世代を超えて愛される熊本のソウルフードを廃業の土壇場で継業。「ホット.ドッグ四ツ葉」 | ニホン継業バンク
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2023.09.19

世代を超えて愛される熊本のソウルフードを廃業の土壇場で継業。「ホット.ドッグ四ツ葉」

連載「継ぐまち、継ぐひと」

継ぐまち:熊本県益城町

継ぐひと:村上舞

〈 この連載は… 〉

後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。

取材・文:前田美帆  写真:柚上顕次郎  編集:中鶴果林、古橋舞乃(ココホレジャパン

熊本の名店「ホット.ドッグ 四ツ葉」

阿蘇くまもと空港から熊本市内へと続く第二空港線。その途中にある空き地で、ひときわ異彩を放っていた黄色い看板の古びたワゴン車。それが、“熊本のソウルフード”と親しまれてきた「ホット.ドッグ四ツ葉」だ。

「ホット.ドッグ」と中間にドットが入るのが四ツ葉流

以前はその場所で深夜に営業していた「四ツ葉」。特に熊本市周辺の人にとっては、免許を取ったばかりの若者のドライブコースとして、世代を超えて多くの人に愛されたお店だったという。

「私もそうやって四ツ葉のホットドッグを食べたひとりです」

そう語るのは、廃業した「ホット.ドッグ 四ツ葉」を土壇場で継業し、約半年かけて復活させた村上舞さんだ。

「(四ツ葉の)おじちゃんも怖かったし、雰囲気的に女の子が1人で行くにはちょっとハードルが高くて、夜中のドライブで男の子とかとみんなで買いに行きましたね。免許取りたての若者はそうやって夜中にドライブするのが定番で、ずっとそこに『四ツ葉』があるのが普通の光景だったんです」

「ホット.ドッグ 四ツ葉」の二代目、村上舞さん

そんな「ホット.ドッグ 四ツ葉」は1976年創業。始まりは、先代オーナーが奥さんの勤めていた二葉製パン(現:リョーユーパン)のパンを使って何か事業をしようと考え、思いついたのがホットドッグだった。

「四ツ葉」のホットドッグは、多くの人がイメージするようなパンにソーセージを挟んだもの、だけではない。メニューは全部で7種類あり、ソーセージのほかに、ハム、たまご、ツナ、魚肉ソーセージ、チーズから選べる6種類、そしてそれらの具材がすべて合わさったミックスと、いわゆるお惣菜パンのような趣きだ。

「使われている素材が赤ハム(縁が赤いハム)とか、いわゆる昔のプロセスチーズとか、懐かしいんですよね。そういうものがずっと変わらず使われていて、その懐かしさが『四ツ葉』の味になっていると思います」

写真はミックス。バラエティ豊かな具材は口に入る順番まで計算され、後を引く美味しさだ

かつて「四ツ葉」は、第一空港線におばちゃん(先代の奥さん)、第二空港線におじちゃん(先代)が立ち、2か所で営業していた。しかし、しばらくしておばちゃんが体調を崩し、第一空港線沿いでの営業を辞めたあとは、おじちゃんが1人で店を続けてきた。

そんなおじちゃんも年齢や身体の不調を理由に、多くの人に惜しまれながら2021年3月「ホット.ドッグ 四ツ葉」を閉店。長年愛された熊本のソウルフードの味が、そして若者たちが受け継いできたひとつのカルチャーがなくなろうとしていたそのとき、「私にやらせてもらえませんか」と手を挙げたのが村上さんだった。

おじちゃんが創業当時から乗っていた「四ツ葉」の車(右)と、村上さんが新しくした現在の「四ツ葉」の車(左)。(画像提供:ホット.ドッグ四ツ葉)

出会いからわずか4ヶ月後に閉店、そして継業へ

村上さんは熊本市内出身。高校卒業後に設計事務所で働いていた村上さんは、24歳の時に始めた中華料理店でのダブルワークで飲食業の楽しさに魅了され、30歳で設計事務所を退職。料理の道へ進んだ。

