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2023.11.22

「負けへんで!」1万人の “みんな” でつくる、守る、ミニシアター。豊岡劇場、2度めの継業。

連載「継ぐまち、継ぐひと」

継ぐまち:兵庫県豊岡市

継ぐひと:田中亜衣子、橋本泰樹

〈 この連載は… 〉

後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。

取材・文:高橋マキ、写真:okd、編集:中鶴果林、浅井克俊(ココホレジャパン)

パート主婦と大学生の迷コンビ、立ち上がる

2022年3月1日。兵庫県北部、但馬地域唯一の映画館「豊岡劇場」から無念の知らせが届く。

ーー【重要なお知らせ】豊岡劇場は2022年8月末をもって暫く休館しますーー

以前、この連載で豊岡劇場を取材をさせていただいたのは、新型コロナウィルス感染症蔓延のまっただ中。2020年の春休みゴールデンウィークのにぎわいが、政府によるステイホームと緊急事態宣言の呼びかけのもと、幻と消えてしまった直後のことだった。

ローカルシネマの灯を消さない。兵庫県北部唯一の映画館、豊岡劇場

外出できない、集まれない、密になりたくない。そんな日々が続く中、全国のミニシアターや劇場をクラウドファンディングなどで応援しようという「ミニシアター・エイド基金」「SAVE the CINEMA」といった声かけもあったが、各地からミニシアター閉館のニュースが続いている。東京ではアップリンク渋谷、岩波ホール、京都のルーメンギャラリー、大阪のテアトル梅田、2023年に入って青森のフォーラム八戸、名古屋シネマテーク、京都みなみ会館、、、

そして、豊劇も。

「私はコロナ禍のまっただ中でパートとして豊劇に入社したんです。でも、丸1年を経た2022年2月の末に、突然『来週、休館を発表します』って告げられたんですよ」

寝耳に水だったと、今でも目をまんまるにして当時のことを語る田中亜衣子さん。彼女こそが、2023年現在の豊劇の「あたらしい顔」、3代目支配人だ。

パート従業員を経て、「豊岡劇場」3代目を継ぐことになった、田中亜衣子さん。県境を挟んでお隣の京丹後市久美浜町に生まれ育った。大学時代は、文化政策を学んでいたという

「なぜ閉館ではなく休館なのか。そこには、もしも誰かが継いでくれるなら、、、という余地が残されているのだと知った瞬間、『私がやります!』と言ってました」

当時の田中さんは、3児の母で、主婦で、パートさん。「密かにずっと狙っていたバイトに応募して、ひとつひとつ仕事を覚えて、とにかく楽しくて。あっという間の1年でした。それまではパートを転々としてきたんですけど、しみじみと、ああ、ここが私にとっての終(つい)のパート先だ~とまで思っていた矢先だったんです」

現在も、建物の持ち主は石橋設計。休館は、地域企業として赤字の映画事業から手をひくという経営判断だった。イチから映画館を立ち上げるよりはいいのかもしれないが、田中さんは家賃を払いながら劇場を運営していくことになる。

「もちろん、家族とも相談して1ヶ月くらいは真剣に考えました。損益計算書も見せてもらっていたし、経営的にいい状態ではないのもわかった上のことです。夫は最初から反対ではなかったんですけど、『大変でも、それでもやりたいことなんだったら、いいんじゃない?』という感じでした。中学時代からの付き合いなので、言い出したら聞かないわたしの頑固さも、いつか文化施設のようなことをやりたいと思ってたことも、ずっと知ってくれてましたので、最終的に『マイナスを抱えるなら、200万円まで想定しとくね』と言ってくれました。ほんとうによく支えてくれていて、夫がいるから私がチャレンジできるんだと思います」

そして、2022年5月。「豊劇の未来を考える会」が開催され、パート従業員の田中さんが支配人として豊劇を継業すること、あらたに「一般社団法人豊岡コミュニティシネマ」を設立することが発表された。

