ぼくは中継ぎ役。43年続くまちの味を守るために挑戦する喫茶店「五番館」 | ニホン継業バンク
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2022.02.07

ぼくは中継ぎ役。43年続くまちの味を守るために挑戦する喫茶店「五番館」

連載「継ぐまち、継ぐひと」

継ぐまち:宮崎県日南市

継ぐひと:姫野慈人

譲るひと:吉本敏子、吉本清太郎、小森一郎

〈 この連載は… 〉

後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。

取材・文:中鶴果林 写真・編集:浅井克俊(ココホレジャパン

43年の歴史が途絶えるなんて、信じられなかった

宮崎県南部に位置する日南市。空港のある宮崎市から日南市まで南北に伸びる海岸線は「日南海岸」と呼ばれ、車窓から見える青い海やフェニックス(ヤシの木)に、南国気分が高まる。快晴が多い日南市はプロ野球チームのキャンプ地としても賑わい、日南市の中心地からほど近い油津駅には広島東洋カープのデザインが施されている。

2018年2月に赤く塗りかえられた駅舎。「カープ油津駅」の愛称がつけられたそうだ(画像出典:宮崎県観光協会)

油津駅から徒歩5分ほど歩くと、「日南の奇跡」として注目を集めた油津商店街が見えてくる。シャッター街だった商店街に4年間で29の施設を誘致し、地方創生の成功事例として注目を集めた。

多くの地方自治体は、人口減少に歯止めをかけようと地方創生に取り組んでいるが、まちの資源である小規模事業者の廃業は深刻化している。要因として考えられるのは、後継者不在や新型コロナウイルスの影響による経営難だ。

日南市でも、2021年1月に老舗喫茶店「五番館」が43年の歴史に幕を下ろした。

油津商店街と堀川運河の中間地点にある五番館。五番館という名前の由来は、当時お店を構えていた場所が、五番街という名前の商店街通りであったからだという

日南市民であれば知らない人はいないほど、地域に根ざして営業してきた五番館。看板メニューは「鉄板焼きそば」や「ナポリタン」。毎回同じメニューだけを注文する常連客も多いという。

看板メニューの鉄板焼きそば。卵をくずして絡めるのが通な食べ方だ

2021年7月に五番館を継業し、現オーナーを務める姫野慈人さんも、五番館のファンのひとりだった。数年ぶりにお店を訪れたら閉店したことを知って驚いたと振り返る。

「43年も続いた場所が途切れるということが信じられなくて。誰も継ぐひとがいないからなくなってしまうのは、寂しすぎると思いました」

姫野さんは日南市北郷町の出身で、10年前に設立した「NPO法人ごんはる」の理事長を務める

突然の閉店に驚いた姫野さんは、高校時代からの友人であり、五番館のウエイターとして27年間勤務していた吉本清太郎さんに話を聞くことにした。

五番館は、清太郎さんのお母さまである吉本敏子さんが創業した。創業にあわせて、敏子さんの甥である小森一郎さんがシェフに就任。それ以降、小森さん夫妻がシェフとして厨房に立ち、家族経営で営まれてきた。

しかし2020年のある日、一郎さんが調理場で転倒し、腰の骨を折る大怪我をしてしまう。少しの間だけお店を閉めて、体調が回復したら再開するつもりだったが、新型コロナウイルスの状況は悪化。飲食店の置かれる状況は厳しさを増し、2021年1月末に「再開はしない」という決断を下した。

久しぶりに会った友人に廃業の経緯を聞いたものの、その場では受け入れるしかなかった。しかし、次第に「五番館がなくなるのはもったいない」と思うようになったという。継がせてもらえないかと、吉本さんを再び訪れたのは2021年の春だった。

「今から私が43年お店をやろうと思ってもできることではない」と、長く続いてきた五番館の意義を語る

偶然お店を訪ねて廃業を知ってから約3ヶ月。悩んだ末に姫野さんが出した答えは「五番館を継ぐ」ことだった。友人の清太郎さんを通して、創業時のオーナーである敏子さんに意向を聞いてもらった。即答ではなかったというが、数日後に返ってきたのは、「いいよ」という返事だった。

