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2023.05.30

「通信簿に現れない強み」こそ魅力。事業承継型投資を行う会社を設立した元銀行員が未知の建設業界にダイブ!

連載「継ぐまち、継ぐひと」

継ぐまち:京都府京都市

継ぐひと:𠮷川友(SoFun株式会社 代表取締役)

〈 この連載は… 〉

後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。

取材・文:高橋マキ 写真:酒谷薫 編集:中鶴果林(ココホレジャパン

京都が日本に誇る、ものづくり企業

京都市南区吉祥院。「きっしょういん」と読む。京都駅の南西、いわゆる観光客が思い描く京都のまちの趣とはほぼ無縁の住宅地だが、実は、ワコール、堀場製作所、任天堂など、世界に誇る京都の、いや、世界に誇る日本のものづくり企業が近隣に集積するエリアだ。有名無名問わず、大小の工場、中小企業の本社が多く点在する。

その中の1社、「株式会社ミサキ」を2021年春に承継したのは、元・銀行マンの𠮷川友さん。ミサキは、関西で最も古い「あと施工アンカー工事」の会社だという。建築の現場に明るくないわたしたちには、初めて耳にする仕事。

地方銀行を飛び出し、世界的パンデミックのまっただ中、2021年春に「株式会社ミサキ」を継いだ𠮷川友さん

「この社屋もそうなんですけど、コンクリート造、鉄鋼造の建物って、躯体の中に結構な数の “アンカー” というものが入ってるんです。木造と違って、こういう天井って、何本ものボルトを使ってコンクリートの躯体にボードを吊るしてるんですよ。この建物にも何百本も入っているんです。その施工を専門に行う会社です」

どうやら、コンクリートの建築物において、私たちには見えない部分の、基礎的かつとても重要な役割を担う仕事であるらしい。

ミサキは、約40年前に、日本におけるアンカーの価格の概念を作った会社なのだとか

「自動販売機の足元を、コンクリートの地面にしっかり固定しているのもアンカーです」

語源が、船のいかりの「Anchor」だというと、なんとなくイメージできるだろうか。

ミサキの創業は昭和53(1978)年。日本の人口が増加し、西洋化が進み、「まち」や「都市」が急成長する高度経済成長~バブルの時代だったこと、創業者がやり手だったことで順調に拡大し、一時は従業員も100人まで増えた。

「でも、僕が継いだ時は全盛期に比べると売り上げは1/10。最低売り上げを更新した年で、社員は4人という状態でした。ちょうど2年前の今日ですね」

2021年の春といえば、時は世界的なパンデミックの盛り。そんな状態の会社を、息子でも親族でもない、銀行の営業マンだった𠮷川さんがなぜ継ぐことになったのでしょう。

中小企業特有の「通信簿に現れない強み」

𠮷川友さんは、承継問題を解決すべく地方銀行出身者が設立したスタートアップ「SoFun」の代表取締役でもある。

(関連記事:中小企業の事業承継で、日本をおもしろくする会社「SoFun」が、承継先企業の経営を担う仲間を募集

「SoFun」は、企業の株式を買い取り、𠮷川さんのようにSoFunの社員が承継先の経営者となり一緒に経営を行う事業承継型投資の会社

地方銀行員の立場から多くの中小企業のM&Aを支援するうち「このやり方では、廃業の数を減らしているだけで、日本経済にとって何の意味もないのでは?」という問いを抱くようになったという。

その問いを解決するため銀行を飛び出して、銀行員時代の仲間とともに「SoFun」を起業。その3ヶ月後には、会社として承継した「ミサキ」の経営者になり、自ら事業承継の実践者となった。

「ミサキとは、銀行員時代からお付き合いがありました。数年前にはM&Aしようという時期もあったんですが、中小企業ではよくあることなんですが、過度の節税なんかもあって、当時は銀行や仲介会社からは見向きもされなかった。でも、スーパーゼネコンも取引先だし、業歴が長いので取引先口座の数も500ぐらいあるんですよ。こういうのは、決算書では見えない無形資産のようなもの。僕には、通信簿に現れない強みが見えていたんです

