誰かがあの店を継がなければ
数々のコンテストで入賞を果たし、巧みなアレンジメントで花の美しさを追求している松岡勝久さんは、フラワーアーティストとして表現を磨きながら、地元宮城県東松島市で43年続く生花店を営んでいます。
松岡さんが花と出会ったのは1歳の頃、物心ついた時には「松岡生花店」の長男として花に囲まれた暮らしをしていました。
高校卒業後は仙台の大学へ通い、花とは無縁の一般企業に就職し、札幌、仙台で会社員生活を送りました。あまりに身近すぎて花の奥深さは目に留まらず、まちの外へと気持ちは向いていったのです。
しかし故郷から離れて暮らすうちに、松岡さんは実家の生花店の将来について考えるようになったといいます。
「誰かがあの店を継がなければーー。」
就職してから5年ほど経った27歳のころでした。意を決して両親に直談判。継ぐことを認めてもらいましたが、向かった先は仙台市内にある生花店です。
「何も知識がない状態で家業を継いでも、甘えが出ると思ったんです」
あえて外の環境で経験を積むことが松岡生花店にとって有益だろうと考えましたが、その選択が想像以上に大変な道のりだったとは、この時は知る由もありませんでした。
改めて花と向かい合った松岡さん。いざアルバイトを始めると、右も左もわからず怒られてばかりの日々です。それでも花の管理や店の掃除などをしながら花の基礎を習得し、2年後に松岡生花店に立つことになりました。
そしてここから、フラワーアーティストとしての活動が始まります。
30代になった松岡さんが出会ったのは、福島県二本松市のフローリスト・近美豪人氏。仙台市内でレッスンを受けるようになり、さらに近美氏の師匠である現代生花作家・松田隆作氏の表現に感銘を受け師事。現在もオンラインレッスンで勉強を続けています。
「花の勉強に終わりはありません。次々と新しい技術が生まれるので、学ぶことをやめてしまったら腕が錆びるような気がするんです」
ゼロからはじめた花の勉強。努力は次第に身を結び、松岡さんのアレンジメントはフラワーデザインのコンテストで何度も入賞し、全国大会に出場するまでに成長しました。
自らの成果による達成感、そしてその上を行く腕利きの素晴らしい作品を目の当たりにし、上昇志向が強まるばかり。コンテストでの一喜一憂がモチベーションに繋がっています。
切り花の究極の姿とは…終わりのない道
“花は野の花のごとく生けよ”という千利休の言葉に習い、同じ種類でも形が違い向きも違う花を、いかに自然の美しさのままに生かすか——。花の究極を追い求める道に終わりはありません。
こうしたアーティストとしての創作活動は、一方でややもすれば形式的になってしまうアレンジメントの商品にも活かされています。
「コンテストと商品のアレンジメントは異なりますが、『松岡さんの花はほかのお店と違うよね』と言っていただけることはとても嬉しいです」
表現の目的は違っても、花を美しく魅せることは同じ。
花が置かれる空間、受け取る人の好きな色や好きな花、季節感、そして贈られる場面に合わせて多彩な表情をつける技術は、ひたむきな努力の賜物でしょう。
出産、誕生日、結婚式、そして別れ。花は人生の色々な節目でその日を彩ります。
「たくさんの方の人生の一部に関わらせていただける、幸せな商売です」
まずは正しい花の管理から
今回の募集にあたって、技術の条件はありません。松岡さんのように生花の知識がない状態からのスタートでも、やる気さえあれば応募することができます。
まずは、最も大事な花の鮮度管理を覚えることから。美しくアレンジした花が1日でしおれることがないよう、フラワーアレンジメントは表現力以上に、切り花をどれだけ長く持たせるかに技術力が問われます。
たとえば水の吸わせ方ひとつをとっても何通りもの方法があり、花の種類によって使い分けることは必須の知識。こうした下処理の基礎を学ぶことから始めます。
そしてもちろん、花の特性を学びながらフラワーアレンジメントの技術も学びます。
松岡さんによる技術指導にとどまらず、外部レッスンを受講して技術を吸収してほしいといい、松田隆作氏や初心者向けのレッスンなど様々な視点を取り入れて、花の表現を追求できると思います。
技術を勉強しながらコンテストに挑戦
また、表現を勉強するうえで、フラワーアレンジメントのコンテストにも出場してほしいと松岡さん。成功体験を積み重ねて自信につなげてほしいと、挑戦をサポートすることを考えています。
「技術を伝えることは惜しみません。3年後にはきっと私が入賞させます!」と、気合が入ります。
松岡さんの技術承継は、3年を一区切りとして想定しています。独立を希望するのであれば気持ちよく巣立ちを見送りたいとのこと。家族経営の生花店を第三者へ託す継業の構想もありますが、あくまで3年後の未来は技術承継者の意志に委ねられています。