生まれ育った日南に恩返しをするつもりで継業

「実はね、日南には出戻りなんですよ」

東京人になりたくて仕方なかったと笑って話す姫野さんは、3回も上京したという経歴を持つ。

「東京人になりきれなかったんです」昔から日南のために活動しようという気持ちがあったわけではなかったという

しかし、転機が訪れたのは40歳のとき。3度目の東京生活を送っていた頃、日南市の地域おこしの事業で声がかかった。地域の特産品をネットで販売するまでの工程を手がけるなど、地域に根ざした活動を広げていった。その中で手がけた、農家さんの果樹を商品化する事業を続けるために、NPO法人を立ち上げた。「地域づくりを担う団体をふるさとに」を掲げ、現在は蜂の巣公園の指定管理事業や飫肥杉の工芸品の製作や、加工品のネット販売を手がけている。

「NPOを立ち上げた時から、生まれ育ったまちに何ができるのかを考えていました。この先、日南市に恩返しできることなんてないだろうし、五番館を引き継いだ今もその気持ちは変わっていません」

姫野さんが継業する以前にも、違う店舗としての賃貸希望や、メニューだけを売ってほしいといった問い合わせもあったそうだ。しかし、それでは五番館を引き継ぐことにはならない。

五番館が別の形で承継されるかもしれないという話を聞いて「好きな子がとられるような気持ちになりました」と笑って振り返る

「廃業した理由が、シェフの怪我や新型コロナウイルスの影響というやむを得ない理由だったので、五番館として続くことが一番いいのかなと勝手に解釈して、やらせてほしいと言いました」

スタッフ体制やメニューを刷新

姫野さんはNPO法人の業務とは別に、個人事業主として建物を賃貸する形で五番館のオーナーに就任した。NPOの活動で野菜の即売所兼うどん屋さんの経営に携わってきたというが、飲食店を経営するのは全くの未経験だ。

鉄板焼きそばに並んで人気のナポリタン。姫野さんの遊び心でハートのお皿を2枚だけ新調したそうだ

店の引継ぎが決定してから、まずはスタッフの募集を始めた。日南に住む人なら知っている「五番館」の募集とだけあって、求人への募集は比較的スムーズだったという。6人を雇用し、そのうち4人の料理好きなメンバーが集まった。

その中から店長に抜擢されたのは、「いつか将来自分のお店を持ちたい」と考えていた南村絵理香さん。直前までの10年間は違う業界で働いていたが、飲食店経営は全くの初めてだという。

3人のお子さんのお母さんでもある南村さん。「子どもたちは、あの五番館の店長になるの?とびっくりしていました」

今までは夫婦ふたりだけで調理していたが、スタッフ全員が調理できるオペレーションにするために、メニューの数を見直した。人気メニューの「鉄板焼きそば」「ナポリタン」を含む6品は引き継ぎ、宮崎名物である「辛麺」の提供を始めるなど、新しく追加したメニューもある。

以前は倍以上メニューがあったというが、オペレーションを考えて数を減らした

姫野さんの継業にあたって背中を押してくれたのは、宮崎市内で居酒屋を経営する友人だった。五番館らしさも引き継ぎつつ、新しいチャレンジをしようと試みる姫野さんに、辛麺を提供できるよう、宮崎市に本店を構える「麺屋つつみ」の社長を紹介してくれた。

名前の通り、辛いけど箸がとまらない宮崎発祥のラーメン「辛麺」

辛麺の提供を始めた理由は、新しい客層を開拓するためだという。

「以前は夜の時間もランチメニューを提供していたんですが、夜は趣向を変えて違う客層も呼び込もうと思って。お酒に合うような鉄板焼きメニュー展開が吉と出るか凶と出るかは、今はまだ分かりません」

新メニューのプリン・ア・ラ・モード。2人で意見を出し合いながら楽しそうに相談していた

採用したスタッフと一緒に姫野さんも調理場に入り、3ヶ月弱の引き継ぎ期間を経て、五番館が再開したのは2021年7月4日だった。

味が変わったという噂が広まった

再オープン後は、五番館の復活を待ち望んでいたお客さんが来店。しかし、瞬く間に広まったのは、復活したという嬉しい知らせよりも悪い評判だった。

「小さいまちなので、噂は一気に広まるんですね。味が変わったという人や、美味しくなくなったという声が届くようになりました

お客さんからの厳しい意見は、人づてに耳に入ることもあれば、姫野さんやスタッフに直接言われることもあったという。つきっきりでシェフに作り方を教えてもらっても、短期間の引き継ぎでは43年の歴史には到底かなわないのだろう。全く同じ味を再現するのは難しくても、ここまで酷評を受けることは想像していなかった。