料理教室の運営や飲食店のキッチン業務など多彩な経験を積んだあと、移動販売に挑戦しようと知り合いの大工と共にキッチンカーを設計・製造。しかし、ご主人の会社が忙しくなり、当時はそれを手伝うためにキッチンカーでの移動販売は断念したものの、これをきっかけに村上さんはキッチンカーの製造販売を行う「合同会社バランスモータース」を設立する。

キッチンカーの製造販売を始めたのは、ご主人が自動車販売会社を経営していたことも大きい

あるとき、キッチンカーを求めてやってくる人は車そのものだけでなく、出店方法や運営ノウハウなど、キッチンカーに関する情報を求めていることに気がついた。そんな顧客ニーズに応えるため、やはり自分たちでもキッチンカーを運用してみようと、村上さんはカレーの移動販売を企画。「四ツ葉」との関わりは、その準備を進める中でスタッフから受けた予想外の提案から生まれる。

「キッチンカーをどこで出そうかとなった時に、うちのスタッフが『四ツ葉さんの隣に行きたい』と言ったんです。そのときは『え〜〜?』と思いましたよ(笑)。『あそこはおじちゃんの聖地なんじゃないの?』って。でも調べてみると土地の持ち主がわかって、おじちゃんもあそこを借りていることがわかったんです」

「四ツ葉」の販売車。車種は変わったが、おじちゃんの時代からデザインはほとんど変えていない

そこで土地の持ち主に相談してみると「おじちゃんの許可が出たらいいよ」と言われ、販売予定の手作りカレーを持って「四ツ葉」を訪ねた。不安を抱えながらも「隣に出店させてほしい」とお願いすると、「いいよ」と意外にもあっさりOKが出たのだった。

「『四ツ葉』の隣で出店し始めると、キッチンカーの仲間から『なんであそこに出せたの?!』とすごく言われて。前に誰かが『出店させてほしい』と言った時は、『入ってくるな!』とおじちゃんに追い出された方もたくさんいらっしゃったみたいです。だから『どんな手を使ったんだ』と言われました(笑)」

村上さんの持つ明るく柔らかな雰囲気が、おじちゃんを「まあいいか」と思わせたのだろうか。のちに村上さんが「四ツ葉」を継いだことを考えると、このとき硬派なおじちゃんが「OK」を出したのは、偶然でも気まぐれでもなく、必然だったに違いない。

「四ツ葉」のホットドッグはビニールに入れた後、紙袋に入れて渡してくれる

そうして「四ツ葉」とお隣さん同士での営業が始まると、おじちゃんの意外な一面も見えてきた。

「お客さんに対して愛情深く、すごく大切にされていたのを感じました。やっぱり昭和のお父さんなので、“超フレンドリー”ではないですよね。でも、一度おじちゃんのファンになると、ホットドッグを食べに来るというより、むしろおじちゃんに会いに来る方もいました」

当時の「四ツ葉」は閉まっている日も多かった。開いているのを見つけたらラッキー。まさに四ツ葉のクローバーと同じだ。それ故に、村上さんのキッチンカーには「四ツ葉はいつ開いていますか?」という問い合わせも多かったそう。おじちゃんが来ればそんなお客さんとのやりとりを報告したり、世間話をしたり。「おじちゃんは意外とおちゃめで、思ったより怖くなかったです」と村上さんは笑いながら思い返す。

先代のおじちゃんには、今でも年末年始などの挨拶や用事があるときに、会いに行くことがあるそうだ

そうして営業を始めて4ヶ月ほど経ったとき、おじちゃんが「四ツ葉」の車や備品を片付けているのを目撃し、驚いたという。

「そのときはもう『四ツ葉』を閉めて、後片付けに来られていたんですよね。それで『えっ、閉めたんですか?!』と言ったら、『そうなんだよ、もうやめた』と言われてびっくりしました。『どなたか継がれないんですか?』と聞いたら『誰かおらんかね』と。継ぎたいという問い合わせは多かったそうですが、やっぱり『大事な店を変な人に任せたくない』と、結局は誰にも渡せなかったみたいです」

