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2025.07.28

元丸の内OLが老舗糀屋で奮闘!廃業目前からリブランディングで大反響

連載「継ぐまち、継ぐひと」

継ぐまち:山形県東田川郡庄内町

継ぐひと:國本美鈴さん

〈この連載は… 〉

後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。

取材・文:丸山 智子 写真:笠飯 幸代  編集:ココホレジャパン

北に鳥海山、南に霊峰月山を望む庄内平野に広がる人口約2万人の町・山形県東田川郡庄内町。国内有数の穀倉地帯として知られるこの土地は、つや姫やコシヒカリを筆頭とする日本のおいしい米のルーツ「亀ノ尾」の発祥地でもある。

肥沃な大地をミネラルが豊富な雪解け水が潤し、昼夜の大きな寒暖差が育む庄内の米のおいしさは、グルメ漫画「美味しんぼ」で取り上げられたり、まちのお米を返礼品としたふるさと納税寄付額は令和6年度で約8億円を突破するなど、多くの人に親しまれている。

そんなおいしい米の味わい方は、食用米だけに留まらない。明治時代から続く酒蔵・佐藤佐治右衛門で杜氏をしていた佐藤元さんは酒造りと、さらに生糀作りも手がけてきた。

糀は蒸した米に糀菌を混ぜて寝かせて作る

3代・90年に渡り受け継がれてきた生糀作りだったが、後継者の不在と設備の老朽化により2000年代に入ってからは看板をおろすことが既定路線に。そんな途絶える寸前だった生糀作りは、元丸の内OLだった國本美鈴さんとの出会いにより運命を覆し、新たな広がりとともに未来へと歩み始めている。

メディア企業で奮闘していた丸の内OLが、遠距離結婚を経て山形へ

埼玉県出身で、大学進学以降は東京で暮らしていた國本さんが庄内町と縁ができたのは、20代中頃。ご主人との出会いがきっかけだった。

持ち前の明るさで地域に溶け込む國本美鈴さん(36歳)

当時、東京は丸の内でメディア関係の企業に勤め、プロモーションや編成、商品開発の仕事に邁進していた國本さん。一方で横浜出身のご主人は、東京の大学を中退後2011年から庄内町で現地の農業法人に勤めながら新規就農をしていた。同じ大学出身で共通の知り合いがいたことが縁で交際が始まり、2018年に結婚した。

「仕事が楽しかったので、最初は遠距離恋愛で、結婚後も1年くらい別居婚をしていました」

満を持して2019年の夏に庄内町に移住した國本さんは、地域おこし協力隊に着任。その活動の中で出会ったのが、酒蔵・佐藤佐治右衛門の蔵人、佐藤元さんだった。

「観光PRを担う協力隊として活動を始めたものの、すぐにコロナ禍になってしまったんです。そこで当時まだ珍しかった酒蔵のオンラインツアーを企画して佐藤さんに協力してもらいました」

ボイラーの老朽化と世間のブームに翻弄された老舗

佐藤さんは、1890年から続く酒蔵・佐藤佐治右衛門で12年杜氏を務め上げ、当時は代表兼蔵人として酒造りをしていた。同時に昭和9年から続く佐藤糀店の主人でもあったが、2000年代に入った頃から佐藤さんの心には、佐藤糀店の閉め方がよぎるようになる。

佐藤元さん(写真右)と妻の桂子さん(写真左)。糀造りや日本酒造りに長年携わってきた佐藤夫妻は肌がきれい!「糀のおかげかな」(桂子さん)

「生糀の製造・販売は、私の祖父の代から家族と職人とで全工程手作りでやっていました。しかし後継者もいないし、その頃からボイラーにも不具合が出てきて…2010年頃に一度は辞めるところまで話が出ていたんです」と振り返る佐藤さん。

その時に大きな転機が訪れる。2011年頃に日本中を席巻した塩糀ブームだ。

急激に大量の注文が押し寄せ、辞める話はたち消えになったが、懸命に注文に応え続けた結果、2020年頃にはいよいよボイラーも悲鳴を上げるほどにまで老朽化が進んだ。

ボイラーが壊れるところまで事業を継続しよう、そう決心したちょうどその時期に出会ったのが、地域おこし協力隊として活動していた國本さんだった。

2021年に酒蔵のオンラインツアーで、國本さんと佐藤さんが打ち合わせやイベントを重ねること複数回。交流が深まる中で、ある時お酒を飲み交わしている場でその時は訪れた。

オンラインツアーに何度も駆り出されたから、いつかは仕返ししてやろうと思ったんだよ、と茶化す佐藤さんに、確かにあれは人使いが荒かったですねと笑う國本さん

3代で途絶えるはずだった糀店の甘酒に魅了されて

「糀屋さんをやっているんだけど、どうかな?継がない?」

佐藤さんからの提案があったのは、國本さんが地域おこし協力隊の任期終了直前というタイミングだったが、当時の國本さんの中には、ある思いが芽生えていた。

「せっかく米作りが盛んな土地に住んでいるのだから、お米の加工品を作ってみたいなと考えていました。そんな時にいただいた提案で、こんなに歴史のあるお店を継がせてもらえることなんて多分二度とないチャンスだと思ったし、佐藤さんの糀に主人が作るお米も使われていることにも縁を感じました。ただ…私甘酒はそんなに好きじゃなかったんです」