2022年5月5日に「豊劇の未来を考える会」が開催された

そして、田中さんの隣には、兵庫県立大学で経営学を学ぶ橋本泰樹さんが初々しいスーツ姿でステージに立つ。進学や就職に悩みもがく中、恩師の紹介で豊劇の再開に関わることになった青年だ。

「これまで学んできた経営の知識で、文化芸術を救いたい。未熟者ですが、どうぞよろしくお願いします」

分析や考察を得意とする左脳派の橋本さんは、直感的なひらめきやイメージで行動する右脳派の田中さんとは「違う星の人間かと思うくらい、なにもかも」正反対。直感型で主婦の田中さんと、理論派で学生の橋本さん。凸凹な迷コンビが左右の舵をそれぞれに握りしめて、2度めの豊劇の復活という継業の小舟に乗り込んだのだ。

豊岡劇場前で。田中亜衣子さんと橋本泰樹さん

12万5,000人の壁を越えて

兵庫県北部に位置する豊岡市は、2005(平成17)年に1市5町が合併して生まれた、県下でいちばん面積の広いまち。「カバンのまち、豊岡」として知られるほか、10年前からは平田オリザさんを迎え、演劇を核にした街づくりに取り組んでいて、アーティストやクリエイターの移住も増えている。

「それでも人口は年400人のペースで減っていて、豊岡市の人口は8万人を切っています。国土交通省では、地域の人口減少による医療福祉等の生活サービス産業の維持が困難になる可能性としての数字を割り出しているのですが、映画館が継続可能な最低人数は『人口12万5,000人』。つまりこれを下回ると、文化施設が維持できないと言われているんですよね。チェーン店が地方に展開するかどうかを決めていたりする、マーケティングのベースになる数字でもあるんです」

自らも県内からの移住組である橋本さんが教えてくれた。これまでの経済の方程式で考えると、人口がどんどん減っていくこのまちで、大衆の娯楽分野である映画館存続は絶対に無理なのだ。そこで、右脳派の田中さんの出番。

もはや、豊劇ファンにとっては、凸凹コンビ感が名物になりつつあるおふたり。橋本泰樹さんは、宝塚生まれ。兵庫県立大学経営学部在学中に豊岡へ移住し、豊劇の再開に関わることになった

「閉館前の1年間、9,500人の来場者があったんですよね。この人数でまかなえる支出の中で、前支配人の石橋さんたちができなかったことをやらなくちゃいけない。映画を中心に人が集まる民間の公民館みたいな場になれないかと考えました。豊岡市の住人7万5,000人全員で、とは言いません。でも、年間に延べ1万人のお客さんが来てくれるなら、1万人で守っていこうよ。社長でも宝くじが当たったわけでもない私ひとりが守るのではなく、みんなで豊劇を守ろうよ、と」

公民館的発想は、「まちの家事室」付きの喫茶店として墨田区からはじまった喫茶ランドリーから。非営利型のコミュニティとしては、NPO法人として映画館を運営している上田映劇から。ほかにも地方の好事例をさまざまに参考にしながら、田中さんは、非営利徹底型の一般社団法人で運営するという選択をした。

「一般社団法人豊岡コミュニティシネマを設立するにあたり、地域の経営者さんたちの集まりで『賛助会員になってください』とプレゼンする機会をつくっていただいたんです。でも、“非営利で” “みんなで” 守りたいという私たちの考えは『甘い』と一蹴されまして」

このとき賛助会員になってくださった法人は、痛恨のゼロ!地域であたらしいことを始めようとする若者には、かなりこたえた反応だったのではと思いきや、田中さんは懲りなかった。

「おかげで、ふんどしを締め直しましたよね。負けへんで!って」

根拠はないが、田中さんには自信と確信がある。隣では橋本さんが「僕からしたら、全然わかりませんよ」と続ける。「でも、、、」

「実際に田中さんがやってる行動は、すごいことじゃないですか。誰にもできないことですよ、すべてが直感だとしても。沈む船なのかもしれませんが、穴が空いたら塞げばいいじゃないかと思うようになっているんですよ、僕も」