数年経ち、𠮷川さんがSoFunを起業する事を伝えると、自社を継いでくれないかという話になった。事業承継のシーンにも全国的にゆるやかな変化があって、仲介会社からのオファーもあったようだが、創業者である前社長は𠮷川さん=SoFunへの承継を選択した。つまり、ミサキは「SoFun」の事業の1号案件。𠮷川さんは現在、起業した経営者と継いだ経営者、ふたつの顔を持っている。

𠮷川さんのノートパソコンには、SoFunとして事業承継した会社のステッカーが順番に貼られている

「0→1(起業)と1→10(事業承継)、やることは変わらないかな。ただ、1→10の世界は圧倒的にリスクが低い。基盤を丸ごと引き継げる上に、これまでの経営でも一定の売り上げを保てていたのだから、正しいことを正しくやれば絶対に伸びるという感覚。もともと経営資源があるので、得意の営業でそれを伸ばすというのは自分に向いている、という確信もありました」

以前本連載で取り上げた「天領盃酒造」(新潟県佐渡市)の事業承継でも、証券マンだった加登仙一さんが「ダントツで財務内容が “悪かった” から、ここを継ぐことに決めた」と言っていた。中小企業の事業承継において、「通信簿に現れない強み」を見抜く目は、大きなポイントになり得るのかもしれない。

「だから、リスクはほぼゼロという感覚ですね」

自分がファーストペンギンになる

とはいえ、普通に生きていたら一生縁がないほどの借入を伴う事業承継だ。

「売上1億円から10億円くらい。ちょうどこの規模の会社が、個人だと手が出しにくく、ファンドでは相手にしないという事業承継の空白ゾーンなんです」

でも、そのゾーンの企業数は多く、それぞれが数十人の雇用を生んでいるのが現在の日本。

人口減の時代。「日本の中小企業は悲観的になりがちなんですけど、僕らはチャンスだと思ってる」と𠮷川さん

「組織になっていない会社が多く、テコ入れに手間がかかるので、誰もやろうとしない。そこをしっかり承継して地域の中核に育てていきたいというのが、僕ら(SoFun)のコンセプトなんです。ファンドの方たちからは、じじくさい(関西の方言で「不恰好、古くさい」の意)、投資効率が悪すぎる、といわれてますけどね」

初めは周りからもいろいろいわれたし、「実際、めちゃくちゃハードでしたね」と振り返る𠮷川さん。しかし、そのリアルな経験のすべてを知見として「SoFun」に生かすという、明確な目論見があった。

「自分に経営経験がないのに “日本に経営者を増やす” なんてことはできないと思ってましたし、いきなり知らない世界にポーンと飛び込める人もなかなかいない。それをできるのは僕しかいないという自信もありました」

地方銀行を飛び出して起業、同時に事業承継の当事者に。「家族には、ほぼ事後報告だったかもしれません(笑)」

ミサキにはひとりで飛び込んだが、外側からぴったり寄り添い、全力でサポートしてくれる「SoFun」の仲間がいることは大きなアドバンテージだ。後継者として着任後、𠮷川さんがまず手をつけたのは「徹底的に、会社の付加価値を再定義すること」だった。

「初めは職人の技術力が売りだと思っていたんです。でも、そうじゃないことに気づいて。これは売り方が違うぞ、と」

徹底的に検証して導き出されたミサキの付加価値は「緊急性」だったのだ。

「あと施工アンカー工事というのがちょっと特殊な仕事で、前もって工程表に含まれることなく、急に現場から発注があるんですよ。今日の明日、今日の今日はあたりまえ。必要だからすぐ来てくれと呼び出しがかかることが多い。この不測の呼び出しに、いかに柔軟に応えられるかが付加価値なんだと気づいたんです」

ところが当時、営業~会社~現場の職人をつなぐ連絡ツールは電話とファックス。しかも、いわば外注のフリーランスのような雇用形態の職人たちにとって、仕事は「1本いくら」の世界。急な上に、本数が少ない現場に行きたがる人はいないーー。

「そんな状態では緊急性の付加価値を上げていくことができない。そこで、建設業界のセオリーに逆手を打って、職人を正社員化することにしたんです。アンカー1本の仕事でも快く受注できることができれば、当然、現場数が上がりますからね。同時に受注戦略をしっかりやって、繁忙期と閑散期の凸凹がない受注を取り、徐々にゆるやかな右肩上がりにしていって、誰もが安定して働ける環境を整えてきました」

