんが店の味を0から作っていって、頑張ってどんどんおいしくなっていったの。それで常連になって、でも大学で上京してからは年に一回くらいしか行かなくなって…。ハイスタのことはいつの間にか知ってくれていて『あの曲いいわね』って言ってくれたのが嬉しくって。とにかく俺の一番のラーメンと言ったら楽久っていうくらい通ってたね」
東京での活動を経て難波さんは沖縄へ移住。その8年後の2009年に地元新潟に戻ってきた。再び頻繁に楽久へ通うようになったが、女将さんは2021年に店を閉めることを決断した。
「母親やママ(妻)の料理は別としたら、楽久のラーメンが今までの俺を支えてきた料理だし、子どもたち3人もこのラーメンを食べて育ってきた。その店が閉まると聞いた時は、もうガクンと落ちたよね…」
まるで今その瞬間に立ち会っているかのように、難波さんの声も表情も暗くなる。「やりきったから」と話す女将さんを前に、その場で難波さんは受け継ぐことを申し出た。しかし「難波さんには無理よ、大変だから」と断られてしまう。
それから半年の間考え続けた難波さんは、一つの決意を女将さんに伝えた。
「今の店を買い取って継ぐから、ばっちりラーメン作りを教えてください!」
伝説のバンドマンが手探りで継業へと邁進する怒涛の「なみ福プロジェクト」がスタートした瞬間だった。
たくさんの人が大切に思う味を受け継ぎ、自分の店へとアップデート
飲食店とアーティストの関わり方としてコラボやプロデュースはあっても、既存店の味を承継して、持続させていくことを目的とするプロジェクトなんて、前代未聞の無謀な挑戦と言っていいだろう。承継を掲げる以上、いくらおいしくても既存店のファンが納得できるものでなければ、評判は落ちる。リスクは高い。
しかも「継ぐ」と言っても、音楽活動がある難波さん自身が店に立ってラーメンを作ることは非現実的だ。飲食店を経営したり勤めたりした経験もない。そこで継ぐ上でまず必要になったのが、「人」「場所」「資金」だった。
店長になる人を探しに、時間をかけて人づてにたくさんの人に当たったが条件にあった出会いはなく、公募することに。そこで現在の店長の野口誠さんが応募し、約一ヶ月間の楽久修行を経て味を承継。店を閉めるギリギリのタイミングで間に合った。
もう一つの大きなハードルは「場所」だった。
当初は楽久の建物をそのまま使う予定で土地と建物を購入したが、駐車場が狭く、たくさんのお客さんが来た際には近所迷惑になることが予想された。新たな場所で開業することにしたものの物件探しも困難を極めた。
最終的にたどり着いたのは楽久から車で約20分、新潟市西蒲区に広がる海水浴場・角田浜の築50年の海の家だった。こころよく譲ってくださったこの物件を仲間達とDIYでリノベーション。味だけではなくこの建物もまた、地域の先人から承継したことになる。
資金の準備はクラウドファンディングで募り、目標金額1,500万円を超える2,137万4374円が集まった。この時のプロジェクト名が「なみ福プロジェクト」。
実は「楽久を継ぐ」と言った難波さんに女将さんがかけた言葉が「名前は変えなさい、難波さんのお店なんだから」。この言葉を「どんどん変えて、進化していっていい」という意味だと捉えた難波さんは、新店舗を「新潟ラーメンなみ福」という名前に決めた。「とにかくかっこいいんだ」と難波さんが話す女将さんの凜とした生き方が、この継業がスムーズに、そして発展的に実現した理由の一つのようだ。
そして2021年11月に楽久は閉店し、女将さんは引退。なみ福は2022年9月にオープンの日を迎え、整理券が出るほどの賑わいを見せている。
仲間を信じることで、「無理」を突破できる
人材確保、味の承継、物件探し、申請手続き、工事…さまざまなハードルをクリアしてオープンしても、機器の故障など、なみ福の立ち上げは順風満帆とは言い難い日々だった。
誰かに頼まれたわけでも、お金をもらってやっているわけでもない。話を聞けば聞くほど、プロジェクトの立ち上げから今日までいつ挫折してもおかしくない。継業ではなく、0から「難波章浩のラーメン店」として始めるならもっとスムーズだったかもしれない。でも難波さんが妥協せず、しっかりと継ぐことができた、その秘訣は「仲間」と「信じること」にあるという。
「最初から『事業』と捉えずに、味の承継だけに集中する。これまで音楽もすごい音を作ることだけに集中するところから始めていたし。そうすると必要な人が分かって、お互いの能力を持ち寄ってチームになる。集まった仲間は、委ねられる、信じられる人なんだ」
ラーメン店作りは、何十年も難波さんが培ってきた音楽と通じるものがあったわけだ。「農家さんと直接話して仕入れしたりとか、ラーメン店の経営は俺にとって新しい人生だけど、人との関わりは今までいろんなことをやってきたから、音楽やっている時とやっていることは変わらないのよ。自分たちで作る、これってインディーズだよね」。
