地域でブランド化に取り組む「豊岡ぶどう」

豊岡市でのぶどう栽培は、1955年頃からはじまりました。当初は斜面の空いた土地で栽培をはじめましたが、減反政策もあり、水田をぶどう農地に転用し、栽培面積を広げてきました。
近年は、化学肥料と農薬の使用を抑えた、人と環境に優しい安全・安心のぶどう栽培を進め、兵庫県の「ひょうご安心ブランド」、豊岡市の「コウノトリの舞」という認証ブランドを取得し、より安全・安心で高品質なぶどうとしてブランド化に取り組んでいます。
「豊岡ぶどう」は産地ブランドの総称です。大粒でとくに甘みの強い「ピオーネ」を主力に、「藤稔(ふじみのり)」や「デラウェア」、「シャインマスカット」など、多彩な品種を栽培しています。
高齢化による担い手不足は、産地としての危機
現在、豊岡ぶどうは46軒の農家によって、合計11haの圃場で栽培されています。最盛期だった昭和後期から平成初期にかけては16haあった圃場も、生産者の高齢化にともなって年々減少傾向にあります。今後数年間でさらに農地に空きが出てくることが予測されています。生産者不足により生産量が低下することは、ブランド力の低下につながります。産地として維持していくためには、新しい生産者の確保による農地と生産量の維持が必要なのです。
吉岡ぶどう園を経営する吉岡正人さんも、豊岡ぶどうの今後に危機感を募らせています。

吉岡ぶどう園は、正人さんのお父さんが、1980年に開業。当初は稲作農家でしたが、梨の栽培を経て、ぶどうの栽培をはじめたといいます。現在は、お父さんから経営を引き継ぎ、2haの圃場で、ピオーネ、デラウエア、ベリーAなどの13品目を栽培しています。
「自分は50代だから引退はまだ先ですが、ぶどうの産地として生産量を維持する必要があります。もちろん、自分の後継者も育てなければいけないけれど、一農家だけでなく、産地として後継者の育成と農地の承継に取り組まないと、いつかは産地として維持できなくなってしまいます」
JAたじまのぶどう部会長としても精力的に若手の育成も続けてきた吉岡さんは、自身の圃場で担い手を育成することを決めました。
まずは、収穫期の季節労働から。将来は「豊岡ぶどう」の担い手

ぶどうに限らず、農業には繁忙期があります。豊岡のぶどう栽培は、6月から7月にかけての育成期、8月から10月頃が収穫の最盛期。吉岡ぶどう園でも13品目のぶどうを、少しずつ時期をずらしながら収穫をしていきます。
自分がぶどう栽培に向いているのかを見極めるためには、まずはこの時期に2週間程度のアルバイトを通して体験してもらうのがおすすめです。
次のステップは通年でのぶどう栽培です。
春に芽吹いた新芽の中から良いものを選んで残す「芽かき」や、新しい枝や蔓をぶどう棚に導く「誘引」、実をつけたぶどうの粒を間引いて形と味を調える「摘粒」など、美味しいぶどうをつくるための作業を体験してください。
ぶどう農家になる覚悟ができたら、本格的な技術の習得に取り組みます。
一人前の技術を習得するまでには、概ね3年から5年が必要ですが、この期間は吉岡さんが責任を持って、必要な技術はもちろん、地域やぶどう部会などとのコミュニケーション面もサポートします。

ぶどう農家になるためには、圃場の整備、土壌の改良、棚などの資材の用意など、農地の広さにもよりますがゼロからはじめれば2,000万円ほどかかると言われます。さらに苗の植え付けから収穫まで5年もかかるため、その間の収入の確保が必要です。
そのため、廃業する圃場を引き継ぐことには大きなメリットがあります。しかし、生産者が減り、使われない圃場が増えることが予見される一方で、誰でも譲ってもらえるわけではありません。途中で投げ出さず、末永く地域で農業を担ってくれる仲間として認められてはじめて農業の継業が実現するのです。
吉岡さんのもとで栽培技術を学びながら、豊岡ぶどうのブランドを担ってくれる仲間をお待ちしています。