継ぐまち:長野県長野市
継ぐひと:中村嘉郎
見守るひと:中村哲郎
〈 この連載は… 〉
後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。
取材・文:前田美帆 写真:浅井克俊 編集:浅井克俊、中鶴果林(ココホレジャパン)
1973年創業、元祖納豆カレーの店
長野駅から徒歩6分。善光寺の参道へと続く旧北国街道の大きな通りから細い路地へ入ったところに、ひっそりと佇むカレーの名店がある。「カレーショップ山小屋」だ。
「山小屋」という店名そのままの外観。木造の古い建物に、木の枝で書かれた店名が映える。店の外にはスキー板や手づくりの看板があちこちに置かれ、人目につかない路地で独特な存在感を放つ。
1973年創業の「山小屋」は、「元祖納豆カレーの店」として知られる。創業した初代オーナーが従業員のまかない用として納豆カレーを考案。あるときお客さんにも提供したところ好評となり、メニュー化されたのが発祥という。
最盛期は県内外に8店舗を構えたが、現在残るのは長野駅前にあるこの1店舗のみ。創業から変わらぬ味を求めて、今でも多くの常連客が店を訪れる。
3代目オーナーの中村嘉郎さんがこの店を継業したのは、2018年3月のこと。中村さんも、そして先代である2代目も、第三者承継で店を受け継いできた。
きっかけは、常連の父。
長野駅周辺がまさに地元、という中村さん。てっきり馴染みの店を継いだのかと思いきや、実は社会人になるまで「山小屋」を訪れたことはなかったという。それなのになぜ店を継ぐことになったのだろう。
県外の大学を卒業した中村さんは、兵庫県豊岡市の鞄メーカーに就職。2年ほどサラリーマンとして働いたが、当時の仕事はなかなか体に馴染まなかった。
大学時代は地域経済学を専攻。いつかは長野に帰って地元に貢献したいという思いがあった。「それならもう今戻ってもいいのではないか」。しだいにそんな思いが募り、Uターンを決意。大学時代、カフェのアルバイトで経験した接客の楽しさを思い出し、長野県に本社を構えるフレンチレストランで働き始めた。
中村さん自身、「山小屋」の味を知ったのは社会人になってからというが、父・哲郎さんは30年以上店に通う常連客。「ずっと常連で来てたけど、こいつが店を継いでから通いづらくなった」と笑う父の横で、「昨日も食べにきてたじゃん」と返す中村さん。終始息の合ったやりとりの節々に、ふたりの関係が垣間見える。
歴代オーナーとも親しく、お客として店の歴史を見守ってきた哲郎さん。あるとき、2代目オーナーが体調を崩し、店の後継者を探していると聞いた。その話を何気なく息子の中村さんに伝えたことが、すべての始まりだった。
「(父から)後継者の話を聞いたときは『こんな話もあるよ』ぐらいの軽い感じでした。長野に帰って来てからは私も何度か『山小屋』に来ていて、自分のお店を持ちたいとオーナーにも話していたんです。でも、その選択肢として“継ぐ”なんて考えたこともなかった。『なるほど、そういう手段もあるか』と思って、話を聞くことにしたんです」
そうして創業者と2代目オーナーの3人で話すうち、中村さんの気持ちは固まっていく。「この店を継ぐべきだ」――そう思うに至る決め手のひとつは、ずっと抱き続けてきた「このまちに貢献したい」という思いだ。
「古い店を潰して、新しい店がどんどんできる。そうすると、どこも同じようなまちになっていくというか。でも『山小屋』のようなお店があると、まちのムードも高められると思ったんです。だからこのお店って、長野にすごく必要なんじゃないかなって。もともと地域おこしに興味があったこともあって『これはまちのために一役買えるかもしれない』と思いました」
それまで考えたこともなかった“継ぐ”という働き方。一から自分で作り上げるのではなく、すでに出来上がっているお店を受け継ぐ。経営的な観点からも、魅力的に映った。
「いつかは自分の店を持ちたいと思っていたのですが、調理経験はゼロ。だから、お店のレシピもオペレーションも、出来上がっているものを引き継げるのはすごく効率がいいと思ったんです。物件や備品などのハード面も揃っていて、常連のお客様もいる。自分で一から作り上げなくていいというのは、大きなメリットだと感じました」
食堂のおじちゃん、おばちゃんを目指して
もともと中村さんが目指していたのは、多くの人に愛される“まちの食堂”だった。
