継ぐまち:徳島県海陽町
継ぐひと:岩崎致弘(ちひろ)さん

〈 この連載は… 〉
後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。
取材・文:野内 菜々 写真:塚田 百合 編集:ココホレジャパン
徳島県の最南端に位置する海陽町。温暖な気候で過ごしやすく、風光明媚な景観地「水床(みとこ)湾」や環境省が「全国で最も水がきれいな川36本」のひとつに認定する「海部(かいふ)川」を有し、サーフィンやダイビングなどのマリンレジャーを満喫する人が多く訪れる。

沿岸部の宍喰浦(ししくいうら)の町中に、地元住民の暮らしを支えつづけてきた商店「ショッピング大黒」がある。1970年の創業以来、地元住民に生活必需品を提供してきた。
店内はおよそ50坪ほどで、一般的な食料品や生活用品が陳列されている。よく見ると、有機や無添加食品、グラスフェッドビーフ(牧草や干し草で飼育された牛肉)、オーガニックワインといった国内外のめずらしい品が混在し、その数はすべてを合わせると1,500品目にのぼるという。

運営するのは、3代目代表の岩崎致弘(ちひろ)さん。2017年に海陽町に移住、3年後の2020年2月、2代目の大黒彪央(ひさお)さんから事業承継した。
「出会って1週間後に事業承継の話をされて『わかりました!』と即答しました」
しかし、当時の岩崎さんにはスーパー運営はおろか、勤務した経験すらなかった。それどころか、移住前に住んでいた東京ではデビュー前から十数年にわたり歌手MISIAのマネジメントに携わっていたという異色のキャリアを持つ。
一体どういった経緯で岩崎さんは海陽町にたどり着き、「ショッピング大黒」を承継することになったのだろうか。
東日本大震災を機に、西日本に移住
岩崎さんは物心ついたときから音楽が好きで、ジョン・レノンや忌野清志郎などの歌詞に影響を受けては「音楽で世の中を良くしたい」という漠然とした思いを抱いていた。
高校生の時から音楽イベントを主催し、高校卒業後に友人と一緒に起業。その後音楽業界に入り、前述の通りに歌手MISIAのマネージャーを担当しつつ、十数年間にわたり所属事務所の役員も務めた。
その後独立し、仲間たちと新たに会社を設立。音楽の他、食や伝統文化のマネジメントを手がけるなかで自身の健康と真剣に向き合うようになる。そして、これからどう生きていきたいのか、暮らしとはなにか、その答えを求めて都会の東京を離れ、自然と寄り添う生活と仕事にシフトしようと動いていた。
その矢先、2011年3月11日、東日本大震災が起きる。
すぐに状況確認のうえ放射能からの一時避難をし、会社の仲間の家族と関西に集まって今後のことを話し合った。岩崎さん以外のメンバーは、それぞれ日本各地に移住して農業中心の暮らしをすることになり、自身はひとり東京に戻り、移住したメンバーと連携を取りながら会社を立て直した。

もっと自由に、もっと本来の自分らしく生きようと、岩崎さんは2016年に東京を転出。まず淡路島に移住した仲間のところで、農作業や廃材DIYを手伝って暮らすことにする。神社の掃除も毎日しつつ、1年かけて自身の会社の清算をした。
2017年にはパートナーの真希子さんと、中古のキャンピングカーを購入して日本各地をめぐる旅に出る。「今この一瞬を積み重ねていくと、どんな未来があるのだろう?」という好奇心から、その実験をしてみようという試みだ。
その5カ月後、かつて音楽事務所で働いていたスタッフから地元の海陽町で小さな店をオープンすると聞き、彼の店で「食べると癒やす」をテーマにしたコラボイベントをするために向かった。
約2週間ほど海陽町に滞在するなかで「ここ良いね!」と夫婦の直感が一致。海山川が美しい海陽町のなかでも、清らかな水が流れるいちばん山奥の久尾(くお)集落に”ひとめぼれ”して即決した。
地域の神社がつないだ事業承継
岩崎さん夫婦が移住を決めた久尾集落は8世帯11名で、80代が10名、70代が1名の”限界集落”だった。岩崎さんは40歳の新参者として、水源管理、草刈り、側溝掃除など、集落の仕事があれば二つ返事でなんでも引き受けた。
借りた古民家の補修をしつつ、農薬や化学肥料に頼らない水稲栽培と野菜づくりに取り組む。知識はない、道具は鎌とスコップだけ。すると、「あんたらなにやってるんや(笑)」と見かねた集落の住民たちが鍬や手押し耕運機を譲ってくれた。そうやって助けられながら耕作放棄地の田んぼ3反(=30アール)を開墾。手植え、手刈り、はざ掛けと、夫婦2人で農作業に励んだ。
「やっぱりここに田んぼのある風景はええな」
集落の住民にとって数十年ぶりに見た懐かしい景観はこみあげるものがあったようで、労いの言葉をかけてもらった。これを機に岩崎さんは正式に集落の一員として認めてもらえたような心地になった。
また、移住して1年の間に、気づけば岩崎さんの友人や見ず知らずの旅人が年間300組ほど訪れ、限界集落らしからぬにぎわいを日々見せていた。一方で海陽町全体を見ると、約3年のあいだだけでも岩崎さんの体感では人口も事業者も減少し、特に多くの10代の若者は、高校卒業後に町外に出ると戻らず「衰退」の一途をたどっていた。
岩崎さんはこの現状に危機感を抱き、「山奥の我が家にこれだけの人が来る。僕たちが海側のまちに店を出したらきっとにぎわう、まちが元気になってほしい」と思うようになる。店というのは東京在住時からずっと温めてきた構想で、こだわりの品を作る加工者の商品やオーガニック食材で調理した惣菜を扱う店だった。岩崎さんはその実現に向けてすぐさま築150年の古民家を借りる。
そして、その日から岩崎さんは事業を行う土地の氏神さま、宍喰八坂神社に参拝することが日課となった。

