廃業させるつもりが一転、継業へ。地域の獣医療を守る「中村動物病院」 | ニホン継業バンク
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2023.10.12

廃業させるつもりが一転、継業へ。地域の獣医療を守る「中村動物病院」

連載「継ぐまち、継ぐひと」

継ぐまち:熊本県荒尾市

継ぐひと:中村太一、中村志野

譲るひと:月岡祐介

〈 この連載は… 〉

後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。

取材・文:前田美帆  写真:柚上顕次郎  編集:中鶴果林、古橋舞乃(ココホレジャパン

熊本・荒尾市で42年続いた月岡動物病院の閉院

福岡県との県境に位置する熊本県荒尾市。この地で42年もの間、地域の動物たちを守り続けた動物病院が、2022年4月に閉院した。国道208号線沿いのピンク色の建物がトレードマークだった、月岡動物病院だ。

熊本県荒尾市で42年間診療を続けてきた月岡動物病院(画像提供:月岡祐介さん)

月岡動物病院は1980年開業。院長である月岡純一さんの次男・月岡祐介さんは、動物病院兼自宅があったこの場所で生まれ育ち、獣医師として働く父の姿、そして月岡動物病院の長い歴史を見守ってきた。祐介さんが今、心臓外科医として働いているのも、父である純一さんの影響が少なくない。

「白衣姿で、いつも消毒の匂いをさせていた父が印象に残っています。笑顔で帰っていく患者さんを見て、白衣姿の父を誇らしいと思っていましたし、小さな頃から医師への憧れはありました」

幼い頃は動物病院を継ぐことも考えていたが、成長するにつれて父との衝突も増えていった。家業を継ぐ選択肢はいつしかなくなり、大学は獣医学部ではなく医学部へ入学。大学進学と同時に上京し、卒業後は東京都内で心臓外科医として働いていた。

月岡動物病院の開院当時の様子。中央が祐介さんの父・純一さん(画像提供:月岡祐介さん)

熊本と東京。物理的な距離もある中で父との関係も疎遠になり、たまに会っても小さな揉め事が続いた。そのうちに結婚し子どもが生まれると、関係はさらに悪化したという。

「父が孫のことでいろいろ言ってきたりして、細かないざこざが積み重なっていきました。それで2018年に喧嘩をして、そのまま決裂してしまって。それ以来、連絡も全く取らなくなってしまったんです」

しかし、それから3年以上が経った2021年の年末。突然、父が倒れたという連絡が入ったのだった。

「2019年に父は脳梗塞になり、そのあたりから認知症が悪化してしまっていたようです。そして2021年の冬に全く歩けなくなってしまい、仕事も立ち行かないということで突然私に連絡が来ました。それで慌てて地元に戻って、動物病院をどうするか考えなければいけなくなったんです」

心臓外科医として働く月岡祐介さん。現在はシカゴ大学に留学中のため、オンラインでの取材となった

父の介護や動物病院の経営、実家の整理など、やることは山積みだった。それまで、心臓外科医としてのキャリアに邁進していた祐介さんも、失意の中で休職を決意。実家のある荒尾へ戻ったのは、2022年4月のことだった。

嫌いだった父の思いに触れ、“潰す気満々”から一転

「それまでは動物病院の存続について全く気にしてなかった」と話す祐介さん。すっぱりと月岡動物病院を閉院し、土地も売却しようとしていた。しかし、いざ荒尾に戻ってみると、物語の展開は180度変わってしまう。

「荒尾に帰ってきて認知症になってしまった父と触れ合ううちに、小さな頃の思い出や、大事に育ててくれた記憶が蘇ってきたり、あるいは認知症で文字も上手く書けない中で、私に対して『迷惑かけてごめん』や『ありがとう』とミミズのような文字で書いているのを見て、ジーンときてしまったんです。次第にこの場所をなんとか残せないかと強く思うようになっていきました」

実家には祐介さんへ宛てたメモ書きや写真が大量に残されていた。それらを整理しながら、ずっと嫌いだったはずの父の温かな思いに触れ、いつしか心は動物病院の存続に向けて動き出していた。

存続のためには、まずはここで診療してくれる獣医師がいなくてはならない。「唯一の趣味がTwitter(現:X)」と話す祐介さんは、帰省した月末には「獣医師募集」をTwitterに投稿し、承継者探しをスタート。「ワンチャン見つかれば」という気持ちで投稿した、まさにそのツイートを見て連絡をしたのが、2023年に月岡動物病院を受け継ぎ「中村動物病院」を開業した中村太一さん、志野さん夫妻だった。

