真の豊かさを味わえる田舎暮らし
京都市内から鉄道で約2時間の場所に位置する京丹後市弥栄町に、8世帯が暮らす「来見谷(くるみだに)集落」があります。6軒が移住者、2軒がUターンで構成され、子供のいる30代から70代前後の人たちが暮らしています。
2008年にこの集落へ移住して16年目を迎える飯島さんご夫婦は、1904年(明治37年)築の古民家を居住と宿泊営業ができるよう大規模に改修し((隣接別棟の新築を含めて総工費約3,000万円)、2009年から1日1組限定の「田舎体験の宿 LOHASくるみ谷」を営んできましたが、今後のライフステージを見据えて、オンリーワンの暮らし方を志す、次世代の後継者に建物と設備・備品類を好条件で譲ることを考えています。
パーマカルチャーを実践
宿のコンセプトは、「LOHAS(ロハス:Lifestyles Of Health And Sustainability)=健康で持続可能な暮らしかた」を体験し、これからの暮らしや社会のあり方など、考え合い語り合える「大人の隠れ家」です。
徒歩圏内にコンビニなどのお店はなく携帯電話の電波も入りにくい環境ですが、都会の喧騒を忘れて、田舎暮らしを満喫するには最高の環境です。以前はペット同伴で宿泊を受け入れていたので、田舎暮らしに興味があるひとだけでなく、ペット連れの夫婦や家族が年間約100人宿泊していました。
家のまわりに広がる約1反(1,000㎡)の農地を借りて、主要な野菜やお米は自分たちで栽培したり、薪ストーブを導入したりと、可能な限り自給自足の生活を送っている飯島さん夫妻。さらに、トイレの汚水はオリジナルの処理層を使い、液体肥料としてパイプラインを通して農地で活用。その他の生活排水はグリストラップを介して田んぼへ流入させて浄化し、環境への負荷を限りなく減らした暮らしを実現しています。
こうした暮らしかたは、LOHASという言葉のほか、パーマネント(永続性)、アグリカルチャー(農業)、カルチャー(文化)を組み合わせた「パーマカルチャー」としても知られています。
10カ年計画を立てて移住
飯島さんが来見谷のことを初めて知ったのは、2000年頃のことでした。京都生活協同組合に勤務し京都市内を中心に業務にあたっていましたが、環境問題への意識を高めていた頃に丹後支部への赴任の機会を得て一時的に京丹後市に住むことになったそうです。
「京都市内の便利な都市生活とは正反対。不便はあっても人はあたたかい。空気はきれい。水は旨い。ここには本物の豊かさがある。そう思い、10年先を目指して移住計画を立てました」
赴任終了後も、数年間は通いながら地域住民との関係性を築き、現在暮らす古民家に出会ったことで53歳の時に早期退職し、2008年に京丹後市に移住。生協勤務時代に省エネやリサイクル促進など環境問題への知見と関心があったことで、排水設備を自作するなど、暮らしの基盤を築いてきました。
宿泊客との交流を通して自身のように移住したい人たちの相談に乗ってきたという飯島さん。今後の新たなチャレンジとして、「楽園塾」という講座を宿泊者向けに開講し、移住に迷っている人や住まいの情報を提供していこうと考えているそうです。
施設を活用した事業展開を
飯島さん夫妻の生活基盤は、宿泊事業だけではありません。野菜や米を栽培しているので、ある程度の自給自足はできますが、農業と宿泊業だけで生計を立てるのは難しく、パートナーは経済的に自立しており、篤さんはもっぱら兼業主夫とのこと。
2010年、京丹後市に「どぶろく特区」認定を働きかけ、飯島さんを含む3軒の農家民宿が共同でどぶろくを製品化し、2011年6月から宿泊客への提供もはじめました。飯島さんが栽培する有機栽培米と、くるみ谷の水を活かすべく独自に酒造免許を取得し、「くるみ谷のどぶろく人生楽事」という製品も作っています。
「後継者に希望するのは、環境にやさしく持続可能な暮らしかたに志を持ち、この建物や農林、土地を大切にしていただけること。また、経済基盤やキャッシュフロー計画を持っていることが大前提です。バトンタッチした後は、宿泊事業のみならず、レストランやライブハウス、アトリエなど、創造的な事業展開に期待しています。どぶろくの製造免許を引き継ぐことも可能です。」
飯島さんの考えやライフスタイルを受け継ぎたいという後継者候補の方には、お互いのことや地域を深く知ってもらうため、数年かけて定期的に来見谷に通っていただきたいと考えています。
当面は今の仕事や住まいを維持しながら、京丹後市との2拠点生活でパーマカルチャーを実践する暮らしにシフトして、自分たちの叶えたい暮らしをつくってみませんか?