中村さんは「食堂のおじちゃんおばちゃんの接客こそいちばん」と言う。肩肘張らないでいられる、いつもの食堂。「まちの食堂みたいにホッと安心できるのが、いちばんおいしくごはんを食べられる環境だと思ったんです」。いまや国民食とも言えるカレーライスを提供し、お客さんとの距離も近い「山小屋」は、その理想にも近かった。
考えれば考えるほど、店を継ぐべき理由は増えていく。しだいに自分のなかの「継ぎたい」という思いは確信に変わり、後継者候補として正式に手を挙げた。
そのころ、2代目オーナーは地元の商工会議所を通じて後継者を募集。中村さんのほかにも2名の継業希望者がいた。
後継者選びのための面接では、継いだあとのビジョンを書類にまとめ、創業者と2代目オーナーにプレゼン。すべてを新しくするのではなく、古くても良いものは大切に残したいという思いや、接客に対する熱意を伝えた。
そんな中村さんの思いは、「山小屋」創業時の思いに近いものがあったという。常連客として店を見守ってきた父・哲郎さんは、初代オーナーの思いをこう振り返る。
「さっきの話じゃないけど、食堂のおっちゃん、おばちゃんが定食を提供するみたいに、毎日カレーを提供する喜びっていうかね。たぶん創業者はそれを絶対に持ってた。このレトルトカレーのパッケージに、創業者の最初の思いがいちばん詰まってるんちゃうかな。途中で多店舗化して、もちろん商売したい気持ちはあったと思う。でもやっぱり基本にある思いはこれだったよね」
創業者の思いと中村さんの熱意は自然と重なっていた。約半年間の話し合いを経て、最終的に3代目オーナーとして選ばれたのは、中村さんだった。
修行期間は、約2か月。
オープンするまでの準備期間は約2か月。前職を退職するタイミングや、事務的な手続きにかかる時間を考えてのスケジュールだった。
実際に店を継業する際には、2代目オーナーへ「営業権利金」を支払った。そのなかには、店の屋号やレシピ、備品関係の譲渡もすべて含まれている。
資金は、「山小屋」として付き合いのあった銀行から融資を受けることにした。地元では名の知れた老舗の継業とあって、銀行も積極的に手伝いたいと言ってくれた。店舗はもともと賃貸だったため、不動産屋から中村さんが賃貸契約を結び、引き継いだ。
しかし継業は、ハード面の手続きだけで完了するものではない。屋号を受け継ぐからには、変わらない味を求められる。オーナーとしてオープンするまでの間は先代とともに店に立ち、「山小屋」の味や店の在り方を身に染み込ませた。
この2ヶ月はいわゆる修行期間。さぞかし大変だったのでは?と尋ねると、中村さんからは意外にも「そんなに…」という答えが返ってきた。
というのも、かつてはフランチャイズ展開していた歴史もある「山小屋」。店のレシピやオペレーションは誰でもできるように完成されていた。先代の人柄も相まって、気負わず準備することができたという。
「先代は、穏やかに毎日同じことを黙々とやるような人で、2ヶ月間怒られることなんてなかったですね。『やりたいようにやったらいいんだよ』って。いい意味でゆるかった。むしろお客さんから『これから頼むね』と言われたりして、『あ、そうだった』と思い出すようにプレッシャーを感じてました(笑)」
「すべては、お客さんありき」
そんな準備期間を経て、2018年3月、ついに中村さんが店主を務める「山小屋」がオープン。初日は「三代目襲名披露」と題し、オーナーチェンジの挨拶とともにカレーが振る舞われた。カレー1杯無料とあって、店は大盛況。この日は前職で一緒に働いていたスタッフも応援に駆けつけ、多忙な1日をなんとか乗り越えた。
店のスタッフは、先代のころから働いていた従業員がそのまま残ってくれた。さらに、オープン前に追加で新たなメンバーも採用。新体制で慣れないなか、しばらく忙しい日々が続いたと振り返る。
「最初のころはテレビで少し取り上げてもらったこともあって、一時的にお客さんが増えたりしてたんです。私の母や親族もスタッフに加わって、新しく雇ったメンバーもいて。みんなまだ慣れないなかで忙しい時期を経験しました。しかも、実際に営業してみると変えるべき部分がどんどん見えてきて、初めのうちは試行錯誤しながらでした。始まってからのほうが大変でしたね」
とはいえ、オーナーになって中村さんが手を加えたのは、主に厨房の中の細かな配置やオペレーションだけだという。設備面で言えば、古くなっていたトイレや客席の床をリフォームした程度。カレーの味や店の雰囲気、メニューや営業時間に至るまで、お客さんとの向き合い方はほとんど変えていない。そこには「変わらないこと」への確かなこだわりが感じられる。
しかし、ずっと夢だった自分の店。もっと自分の色を出して営業したいと思うことはないのだろうか。