中村太一さん(右)、志野さん(左)夫妻

“動物のお医者さん”のイメージにぴったりの柔らかく温かな笑顔に、落ち着いた雰囲気を纏うふたり。夫の太一さんが犬・猫、妻の志野さんが牛をメインに診療する獣医師夫婦だ。太一さんは荒尾市出身で、月岡動物病院は中学校の通学路の途中にあった。当時飼っていた動物を連れて行ったことはなかったが、「ピンクの動物病院」として長年記憶に残っていたという。

そんなふたりが月岡動物病院の承継者募集に応募したきっかけは、たまたま祐介さんのTwitterをフォローしていた友人が「こんな募集があるよ」と教えてくれたこと。いずれは独立開業を視野に入れていた太一さんとしては興味のある話だったが、実際の独立は少し先のことだと考えていた。それ故に、そのままストレートに話が進んだわけではなかった。

一般的な獣医師のキャリアとしては、勤務医として経験を積みながら開業資金を準備して独立するケースが多いという

「犬猫を診るのならば、いずれはどこかで自分のクリニックを開業しようとは思ってました。ただ、そのときは勤めていた動物病院で多くの診察や手術を任せてもらっていた時期だったので、『(将来の選択肢として)興味はあります』ぐらいで問い合わせたんです。そしたら月岡(祐介)先生から『すぐに継いでほしい』と返信があって『それはちょっと厳しいな』と。それで承継の話は一旦止まっていました」

太一さんとしては「せっかく地元だったのに」と残念に思いながらも、当時はそのまま話が流れてしまう。しかしそのすぐ後に、再び月岡動物病院との接点はやってきた。

「月岡先生がウェットラボの参加者をTwitterで募集されていたので、『参加させてください』と連絡したのが2回目のやりとりでした。そのウェットラボで初めて月岡先生にもお会いしたのですが、手術時の道具の持ち方や細かな手の動かし方など、とてもたくさんのことを夢中で教えていただき、予定時間をあっという間に超えてしまったくらいです。そしてその実習が終わったあと、月岡先生から『ちょっと話を聞いてくれ』と言われたんです」

※ウェットラボ=手術の手技の練習を行う場のこと。月岡祐介先生指導のもと、休業中の月岡動物病院で心臓外科手術の練習の場として開催された。

もともと職場の都合で別々に暮らしていた中村さん夫妻。当時は、一緒に住むべく志野さんも退職を考え始めるなど、転換期を迎えていた

このとき、病院の歴史や院内設備の紹介、さらには承継するメリットや病院の収支などがまとめられたスライド資料をもとに、祐介さんによる熱いプレゼンが行われた。ここまでしっかりしたプレゼンがあったということは、以前から祐介さんの中で「中村さん夫妻に継いでほしい」という思いが固まっていたのかと思いきや、そうではなかったそうだ。

「中村先生からはメールで『独り立ちするのが不安だ』と伺っていました。その気持ちは同じ医療従事者としてとてもよくわかるので、元々は『どうしても継いでほしい』というわけではなかったんです。ただ、ウェットラボで拝見したときに、お二人とも手技が非常に上手で、人間の心臓の手術をしても大丈夫そうなくらい才能が卓越していたんですね。これだけの才能があれば、外科的なことにおいては独り立ちしても全く問題ない。これは無理矢理にでもお願いする価値があると思いました」

シカゴでの留学の様子や家族との日常のやりとりを投稿する祐介さんのTwitter(@TsukiokaYusuke)は、現在1.6万人のフォロワーがいる

いわゆる“一目惚れ”に近かったのかもしれない。中村さん夫妻の優れた技術と柔らかな人柄に、「この二人だ」と確信した祐介さん。プレゼンには自然と熱が入り、話の序盤からつい感極まってしまったそうだ。そのときの状況について、中村さん夫妻と笑い合いながら「完全に泣き落としだった」と振り返る。

「全くそんなつもりはなかったのに、プレゼンの初っ端から涙が止まらなくなっちゃって。もう完全に泣き落としでした(笑)。あの状況で断る人は相当ヤバいと思います。それくらいの状況だったので、お二人にはちょっと申し訳なかったです」

志野さんも「あの時はちょっとあわあわしました」と笑った

そんな猛プッシュを受けて、今すぐの承継は難しいと考えていた太一さんの心も動き始める。

祐介さんから提示された承継の条件は「この場所で動物病院をやること」だけ。むしろそのほかは、建物を全面改装してから引き渡すことや、賃貸での入居も可能であること、院内設備や機材もそのまま使えること、長年働くスタッフも残る意思があることなど、本気で「継いでほしい」と思うからこそ二人をバックアップする条件が揃っていた。とはいえ、祐介さんとはSNSを通じて出会ったばかり。最初は不安もあったと太一さんは話す。