「致命傷だったのは、僕が看板メニューの鉄板焼きそばを一度も食べたことがなかったので、味の違いが分からなかったことですね」と、姫野さんは苦笑して当時を振り返る。

そこで、常連客をつかまえてどう味が変わったのかを聞いたという。しかし、返ってくるのは「なんか違う」という言葉だった。

いっぽう、五番館には何度か食べに来ていたという南村さんは、慣れ親しんだ味を再現できないことにプレッシャーを感じたという。勤めていた会社を退職する際にも、同僚には「あの五番館の店長になるの?」と驚かれたほど、日南市民は五番館のかつての味を知っているのだ。

未経験で店長業務を担う南村さん。「直接まずくなったと言われるのは辛かったです」

シェフの身体に43年間染み込んでいた技術を、わずか半年足らずで経験の浅いスタッフ全員が習得するのは簡単ではない。老舗の喫茶店を継業することは、知名度が高いという点では恵まれているが、お客さんの期待を裏切らないための準備がプレッシャーになる。

「五番館の名前を残すと決めた以上、味を再現しなければいけない。ここだけはスタッフたちに厳しく伝えています」と姫野さん

再開から半年が経った頃、姫野さんは小森シェフに改めて教えてもらうことにした。継業する際に「味を継いでほしい」とは言われなかったが、味が落ちたという噂はシェフの耳にも届いていて、気にかけてくれていた。レシピの書かれたノートも引き継いでいたものの、横でつきっきりで見てみると、わずかな違いがあることに気づいたという。

調理する鍋を温める火加減や、油のひきかた、料理を載せる鉄板の温め方まで、すべて微妙に違うんです。もっと丁寧に作るようにと言われました」

これをやれば完璧というマニュアルは存在せず、調理する人によって味の違いが出るのが、料理のおもしろさであり難しさ。しかも、五番館のスタッフたちは、プロのシェフだったわけではない。姫野さんは、あえてシェフを雇わなかったのだ。

もともと調理のプロを探そうとは思っていませんでした。やりたいという気持ちを持った人が集まってくれたほうが、次のステップに進むときに役立てることがあるかもしれないと思って。結果的には日南の人を6人も雇うことができましたし、少しは地域に恩返しができているのかな」

自分は中継ぎ役。いずれはバトンタッチしたい

閉店から再開までは半年足らずと、五番館の継業はスムーズに進んだように思えた。しかし、地域からは味が落ちたという厳しい声も届いた。「あのお店に復活してほしい」と口にすることは誰にでもできるが、姫野さんのように実際に行動する人がいないと、実現はありえない。

たまたま立ち寄って廃業を知り、衝動的に引き継ぐことを決意した姫野さん。飲食店経営の経験はなかったが、「歴史が途絶えるのは寂しい」という気持ちが原動力だった。

「県外から五番館の料理を食べに訪れる人がいるなら、まちにとっても大きな損失。五番館はまちの文化でもあるので、途絶えてしまうのは寂しいことです。それにお店が閉まっていれば、ただ灯りが消えるだけですが、再開すれば地元に雇用を生むこともできます

地元に恩返しをしたい、という想いを少しずつ形にしている姫野さんだが、次の人にバトンタッチをしたいという。
「僕なんてどうでもいいんですよ。僕はただ、五番館を途絶えさせないための中継ぎ役なんです

今は継ぐ人が誰もいないから、次の人が見つかるまで継ぐ。姫野さんの言葉を借りれば「中継ぎ」という継業も、事業承継のひとつの形になり得るだろう。五番館のオーナーが南村さんになる日は、そう遠くないかもしれない。

事業主が後継者を探そうとしない限りは、周りに知られることなくそっと閉店してしまう現状だ。しかし、まちとして残したいお店や文化を残すためには、姫野さんのような世話を焼くひとの存在が不可欠なのではないだろうか。


継いだもの:五番館(レストラン喫茶)

住所:日南市材木町3-18

TEL:0987-23-6581

五番館Instagram

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