「1週間祇園さん(=宍喰八坂神社)へ、神さまに『僕になにかできることがあったら言ってください』と毎日手を合わせに行きました」
ある日、岩崎さんは真希子さんに「祇園さんで井戸を復活させる行事があるらしいよ」と教えてもらい、これもなにかのご縁だと、友人と一緒に参加した。
いざ行くと若手は岩崎さん夫婦と友人の2人だけ。朝から夕方まで、岩崎さんと友人は泥だらけになって井戸掘りを手伝った。
この井戸を復活させようとする地元有志メンバーの発起人の一人こそが、ローカルスーパー「ショッピング大黒」2代目代表の大黒さんだったのだ。岩崎さんにとっては井戸掘りの技術を今回初めて実践で学べたこともあり、そのお礼を大黒さんに伝えるために、スーパーに出向いた。
「なんちゃあ、うちのほうこそありがとうよ。来てくれたうえに、最後までやってもらってね。よかったら年の離れた友達になってくださいよ」と大黒さんはにこやかに話し、その場で岩崎さんは大黒さんと連絡先を交換。その1週間後、大黒さんから電話を受けた。
「岩崎さんに、この店を継いでもらうことを、決めましたー!」
「ああ、そうですか、はい、わかりました!」
なんとも唐突だったが、岩崎さんは迷うことなく快諾したという。ウソのような本当の話なのである。

岩崎さんがすぐに快諾したのは、宍喰八坂神社に毎日参拝していたことが根底にある。岩崎さんが実現しようとしていた店は商店と一緒にすればいいと柔軟にとらえ、「神さま、これが僕ができることなんですね」とすんなり受け入れられたのだという。
一方の大黒さんは、井戸掘りという地域行事で初めて会った岩崎さんに、なぜ事業承継するという大胆な決意をしたのだろうか。
ちょうどこの頃の大黒さんは、自身が還暦になり、心臓にも持病があったため商店の後継ぎ探しをはじめていた。家族や血縁者からは承継を断られたため、徳島県事業承継・引継ぎ支援センターや商工会などに相談して後継者探しを続けていた。そんなタイミングで大黒さんは岩崎さんに出会ったのだった。
岩崎さんが大黒さんに「なぜ僕に大事な店をまかせようと思ったのか」と聞くと、次のような答えが返ってきたという。
「変なふうに思わないでね、祇園さんに祀られているスサノオノミコトが、井戸掘りの日に御神木に姿を現してね、岩崎くんのことをずっと見とったんよ。それで決めた」
実に不思議な話だが、地域とつながりが深い神社は、昔から祭りなど暮らしと地続きなところがほとんどである。地域の未来を思う2人を、氏神さまによってご縁をつなげたという理屈は、ごく自然なことなのかもしれない。
その後はほぼ毎日、2時間程度電話で世間話をし、大黒さんから町や店の歴史などをたくさん教えてもらった。
町役場の職員が、店長を引き受ける

2020年1月、徳島県事業承継・引継ぎ支援センターの職員のサポートを受けながら、具体的に事業承継を進めていくことになった。
譲渡資金については、今回のケースでは大黒さんの持ち株をすべて岩崎さんに移行し、かかった費用は事務手数料くらいだったそう。
まずは決算書を把握し、在庫を含む資産とパートを含む従業員はそのまま岩崎さんに引き継いだ。
新たに会社の定款を申請。小売業と飲食業のほか、農業、レストラン、イベント業、出版業と、脳内でイメージしていた関連事業は先に記入した。
経営スタイルについては、新たにスタッフを雇い、その人材を店長として迎える方法を採用しようと岩崎さんは決めた。そのため、海陽町職員の友人山上さん(当時30代)に「ショッピング大黒を継いだから、僕とやってくれる店長候補の若者を紹介してほしい」と相談した。
すると「それは僕しかいませんね、役場を辞めて一緒にやります!」と言ってくれたのだという。山上さんは引き継ぎを済ませてから退職し、4月1日からショッピング大黒の役員としてともに働くことになった。
また当初は予定していなかったが、仕入れ用冷蔵庫付きトラック購入や空調用の室外機の買い替え他のために「地方の古民家を2〜3軒購入できるほどの額」を初年度から融資を受けることになった。
いちばんネックになっていたのは、商品仕入れや生鮮品の競りの実務といった仕事内容の引き継ぎだ。右も左もわからない岩崎さんのため、大黒さんと大黒さんの奥さんは形式上従業員として1年間だけサポート役として残ることで双方同意した。
2020年2月には事業承継が完了。外装を塗り直し、もともとある棚に新たに無添加食品を陳列した。3月にリニューアルオープン。住民への挨拶代わりにもち投げをして記念日を盛りあげた。
すべての常連客を訪ね歩き、手書きチラシは2年継続