「ネットで知り合ったばかりの人ですし、『騙されてないかな?』とはやっぱり思いますよね(笑)。だって、病院を継いでほしいなんて普通はお願いされないですから。でも、とても一生懸命に『継いでほしい』と言われて、さらに『大丈夫、君ならできる』と背中を押してもらいつつ、もう断れるような状況でもなくて。しかも、承継の条件もほぼ開業資金がいらないような、とても良い条件であると。断る理由がなくて、最終的には『やります』と回答しました」

急な退職の申し出を受け入れてくれた職場への感謝も口にしていた太一さん。当時の職場の先生方は今でも中村さん夫妻を応援してくれているという

最初の問い合わせからここまで約1ヶ月。最低でもあと3年は獣医師として経験を積んでから独立したいと考えていた太一さんが、このスピードで独立・承継を決断できたのは、他でもない「君なら大丈夫」という祐介さんの後押しがあったからだ。そしてそんなふうに太一さんの背中を押すことができたのは、人と動物の違いはあれど、自身も医師として第一線で活躍してきた祐介さんだからこそ。「お二人の成功には自信がありましたし、今もあります」と話す祐介さんの言葉は、今も確信に満ちている。

月岡動物病院から、中村動物病院へ

そうして太一さんへの承継が決まると、すぐさま月岡動物病院のリニューアルに向けて動き出した。建物の改修が必要なところを洗い出し、業者探しをスタート。当時は勤務医として働きながら、承継準備を進める目まぐるしい日々だったという。最終的には知人から紹介してもらった地元企業の力を借りて、施工完了を翌年(2023年)の春になんとか間に合わせてもらい、再オープン日を2023年4月と決めた。

改装後の受付。院内はほとんど全てリニューアルされ、新築のように生まれ変わっている

改装工事が始まった2022年12月には、祐介さんの父・純一さんが代表を務める「有限会社ムーン企画」が太一さんへ引き継がれた。月岡の「月」からとった「ムーン企画」という法人名は、それから半年が経った今もそのままだ。さらに、最終的には周囲の薦めで変えた病院名も、当初は「月岡動物病院」のまま残すことを検討していたという。そんな中村さん夫妻の思いは、「月」が入った中村動物病院のロゴマークにも表れている。

「(月岡動物病院時代の)スタッフも残っているし、建物や機材、患者さんも残っているんだけど、外観を前院長が好きなピンクから全部塗り替えちゃったので、形として何か残したいという思いがあり、ロゴに月を入れました。業者さんには私の変な凝り性に付き合って何往復もやりとりをしてもらったので、予定以上に時間がかかってしまい、開院時に看板の設置は間に合いませんでした」

太一さんの手描きをもとに仕上げてもらったというロゴマーク。志野さんがメインで診療している牛も入っている(現在は休診中)

さらに、承継に向けた準備の合間には、中村さん夫妻のご両親や太一さんの元職場へ、祐介さんが直接挨拶に行ったそうだ。実際に顔を合わせたことで「周囲の人たちにも安心してもらえた」と太一さんは振り返る。

「最初、周りは『SNSで出会った怪しい人から病院を買うなんて』というような反応でした。そんなところへ月岡(祐介)先生に来ていただいて、その人柄を見て『爽やかで良い方だね』『本当によかったね』と言ってもらえましたし、それまでの不安そうな顔はスッとなくなりました」

人生がかかっているだけに、ふたりを心配していたのだろう。挨拶へ行った理由について「(承継によって)中村先生のライフプランを変えてしまったので、少なくとも挨拶だけはしておかなければと思いました」と話す祐介さんの丁寧で誠実な人柄は、不安を感じていた二人の家族にもしっかり伝わっていた。

一方で中村さん夫妻も、前院長の純一さんはもちろん、月岡家のご親戚にも対面したという。認知症を患う純一さんも、中村さん夫妻に病院を継いでもらったことを理解し、喜んでいたそうだ。

前院長・月岡純一さんと中村さん夫妻。改装前の月岡動物病院の前で撮影した一枚(画像提供:中村太一さん)

「承継してもらったことは父も理解していて、毎回『よかったよかった』と言っています。中村先生ご夫妻にお会いしたときには『こんな素晴らしい獣医師のご夫妻が荒尾にいるなんて信じられない』とすごく喜んでいました。さらにうちの親戚みんなに会ってもらったんですよ。とても好印象で『あんないい人たちが来てくれてよかったね』って。『何かあったらバックアップするよ』とみんな会うたびに言っています」