同時に、関わる人が増えるほど、全員が同じ方向を向くことは難しくなるのではないだろうか。そこは「とにかく信じること」と難波さんはいう。もう無理だと思う場面はあるけど、それでも自分が信じた仲間ならできると任せる。うまくチーム編成をすればお互いが能力を出し合ってクリアできる。「たとえ最初うまくいかなくても『いや、待てよ。あの人はこのポジションなら活躍できるんじゃないか?』そんなふうに思うのは初めてなのよ」。なみ福では、求人に応募してきた70代のおばちゃんも活躍中だ。
今、日本で一番エンタメしている場所が「なみ福」
なみ福は、もはや「継業したラーメン店」の概念に収まりきらない施設になっている。店舗は大きく2つのゾーンに分かれており、入口側はカフェスペースとしてドリンクやソフトクリームを販売し、なみ福オリジナルグッズも取り扱う。そして奥へと進むと、目の前に日本海の絶景が広がる飲食スペースがある。
難波さんは「ラーメンもエンタメである」と言う。
「ここは毎日フェスやイベントをやっているようなもの。今日本で一番エンタメしているのはなみ福だと思う、断言する!」
新潟に戻って15年。難波さんは、継業して地域と新しい関わりが生まれた今をどう感じているのだろうか。
「全国にいいと思う移住候補地はあったのね。でも新潟が本当に最高で、生まれ育った土地が一番いいって気づいて、それってすごく嬉しくて」
この思いは楽久、そしてなみ福への思いにも重なるものがあるという。
「日本中のおいしいものを食べてきて、俺もまさかと思ったの。日本一だと思うラーメンが近所にあるって。だから自分が一番と思った味を信じようと思ったの。正直焦ったよ、まさか継ぐことになるなんて。できなくなりそうな時はいっぱいあったけど、信じていたら本当にたくさん仲間が助けてくれたんだ」
楽久の女将さんが受け継がれた味をどのように感じているのか気になるところだが「俺がいない時だったけど、2回来てくれて店長に『本当においしい』って言ってくれたんだって」と難波さん。
「女将さんはすごくクールな人だから、『味を承継できてよかった、嬉しい』と思っているかはわからない。教えることは教えるけど、あとは難波さんのお店だから、という姿勢だった。ラーメンを作れる女将さんじゃなくて、俺は女将さんのことが好きだったわけよね、結局」とはにかんだ笑顔が印象的だ。
継業することで新しく見えた景色の、その先へ
楽久の味を受け継いで、難波さんが満足することはない。
「味を守るのはマスト。この味を届けて『おい、マジでうまいじゃん!』と思ってもらいたい。最終目標はないけど、まずは広い駐車場で夏には祭りを開いて、盆踊りをしたい。カフェスペースのメニューも増やしたり、夜は静かなバーにしたり。そんなちょっと先のやりたいことはあって…飲食の楽しさや喜びを本当に知っちゃったんだよね。あと目の前の海にはゴミが流れ着くから、何か環境に対してアクションしていきたいとも思っていて」続々と出てくるアイディア。承継のその先へ、難波さんの人生は新しい章が始まったと言っても過言ではなさそうだ。
「承継するって素晴らしいことだと思うけどマジで大変だから、本気でかからないといけない。仲間がいないと多分無理。でも、本気で新しいことをやりたい、人生ガラッと変えたい、料理人や農家の味を絶対に守りたい、という気持ちがあるなら、地元じゃなくても各地にはものすごい財産が眠っていると思う。いい形ができたら必ず味は蘇るし、新しい自分たちの感覚で、世代を超えたところで食べてもらったり、表現したりする空間を作ることができるよ」
実際にやった人だからこその、心からの言葉が響く。
「再び新潟で暮らすようになってなみ福を作ったことで、新潟に生まれていなかったとしても選んだんじゃないかというくらい、新潟の新しいいいところを知ったわけ。おいしい食べ物、お店、農家さんともたくさん出会って、会う人がみんなものすごく勉強させてくれる。それは音楽だけやっていたら絶対分からなかった、承継したからこそ分かったことだと思うね」
継いだもの:楽久、改め 新潟ラーメン なみ福 角田浜本店
住所:新潟県新潟市西蒲区角田浜1069-1
問い合わせ先:info@namifuku.jp
WEBサイト:https://www.namifuku.jp/
新潟ラーメン なみ福からのお知らせ
2022年12月末の想像を超える大雪、強風を受け、お客様とスタッフの安全を考慮して、角田浜本店を春までお休みし、女将さんから譲り受け、冷凍なみ福ラーメンの製造拠点としていた「新潟ラーメン なみ福 新大店」にて、冬期限定営業を2023年1月20日から開始しました。
新潟ラーメンなみ福 新大店 冬期限定営業
春まで【新大店】にて冬期限定営業中。
※角田浜本店は春までお休みです。
●営業時間:11:00〜14:00
●定休日:月曜・火曜・水曜
●カウンター
※スープが無くなり次第終了となります。ご了承ください。
※駐車場はございません。公共の交通機関をご利用ください。
※春から角田浜本店で営業いたします。
新大店でも、なみ福グッズも販売しております!
冷凍なみ福ラーメンはWEBサイトで販売しております!ぜひ、ご覧ください。
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