継ぐまち:兵庫県豊岡市
継ぐひと:松本和憲
繋いだひと:田中秀幸
〈 この連載は… 〉
後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。
取材・文:中鶴果林 写真・編集:浅井克俊(ココホレジャパン)
農家の担い手育成に地域ぐるみで取り組む
日本には、南北に細長く伸びる地形や、四季による気候の変化を活かして、地域ごとに野菜や果物といった特産品がある。豊かな食材は「和食」という食文化を育み、2013年には「ユネスコ無形文化遺産」に登録された。
しかし、少子高齢化の影響を受けて、全国で農業の担い手不足が深刻化している。農業の担い手不足による影響は大きくふたつあるだろう。ひとつめは地域の特産がなくなり、魅力が減退し、地域経済が衰退すること。ふたつめは、手入れされなくなった農地は「耕作放棄地」となり、景観の悪化や害獣被害の拡大につながること。
農林水産省では新規就農を促進するための制度を整えているが、制度を設けるだけではなく、地域でじっくり取り組むことが大切だ。兵庫県豊岡市では、就農に必要な技能を学ぶ「豊岡農業スクール(以下、農業スクール)」を開校し、知識と技術の習得を支援している。この制度を活用して、2020年4月にぶどう農家としての一歩を踏み出した若きチャレンジャーがいる。
脱サラをして地元・豊岡へUターン
兵庫県の北部に位置する豊岡市は、一度は絶滅したコウノトリの野生復帰に取り組んでいるまちだ。戦後、田んぼだった土地を活用してぶどう栽培が始まり、農薬や化学肥料の使用を50%以上抑え、人や環境に配慮した栽培に取り組んでいる。豊岡ぶどうの大半は、兵庫県の「ひょうご安心ブランド」と豊岡市の認証ブランド「コウノトリの舞」を取得している。
コウノトリも暮らす自然豊かな豊岡市で、ぶどう農家としての生活をスタートさせた松本和憲さん。高校卒業とともに豊岡を離れ、兵庫県西宮市の製造関係の会社に就職。働き始めて9年が経った頃、会社を辞めて地元に戻ることを決意した。
「会社と家を往復する生活しかしてないなって気づいたんです。昔は都会に憧れていたんですが、いざ都会に住んでみてもあまり出歩かないタイプだったみたいで(笑)、これから何をしようかと考えた時に、漠然と興味があった農業をやってみようと思ったんです」
実家が農家だったわけではないが、中学生の頃から農業に興味を持っていたという松本さん。会社を辞めることを決意してからの行動は早かった。豊岡市のホームページに掲載されていた農業スクールの存在を知り、応募した。
「面接を受けたんですが、『やりたい品目はあるの?』という質問に答えられなかったんです。今のままでは受入先の農家さんを紹介できないと言われてしまいました」
農業というやりたいことが見つかり、希望に満ち溢れた新生活を始めるつもりだった。しかし、農業を志すのは甘い考えではいけないと思い知らされてしまった。地域にとっては歓迎する存在であるはずの就農希望者に、なぜ厳しいコメントをするのか。
農業スクールを担当する、豊岡市役所・コウノトリ共生部の水谷さんはこう話す。
「農業スクールは、農業改良普及センター・JA(農業協同組合)・豊岡市・市内の生産者グループの4者が一体となり、面接から就農までサポートします。面接時に就農希望者の意思をしっかり確認することは、就農後のギャップをなくすためでもあります」
就農するということは、農作物の管理だけではなく、農園の管理から出荷先の確保まで考える必要がある。田舎暮らしを希望する人が増え、農業の人気も高まる一方、応募者の将来を思って時には厳しく対応することもあるそうだ。
こうして一度考え直すこととなった松本さんは、豊岡市内を拠点に活動する「農業生産法人 有限会社あした」でアルバイトを始めることになった。
味に感動し、ぶどう農家を志す