とはいえ、長年心血を注いで大切に育ててきた店を残したい気持ちもあったのだろう。おじちゃんが「承継するなら」と挙げた条件はこうだ。

「ある程度若くて、妻子持ちの人、そして本業でやってくれる人。おじちゃんの中では、そういう人が来たらちょっと話を聞こうと思ってたらしいんですよ。でも結局、そこから全然外れた私が継ぐことになりましたけど(笑)」

そう話す村上さんだが、「四ツ葉」の後継者としてはこれ以上ない人材だったはずだ。それは村上さんの周りから見てもそうだったのだろう。「四ツ葉」の閉店や後継者がいないことを友人たちに話すと、「それは舞さんがするべきなんじゃない?」と言われたそうだ。

友人たちに「四ツ葉」の閉店を伝えると、驚くと同時に「もったいない」と口を揃えていたという

「そう言われても、最初は『いや〜無理じゃない?』と思っていました。でも『四ツ葉』って熊本のキッチンカーの元祖みたいな存在なので、私もおじちゃんと一緒で『変な人が継いだら嫌だな』と思っていたんです。しかも私は自分で車も作れるし、キッチンカーでの飲食販売もしている。だんだん『私しかいないかな?』と思うようになりました」

その後ご主人からも「絶対にやったほうがいい」と後押しされ、ついに継業を決意。「四ツ葉」の閉店を知ってから約1ヶ月後のことだった。

その間、おじちゃんに断られる承継希望者を何人も見てきただけに、どのような反応をされるのか不安もあった。しかし、おじちゃんに「四ツ葉」を継がせてほしいと話すと、最初は驚きながらも「話ば聞こうたい」と話し合いの場を設けてくれた。

そこで真っ先に村上さんが伝えたのは「四ツ葉の事業を買わせてください」ということ。それは、これまで「四ツ葉」が築き上げてきたものの価値を理解し、キッチンカーの先輩であるおじちゃんへのリスペクトがあったからこその一言だった。そして「四ツ葉」の味を残したいこと、そのためにレシピの指導をお願いしたいこと、車も今と同じようなデザインで作り直して営業したいことなど、村上さんの思いを伝えると、おじちゃんも「悪い話じゃなかね」とすぐに理解してくれたという。

おじちゃんによると、承継を名乗り出た人の中には「継いでやってもいいよ」と言ってきた人もいたそうだ

「おじちゃんに私の思いを話すと、『四ツ葉だから売れるだろうとか、そういう軽い考えだったら断ろうと思っていたけど、そうやってちゃんと仕事として引き継いでもらえるなら』と最終的にOKしてくれました。おじちゃんはホットドッグ一本で娘3人を大学まで行かせたことが自慢なんです。おじちゃんも誇りを持ってやってきた仕事だからこそ、ちゃんと『この価値を買わせてください』と言えたのが良かったのかもしれません」

そうして2021年4月には正式に事業譲渡契約を締結し、合同会社バランスモータースとして「ホット.ドッグ 四ツ葉」を承継。「後で何かあってもおじちゃんに迷惑をかけられない」との思いから、契約書の用意は弁護士に依頼した。細かなところまできっちりしていたのも、ご主人や自身の会社で経営の経験がある村上さんらしいやり方だ。

しかし一方で「四ツ葉」の事業を買うときには、それまでの収支決算書等もなく、赤字か黒字かも不明確なまま決断したというから驚く。村上さんは「正直そこまで考えてなかったんです」と笑うが、飲食業界で長年培った勘や、「四ツ葉」というブランドへの信頼、そして「とにかく継ごう」という思いもあったのだろう。考えるよりも先に身体が動いていたということなのかもしれない。