しかし、最終的に佐藤さんの糀で作った甘酒が、事業承継の決め手になった。

「佐藤さんが作った糀由来の甘酒をいただいて、初めてお米って甘いんだなと感じたんです。材料は糀菌と米と水だけ。こんなにおいしいものが、私が継がなければ近い将来なくなってしまう。それはすごく勿体ないことだと思いました」継業を決めて2022年から2023年にかけて、國本さんはほぼ毎日のように佐藤さんの工場へ足を運んで、糀作りから配達まで糀屋としての基本を学び、2024年の1月、屋号を「佐藤糀店」から「さくら糀屋」に変更して事業承継を実現した。

質の高い糀を安定製造できる、新工場を開設

事業承継にあたり新しいボイラーを備えた新工場を開設することになり、最初は佐藤さんの自宅に併設されていた作業場を使用しつつ、継業から約半年後の8月から新工場の稼働が始まった。

現在のさくら糀屋の工場

さくら糀屋の生糀作りは、佐藤糀店の味と技を承継し、全工程手作りで行われる。しかしもちろん経営権を承継したからといって、一朝一夕でその職人技を習得することはできない。「糀は生き物なので、同じように作ってもその日の温度や湿度で温度の上がり方も出来上がりも全然違います」

庄内町の特別栽培米を使用している生糀。温度管理は新しい設備に任せられるとはいえ、手作業の糀作りは完成までに延べ4日もの時間を要する

従来の佐藤さんの作り方では長年の経験と勘がないと品質の均一化が非常に難しいため、新しい工場の室(むろ)と呼ばれる糀を寝かせる専用の部屋には、パネルヒーターを設置し設備を一新。温度管理がしやすく安定した品質を維持できる環境を整えた。

実は國本さんは、2024年10月に第二子を出産しており、25年4月に現場復帰したばかり。産休・育休中は佐藤さんご夫婦に製造全般を任せており、現場復帰した今は佐藤さんご夫婦ともう一人スタッフが製造の要となり、國本さんのご主人も農繁期以外はサポートに入っている。

おいしさはそのままに、リブランディングで売上が5倍に

辞めようとまで思った事業を引き継いでくれて、次の世代に繋がれていく。これほど嬉しいことはありません」と佐藤さんが喜ぶのと同じく、佐藤糀店の常連客の人たちからも、「継いでくれて良かった!」「うちの塩糀はここの糀じゃないとダメなんだ」という歓喜の声が寄せられた今回の継業。

さらに國本さんはただ継ぐだけではなく、若い感性でより多くの人に商品を手に取ってもらうためのリブランディングにも力を入れており、早速その成果が出てきている。

リブランディングした発酵浅漬けの素と生糀。主に庄内町と近郊の酒田市・鶴岡市のスーパーで販売されている

リブランディングを加えた代表的な商品が、生糀で作った糀漬けの素。「おじいちゃん・おばあちゃん世代に人気の商品でしたが、若い世代で健康意識の高い人も買いたくなる商品を目指しました」と國本さんが語るように、レトロなデザインだったと振り返るパッケージは袋から保管しやすいパックに変更して利便性を向上させ、ネーミングもパッと見で使い方が伝わる「発酵浅漬けの素」へと変更、レシピも添付した。

さらにスーパーでの試食販売など、実際に食べてそのおいしさを実感できる場を設けた結果、知る人ぞ知る商品だった発酵浅漬けの素は、従来の5倍以上の売り上げを叩き出す人気商品になった。

「新しいパッケージの発想や、宣伝の仕方も上手いし、協力してくれる人のツテもある。『こんなこともできるんだ!すごいな』と思いながら見ています」と佐藤さんの奥さん・桂子さんも目を細める。

マーケティングの強みを活かして、次の時代へ

承継され、リブランディングも成功して、順調に見えるさくら糀屋の事業だが、もともとは佐藤さんが兼業でやっていた事業規模。現状の収益だけで生活を賄うのは難しく、國本さんは都内のWebマーケティング企業の社員という顔も持っている

ただ、就活をする際にWebマーケティング企業を選択したことも、重視したのは糀の事業とのシナジーだった。「フルリモートで働ける、時間の裁量が大きい職場を選びました。Webマーケティングの知識を身につけられることは、今後の糀の展開にも相乗効果が期待できると思っています。数年以内に糀一本で食べていける位の事業規模にしたいですね」

工場は商店街にあり、すぐ近くにはさくら糀屋の糀を使った料理を提供する飲食店もある

今後の展開について、國本さんがまず第一に掲げるのは、糀の味と品質の維持だ。その基盤を固めた上でのリブランディングや新商品開発、販路拡大を目指しており、その先には海外への挑戦も朧げながら視野に入れる。

アグレッシブな國本さんの姿に、佐藤さんも「この糀を起点に派生していろんな商品を作ってくれる未来が見えるので、それを楽しみにしています」と全幅の信頼を寄せる。

3代に渡り承継されてきた生糀作りは、創業100年を前に4代目を迎え、新たな一歩を踏み出している。

継いだもの:糀の製造技術

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