そんな話を聞いていると、“継業”とは結婚のようにも思えてくる。事業の承継をきっかけに、当事者のふたり、そして時にはその家族も含めた双方の歴史が重なって、新たな未来が描かれていく。第三者承継では互いの家族まで知っているケースの方が少ないかもしれないが、家族の歴史そのもであった月岡動物病院だからこそ、親族を含めた多くの身近な人たちに見守られ、温かな思いに満ちた承継になったのだろう。

中村動物病院の外観。建物の形はそのままに、かつてピンクだった外壁をさわやかな青色に変えた

そんな約8ヶ月間の準備期間を経て、2023年4月「中村動物病院」が開業。「月岡動物病院」と同じ場所で新たなスタートを切った。開院以来、月岡動物病院時代の患者さんも続々と訪れている。

「月岡動物病院時代の患者さんもとても多いです。よく『月岡先生には本当に良くしてもらった』とか『ほかの病院では断られたけど、月岡先生に手術してもらったからこの子は今生きているんだ』と言われたりして、前院長が今までどんなふうにお仕事されていたのかを感じながら診察しています。特に高齢の患者さんたちには、助けてもらった、優しい言葉をかけてもらった、とよく言われますね」

月岡動物病院時代からいる、猫のしらたまちゃん

長い間、純一さんとの不仲が続いていた祐介さんも、今回の承継に対する反響から初めて父の仕事ぶりを感じることができたという。

「父は結構クセがあって、患者さんともケンカしていたような人なので、Twitterでリニューアルオープンの告知をしたときもネガティブな反応を覚悟していました。でも意外に、近隣にお住まいの方からも『よかったです』という反応が多くて、ちょっとビックリしたんです。私は父のパーソナリティが非常に嫌いで、ずっと『何やってんだ』という感じで見ていたので、まったく知らない第三者から評価してもらえていたことを知れて良かったです」

月岡動物病院の承継を経て、祐介さんは「父に対する感謝の気持ちが湧いてきました。有難い経験でした」と振り返る

質の高い獣医療を荒尾から提供したい

「中村動物病院」として歩み始めて約半年。今後について太一さんは、地元の荒尾でより質の高い獣医療の提供を目指したいと語る。

「全国的に見ても、地方になればなるほど獣医師の数も少ないですし、受けられる獣医療のレベルは下がります。その中で、大学時代や勤務医時代に指導を受け学んだ知識や技術をさらに磨いて、近隣の先生方のお力も借りながら、荒尾でより良い獣医療を提供したいです。そのために機械も新しくアップデートします。高度医療とまではいかないですが、できる限り最新の医療を地元で受けられるよう努力していきたいですね」

近年、地方の医療確保の課題は度々話題になるが、それは大事な家族の一員であるペットも同様だろう。今回、月岡動物病院が名前を変えて同じ場所で存続したことは、荒尾はもちろん、近隣地域にとっても価値のあることだったはずだ。

手術台やエコーは、先代が使っていたものが比較的新しく高性能だったため、現在もそのまま使用している

祐介さんの心変わりから始まり、わずか約2ヶ月で地元出身の獣医師である中村さん夫妻に出会えたのは、まさに運命のようだ。しかしその“運命”も、祐介さんの「この場所を残したい」という思いが引き寄せたに違いない。それは継ぐ側の気持ちに寄り添い、どうしたら継いでもらえるかを考えた結果であり、当初は難しいと考えていた中村さん夫妻もその思いを受け取って、互いに歩み寄るようにして実現した継業だった。

最後にこの承継について、地元への思いとともに祐介さんらしい言葉でこう振り返る。

「数ヶ月間、これまで蔑ろにしていた実家や地元のことに注力して取り組めたことで、今まで感じていた“負い目”みたいなものが少しだけなくなった気がしています。偶然なのか、運命なのかはわからないですけど、何よりこんなに優秀なお二方を僕のTwitterで荒尾に連れてこれたのは、本当に『自分よくやったな』と思います。奇跡です」

独自のユーモアを交えながら話す祐介さんとのやりとりは、終始笑顔が絶えなかった

祐介さんの生まれる2年前、1980年に開院した月岡動物病院。病院の発展とともに、月岡家の子どもたちの成長や家族の歩みをずっと見守ってきた。それから40年以上が経ち、「中村動物病院」として生まれ変わった2023年、中村さん夫妻に第一子が誕生した。ここからまた、新たな家族の歴史が紡がれていく。患者さんたちの笑顔とともに。

取材時は妊娠中だった志野さん。このときは出産予定日の2週間ほど前だった

継いだもの:動物病院

住所:熊本県荒尾市荒尾2058-1

TEL:0968-62-7755

ホームページ:https://hill-moon.jp/

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