「自分がこういう表現をしたいっていうのはお客さんありきです。ずっと通ってくれている方は昔からの『山小屋』に満足していただいている。だから、僕から変えたいと思う部分はあんまりなくて。それに本当にやりたいと思ったら、別にもう1店舗食堂をやればいい。起業するにあたって、まずはこういうお店から始めるのもいいなと思ったんです」
お客さんや長野のまちに必要とされているからこそ「山小屋」を継いだ。だからお客さんに求められていることがいちばん大事。中村さんはそう言い切る。
長年「山小屋」のカレーを食べ続けてきた哲郎さんも「味は変わってない」と太鼓判を押す。真摯に店を守り続ける姿に、ほかの常連客からも「継いでくれてありがとう」「がんばって」と声をかけられることも多い。しかし一方で、中には「味が変わった」というお客さんもいるという。
「中には店に来なくなってしまった方もいました。『若い人が継いだ』というのをあまり良く思われない方がいらしたのも事実です。でも逆に、前よりも頻繁に来てくれるようになった人もいますし、オープン当初は『ありがとう』と本当にみなさんが言ってくれて、すごく励まされました。そのときに『継いだ甲斐があったな』とじわじわ実感していましたね」
多様な受け止め方があるのも、店に対して思い入れのあるお客さんが多いからこそだろう。若いオーナーが継いだことで、少なからず変化が生まれるのも確か。味や雰囲気は変わらないが、「客層の変化を感じる」と哲郎さんは言う。
「やっぱりずっと見てたら、(息子が)後継いでから客層は若返ったような気がする。それまでは私と同じような年代のお客さんばっかりだった。店主が若くなればその知り合いも来るし、店全体が若返ったように感じるね」
中村さん自身には、「山小屋」に通っていた過去はない。幼いころからいつも当たり前のようにある地元の店。わざわざ「行こう」と思ったことはなかった。しかし自ら店を継いだことで、「山小屋」が特別であることに気づいたという。
「『山小屋』は、まちに馴染んでいるようで、むしろ異質な存在なんだと感じるようになりました。もともとは『もうずっとそこにあるじゃん、別にわざわざ行かなくていいよ』と思っていた場所。でも、これだけ長く続いている飲食店はなかなかない。これは特別なことだし、強みなんだと自分でやり始めてから思うようになりましたね」
どのまちでも飲食店は特に入れ替わりが激しいと言われる。そんななかで「山小屋」が45年以上このまちで営業を続けてこれたのは、「わざわざ」行く場所ではない代わりに、ずっとそこにあるお店としての安心感からなのかもしれない。
「最近よく思うのは、『山小屋“が”いい』じゃなくて、『山小屋“で”いい』みたいな。たとえば、ほかのお店が閉まっていたときに『じゃあもう山小屋でいっか』と選んでくれる。それって、すごくいいなと思うんですよね。もちろん第一候補になりたい気持ちもあります。でも『山小屋』はみんなが知ってくれていて、いつも帰ってこれるような場所なのかなと思うんです」
父・哲郎さんも、残業帰りに遅めの食事をしようと立ち寄ったのが最初だった。夜になると飲み屋ばかりの駅前。唯一見つけたのが「山小屋」の明かりだった。それ以来、残業のたびに通うようになったという。
「今日はもう山小屋でいいか」――そんなふうに思えるのも、この店がまちにとって身近な存在だからに違いない。いつもそこにある。それが山小屋という場所なのだ。
ゴールは、まだまだ先。
継業から3年。手際よく店を切り盛りする姿を見ていると、変わらぬ「山小屋」として十分完成されているように見える。しかし、中村さんは「まだまだ」と話す。
「今はやっと標準値くらいにはなったと思います。でもそれでは自分がやっている意味がない。ここを継ぐ前、私のビジョンを見た創業者から『足りないことがある』と言われたんです。それは、お客さんが驚くようなことをやっていかないとだめだ、ということでした。そういう部分は、まだ足りないのかなと。暇な日もまだまだありますから。常に満席の状態を目指してやっていきたいと思ってます」
伝統を守りながら、自分の代でより良い店を目指す。それもすべて、「山小屋」を愛するお客様のため。この思いがあれば、きっと「山小屋」は「山小屋」であり続けられるのだろう。創業者と先代から受け継いだのは、マニュアル化されたノウハウよりも、そんなお客様への思いだったのかもしれない。中村さんの実直な眼差しを見ながら、そう感じずにはいられなかった。
継いだもの:カレーショップ 山小屋
住所:長野県長野市大字南長野北石堂町1408
TEL:026-224-3139