リニューアルオープンして数週間後、小さな異変が起こる。「週に一度は来店する常連客を見かけない、さすがにおかしい」と大黒さんがこぼした。
「いつも買うところに、見たことがないものが置いてある」
「刺し身が、ちょっと厚くなったんよ」
スーパーを承継した岩崎さんが手を加えたことと言えば、新しい商品を並べるために棚を少しずらし、陳列する場所を変えたくらいだ。しかし「長年続いた店内のわずかな変化」は常連客にとっては不安につながり、いつものように足を伸ばせなくなってしまった。
というのはおそらく表面的な理由で、「見ず知らずのヨソモノが、ずっと利用してきたスーパーの代表に突然なったことに心の距離が生まれてしまっているのだろう」と岩崎さん夫婦は冷静に分析していた。
そこで岩崎さんはすぐに、常連客の名前と家の場所を聞き「改めて常連さんに挨拶をしてきます」と訪ねることにする。
岩崎さんと真希子さんは「スーパーを継いだ岩崎です、また来てくださいね」と一軒一軒まわって対話をした。しばらく話をすればみんな安心して話してくれ、誰一人として岩崎さんたちを追い返す人はいなかった。その後、常連客たちは再び来店し、岩崎さんに声をかけてくれるようになったという。

次なるリニューアルは、週に一度の新聞折込チラシだ。2代目の大黒さんはスーパーの特売商品と価格を載せた、スーパーによくあるデザインのチラシを作成していたが、岩崎さんは自身の自己紹介や考え方を提示する内容にしてみようと試みた。
「フリーペーパーを発行するような感覚で作りました。自由に書ける反面、誰が読んでも悲しまず、傷つけない言葉を選んで書こうと決めました。一般商品と自然食品といった、二極化を生むような内容も控えましたね」
当初の岩崎さんは鮮魚担当で厨房からなかなか出られないため、厨房前で「じゃんけんサービス」「さいころキャンペーン」など、参加型のミニゲームを取り入れることで客と交流するきっかけを作った。
商品紹介欄には、岩崎さんがなぜこの商品をおすすめするのかその理由を語り、コラム・エッセイ欄には「雷が稲妻と呼ばれるワケ」といった、岩崎さんが普段考えていることをつづり、人柄を知ってもらい、客から声を掛けてもらうような工夫をこらした。
エンタメ欄には、高齢者の趣味嗜好に合わせて「俳句」を選んだ。岩崎さんが東京でお世話になった著名な先生に、食べ物をテーマにした俳句を作ってもらうよう依頼した。
これらの企画のほかデザインと執筆も担当し、折込数は海陽町と隣市の東洋町で4,000部。週に一度の頻度で、2年間休まず継続した(※現在は月に2〜3回発行する)。
すると、地元のおかあさんおとうさんから思いがけない反応が寄せられるようになった。
「毎号ファイリングして、息子が帰ってきたら見せるんよ」
「息子に送ってやろうと思うんやけど、チラシに書いてるワイン1本包んでくれるか?」
ほぼ寝る間もなかったが、未知の世界が楽しくて仕方がなかったという。
高い壁は、仲間と一緒に越えていく

その後、岩崎さんは事業内容を拡大し、2022年3月にレストラン&ラボ「テイクサンド」を沿岸部にオープン、2023年4月に海部高校に無添加学生食堂「海部のたね」を運営と活動の幅を広げている。その根源にはこんな思いがある。
「地域とは、血(ち)が通い、息(いき)をしているから地域(ちいき)だと感じている。海陽町という地域を守り、未来へつないでいきたい」
守ることで人と人の絆が生まれるのだと、岩崎さんは子どものような笑顔で語る。
最近では学校やイベントなどへの講演依頼も多いという。小学校で開催された講演会で「人生の壁が目の前に出てきたとき、どうすればいいのかわかりません」と質問した小学6年生に、岩崎さんはこう伝えた。
「壁にぶち当たったら楽しむんだよ。自分が乗り越えられない壁は絶対に現れないから。その壁をどうやって楽しく登るのかを考えるんだよ。ひとりじゃ無理なら仲間を呼んで、みんなで力を合わせてやっちゃおう!みたいに。僕もスーパーをやっていて色々な壁が出てくる。でも楽しいよ、その度に仲間と一緒に乗り越えられるから」
ショッピング大黒を承継して6年目。岩崎さんにはやりたいことが山ほどある。そのたびに仲間を呼びつづけては、軽やかに壁を越えていくのだろう。

継いだもの:ローカルスーパー
住所:徳島県海部郡海陽町宍喰浦宍喰435-1
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