「あした」では、お米やピーマン、うど等を中心に、多種多様な農作物の生産に約1年間携わったという。お盆には繁忙期のぶどう農家に短期アルバイトに行き、収穫や選別を手伝った。何の気無しに訪れたそこでの経験は、松本さんの農業に対する想いを強くし、数ある品目からぶどう農家への意思が固まったそうだ。
「ぶどうの味にもびっくりしましたし、併設している直売所にお客さんが絶え間なく来店して購入する光景に圧倒されました」と、当時を振り返る。
一生かけて作りたい品目が決まり、翌年に2度目の農業スクールの面接を受け、晴れて研修生となった松本さん。2017年4月、ついに農家見習いとしての第一歩を踏み出した。
農業スクールの研修期間は1年間だが、更新により最長3年間にすることができる。基本の研修時間は週40時間で、月額10万円の給付金を受け取ることができる。
市の認定農業者が受入先となり、実地研修を行う。松本さんの受入農家となったのは、偶然にも前年の夏に短期アルバイトに行った「田中農園」だった。
「最初の1年間はずっと横について、基本的な肥料づくりや苗の植え付け、摘粒の方法などを一通り教えました。その一方で、松本くん自身の方法を確立してもらうため、インターネットや本を活用して、自分で情報を収集するように伝えたんです」
摘粒(てきりゅう)とは、粒を間引いて房の形を整えて、味の仕上がりにも影響する重要なステップだ。これを怠ると、トウモロコシのように細長く粒が多いぶどうになり、一粒の甘みが減ってしまう。松本さんには、1年目からシャインマスカットの摘粒を任せていたという。
「松本くんは押さえるべきポイントをしっかり見極めることができていると感じました。彼の能力ならぶどう農家としてやっていけるのではないかと思いました」
農地を承継するのはメリットしかない
若き担い手に希望を感じていた一方、かねてから豊岡市内のぶどう生産者の後継者不足を気にかけていたという田中さん。現在、生産農家の数は約50軒ほどだが、専業農家は15軒にも満たない。その中でも後継者を得る見込みがある人は、ほとんどいないのではないかと話す。
「藤稔(ふじみのり)という品種の生産量が落ちていたので、あるとき生産者さんにお話を伺いに行ったんです。すると、高齢で身体が思うように動かず、つくることが難しいということで、収穫や出荷を部会に頼みたいと言われました」
一度放置されたぶどうの木は、枝が伸び放題になり、贈答用を作るためにはゼロからやり直さなければいけない。現在の生産者が辞めてしまうと、藤稔の生産量は減り、やがて豊岡ぶどうの生産減につながる。
そこで田中さんは、研修生として受け入れていた松本さんに管理を任せてはどうかと、部会と生産者さんに提案。まず1年間は松本さんに管理を任せ、将来的には農地を承継する方向で話がまとまった。部会の役員を務め、農業スクールで研修生を受け入れる田中さんの姿勢が後押ししたのだろう。
「最初の1年間はお手並み拝見という形で、農地の一部だけ管理を任せてもらいました」と松本さん。
田中さんが引き継ぎ、田中農園の売上を拡大するという選択肢もあったはずだが、なぜ松本さんに管理を任せることにしたのか。
「この話がある前にも、松本くんには高齢の生産者から管理をしてほしいと相談されていた農地の管理を任せていたんです。それが、とても良い出来だったんです。でも、300坪の農地だけでは生計は立てられない。生計を立てられるようにするには、ほかにも管理する農地が必要だと考えていました」
こうして松本さんは、農業スクール3年目が終わろうとしているタイミングで、新たに900坪の農地を管理することになった。どちらの農地も、直前まで前の生産者が管理していたので、スムーズに引き継ぎは進んだ。
「いい順序で承継に向けて話を進めることができたと思います」と田中さん。
承継にあたっては、全国各地に設置されている農業改良普及センターやJAがサポートに入るが、最終的な条件の折り合いは個人間で取り決めをするという。松本さんは現在、農地を賃貸しているが、5年後には購入するという取り決めをしているのだそう。