できるだけ、現場の繁忙期と閑散期の凸凹がない受注を取り、徐々にゆるやかな右肩上がりに

承継当初は4人だった社員が、新規採用も含めて現在は13名。もちろん、社内のDXも推進し、今では緊急オファーもチャットで送信すれば、7人いる職人同士が互いに協力し合ってスムーズに現場を回せるようになっている。

10年後の目標は、全国ナンバーワン

そんな彼らも、門外漢の𠮷川さんを最初から手放しで喜んで迎えたわけではなかった。

「みんなで良い会社を作っていこう」と言っても、「銀行員に何ができるんだ」と、半分くらいの人には口も聞いてもらえなかったという。営業で成果を出したり、皆が必要としている投資を積極的に行ったりしながらも、言うべきことはしっかり言って、筋の通った背中を見せることで少しずつ心を開いてもらえるようになった。

「仲良くなればみんな良い仲間なんですが、前職で一緒に働いていた人とは全くタイプの違う人たちばかり。営業先で靴を揃えないわ、机の上にガーンと音を立てて自分のヘルメットを置いたりするわで。ビジネスマンとしてもみんなの人生としても、これは良くないなと感じました。そういうところからちょっと変えていこうよ、と」

脱いだ靴を揃えるといった類の、社会人としての基礎教育からはじまり、並行して社内での小さな要望、従業員の声に耳を傾け、実現していった。職人の正社員化もそのひとつ。

「手取りが減る、と嫌がる人もいましたが、みんなの人生にはこういうプラスがあるんだよ、と一人ひとりと人生設計について語り合いました」

そうする中で、社員が自社の良さを社外に伝えていきたいと自主的にインスタグラムをはじめたり、社員発案でユニフォームもモダンでスポーティなものに変えるなど、会社の雰囲気は大きく変わっていった。

自分たちで決めたユニフォーム、自分たちで投稿するインスタグラム。みんなが生き生きと活躍する会社に

「会社として、こういう世界を目指したい。そのためにはどうすべきかということをずっと話し続けたんです。いわゆる『職人だから』みたいなことをいわせない。社会人としては職人も営業も関係ないので、全員に同じことを言って。お互いの身の上話もしたりしながら、知識も教養も含めて、しっかり生きる力をつけような、と話し続けました」

仕事が安定し、その先のビジョンが描けるようになると、一人ひとりが自分たちで考えて動けるようになっていった。マニュアルやスパルタではなく、じっくり、あくまで泥臭くやる。その手法を「外科手術じゃなく理学療法しているような感じ」と、𠮷川さんは表現する。

職人たちも気持ちがグッと上向いたのか、2人が立て続けに結婚を決めたという。不安定な建設業の定説から脱却し、安定的に人が集まる、誰もが憧れる職場をつくろうなーーそんな𠮷川さんのことばが2年のうちに社内にしっかり浸透していることを裏付けるには最高のエピソード。それどころか、

「僕の後継者も、もう決まってますよ」

と、さらりといいのける𠮷川さん。社内から志望の手があがったのだという。なんという風通しの良さだろう。しかし、今の日本の中小企業にはこの新陳代謝の高さこそが求められているのかもしれない。

「会社としてはあと4年で関西ナンバーワンを取り戻し、僕自身はそのころに後継者にバトンをつなぐ。僕が社長を退いても株主がSoFunであることには変わりがないので、目指すビジョンは変わりませんから。そこから5年で、さらに全国一を取りにいく戦略を描いています」

ミサキの業績をナンバーワンにすることが目的ではない。利真於勤、利は勤むるにおいて真なり。元気のあるミサキを地域や業界の核に育てあげ、その周りにある小さな会社もチーム「SoFun」として継ぎ、お互いが響きあうことで日本の未来にバトンをつなぐのだ。しかも、とことん泥臭く、でも、軽やかに。


継いだもの:地域の産業の中核になり得る会社

住所:京都市南区吉祥院西ノ内町49番地1

WEBサイト:https://anchor-misaki.jp