凸凹というのは案外、いいコンビなのかもしれない。休館から10ヶ月。予定より大幅に遅れつつも、6社295人からの会費300万円を資本金がわりとして、2023年3月25日に豊岡劇場の三度目の扉が開いた。初日の観客は82人。両舷一杯!進め、前へ。

社会参加の関わりしろをつくりたい

1927(昭和2)年に創業した「豊岡劇場」は、初代の突然の死去により一旦は閉館を余儀なくされつつも、2014(平成26)年、前支配人の石橋秀彦さんの継業によりに再生された経緯をもつ。

バックヤードに大切に残されている、初代の時代の資料。1927年にはその名の通り、芝居小屋として開館した

石橋さんはやっぱりすごく悔しかったんじゃないかなと、2度目の継業のバトンを受け継ぐことになった橋本さんはポツリとつぶやいた。

「再開まぎわに石橋さんから『1日でも開けば、成功だよ!』といってもらえたことに、とても大きな力をもらいました。ぼくらが3年だ5年だ10年だと、長いマラソンのようなものを意識してしまっていた時に、そんなことばをかけてくださったのは石橋さんの寛大さで、次の世代につなげたことを心のどこかでうれしく思ってくださっているんだなと感じることができました」

田中さんと橋本さんのふたり体制で扉を開けてから、約半年。上映する作品を選ぶのは支配人である田中さんの仕事だ。『スラムダンク』や『岸辺露伴』のような大衆系と、『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』のような単館系、どちらも上映する。それが地方のミニシアターのよさだと思います、と田中さん。

「短い期間でしたが、パートで働いた期間に、豊劇らしさ、イズムのようなものは劇場責任者を務めていた伊木翔さんから引き継いだと思っています。でも、お客さんが意外に入ったり、全然入らなかったり。集客についてはまだまだ読めませんね」

ふたりは今、映画の前後に、あるいは映画を観ない人も豊劇に関われる仕組みづくりに取り組んでいる。

「人が集まる、賑やかな場所にしたいんです。監督だけでなく、地域の方々にも登壇してもらうアフタートークも始めました。映画を真ん中にしたダイアログ、対話の時間をもっとつくりたいですね。たとえば、寅さんについて語り合いましょうみたいな、昔の映画について語る会なら、最近は映画館から足が遠のいてしまっているシニアの方にも届くかもしれません」

エントラスホールではPOP UPストアの出店も受け入れている。この日はデカフェのコーヒーショップが出店中

豊劇ボランティアという市民参加の取り組みもある。早く来た人がチラシにスタンプを押していたり、高校生がPOPを書いていたり。「労働というより社会参加のひとつの形として、豊劇が小さな関わりしろになればいいな」と田中さんはいう。学校に行きにくい子どものための居場所づくりも準備中だというから、可能性はまだまだ未知数。

最後に、あなたが継いだものはなんですかと、それぞれに問うてみた。

「芸術や文化に対して、ぼくがすごくいいなという表現に “現実と理想の間にあるもの” というのがあるんですけど、日々、豊岡市の現実と理想の間にあるものに触れているような気がしています」(橋本さん)

「石橋さんと伊木さんから、 “想い” を継いだと思っています」(田中さん)

田中さんがまだ中学生のころ、憧れの豊岡劇場に初めて訪れて、たまたま観た映画は『ペイ・フォワード 可能性の王国』だった。

ペイ・フォワード(Pay it forward)とは、自分が受けた善意をほかの誰かに渡すことで、善意をその先につないでいくこと。彼女が継業のバトンをつないだ豊岡劇場が、4年後に奇跡の100周年を寿ぐ未来をつくる。その可能性の鍵を握っているのは、1万人の “みんな” なのだ。


継いだもの:映画館

住所:兵庫県豊岡市元町10-18

TEL:0796-34-6256

ホームページ:http://toyogeki.jp