「農機具や機材は新しく購入すると高価なので、丸ごと譲ってもらえるのはとても助かります」
果樹の新規就農はハードルが高いと言われているため、松本さんのように農地と機材をすべて引き継げるのは大きなメリットだ。なぜなら、苗の植え付けから木が育ち、実がなるまでに最低でも5年はかかるからだ。すべてを自分で揃えてぶどうを栽培しようとすると、その間は無収入の状態になってしまう。だからこそ、農地ごと承継できることは、新規就農者にとって心強い。
「別の方とも交渉を進めていたのですが、条件面で折り合いがつかず、流れてしまったこともありました。こちらの農地を引き継がせてもらえたのは運がよかったです」
後継者不在の農家をリストアップして、研修の段階でマッチングをする自治体もあるそうだが、豊岡市ではじっくり人柄や実力を考慮して、その時々でマッチングをしている。そのおかげか、農業スクールを卒業して就農した19人は、「卒業後3年間は豊岡市内で就農する」という約束をクリアしていて、今までひとりの離脱者も出ていないという。
ぶどうの主要生産地と言えば、山梨県や長野県、山形県、岡山県。ほかの地域と比べると、豊岡ぶどうはブランド化がされているわけではなく、生産者も決して多くはない。そのため、後継者不在を課題だと捉えているものの、田中さんのようなベテラン生産者でも、自分たちの農園を回していくことで精一杯だという。
「どうしても人手が足りない時期には、アルバイトを雇うことも考えていたんです。でも、技術と熱心な想いを持った松本くんが来てくれてとても助かりました」と、農業スクールの研修生を受け入れた当時を振り返る。
今でも、繁忙期には田中農園を手伝うこともあるという松本さん。農業スクールを通じて構築された関係性は、受入農家と新規就農者の双方に良い影響を与えている。
マイペースにぶどう農家としての道を歩む
合計1200坪の農地を承継した松本さんは、ぶどう農家のスタートラインに立ったばかり。ひとりで管理するには決して余裕がある広さではない。しかし、「今までは行き当たりばったりでしたが、これからは計画を立ててやっていきたい」と前向きに未来を見据え、なんと新しく600坪の農地を購入し、整備を進めているという。こうした大胆な挑戦ができたのも、豊岡市の新規就農者向けの支援制度があるからだろう。
「田んぼの状態で購入したので、今はまだ石ころを取ったり農地を整えている段階です。苗は1年前に植えたばかりなので、収穫までにはあと4年かかりますが、いずれはアルバイトを雇って体制を整えたいです」
ぶどう栽培の特徴は、苗の植え付けから収穫まで要する年数だけではない。1年間のうち、管理から収穫するまでの期間が半年間に凝縮されているのだ。だからこそ、田中さんと松本さんは口をそろえてこう話す。
「究極のオンとオフなので、マイペースに仕事ができる。自分の時間もとれるし、家族との時間を大切にできるのが、ぶどう農家のいいところだと思います」
一度は企業勤めを経験した松本さんだが、農家の道を選んだことに後悔はないという。むしろ、好きなときに好きなことができる生活は、松本さんにとって合っているそうだ。
「以前は結構シャイで、こういう取材に応えるタイプではなかったんです(笑)」と、照れながらも笑顔で話す姿が印象的だった。農業を通じて、新しい自分らしさが引き出されているのかもしれない。
数年前、都会で働いていた生活に違和感を持ち、会社員を辞めて豊岡に帰る選択をした松本さん。不安を抱えながらも、自分の直感に従って道を選んできたからこそ、今の生活がある。
地方に移住もしくはUターンするときに、「転職」や「起業」だけではなく、農家を継ぐという「継業」の選択肢があったからこそ、やりたいことを見つけることができた。これからも、豊岡市の農業スクールを活用して、松本さんのように豊岡で自分らしさに出会えるひとが増えることだろう。
継いだもの:ぶどうの農地(土地、木、設備)/現・松本農園