店名の「四ツ葉」は、もともとパンを仕入れていた二葉製パンの「二葉」が転じて名付けられた

レシピなし、計量なしの修行期間

それからプレオープンを9月末と決め、約半年間の修行期間がスタート。月に2〜3回おじちゃんに来てもらいレシピを教わるが、素材も手順も同じように作ってもなぜか同じ味にならない。「思っていたよりも難しかったです」と村上さんは振り返る。

「四ツ葉」のホットドッグを再現できるまで、おじちゃんは丁寧にレシピを教えてくれた(画像提供:ホット.ドッグ四ツ葉)

「おじちゃんのレシピはすべて目分量で、『はかりを使うなんてカッコ悪い!』みたいな感じだったんです(笑)。私が分量を計ろうとすると『そがんことせんでよか!』と言われて、何対何とか、見てこのくらいとか、触って確かめろ、とかそういう感じでした」

さらに修行期間中、おじちゃんは「俺は食べない」と宣言し、村上さんの作ったホットドッグを一度も食べなかったのだそう。「見た目でわかる」というおじちゃんの指導のもと、手順や分量、焼き加減などを身体に叩き込む。試作品を作り、おじちゃんから一度OKをもらっても、その次はまたNGが出る、の繰り返し。ダメだった理由がわからず悩んだこともあったが、感覚が身体に染み込むまで試作を重ね、なんとかプレオープンまでに「合格」が出た。

「四ツ葉」のホットドッグは、からしマヨネーズの辛味と、カリッと焼かれたパンの食感が味の決め手

プレオープンは、長年おじちゃんが営業してきた第二空港線沿いの空き地で、と決めていた。それは、行政の使用許可の関係でいずれ使えなくなることが決まっていたあの空き地で、せめて1回は営業したいという村上さんの思いからだった。

事前告知はほとんどしていなかったものの、通りがかりに「四ツ葉」の看板に気づいた人たちが次々に集まり、すでに開店前から行列ができていた。しかし、新生「四ツ葉」として初めてのお客さんは、やはりおじちゃんでなければならない。並んでいたお客さんに見守られながら、図らずも“承継セレモニー”のようなプレオープンとなったようだ。

お客さんも、おじちゃんが来るまでずーっと待ってたんです。しばらくしておじちゃんが来て、一番最初に食べてもらうと『まあいいんじゃないの』と。それで『お客さんに売っていいよ』と正式に言ってもらってから、お客さんに販売しました。でもそのときも『焼きが足りない』とか『辛子が足りない』とか指摘を受けながらでしたけどね(笑)。もしもそこで『まだダメ』と言われていたら、並んでくれたお客さんにも謝らなきゃいけないところでした」

プレオープンの日のダメ出しは、きっとおじちゃんなりの愛情だったのだろう(画像提供:ホット.ドッグ四ツ葉)

そうしておじちゃんからバトンを受け継ぎ、晴れて村上さんによる新生「ホット.ドッグ 四ツ葉」がスタート。おじちゃんも「これから先は、あなたのビジネスになる。だから好きなようにやったらいいよ」と言ってくれた。それでも、プレオープンから2年が経とうとしている今も、ホットドッグのラインナップやレシピ、そしてお馴染みの車のデザインも、ほぼ変わっていない。

「『四ツ葉』は、40年以上デザインも味も変わらずに続いているのがすごいと思っていて。だからそれがどこまで続くのか見てみたいですよね。法律が変わったり、商品が廃盤になったりして変えざるを得ないものもありますが、それ以外は極力変えないことがいいのかなと思っています」

もともと使用していたリョーユーパンの紙袋は廃盤に。なんとか作ってもらえないかとお願いしたが、さすがに断られてしまったという

「四ツ葉」を100年続けるために

プレオープンから約1年間は村上さん1人で営業してきたが、その後は他のスタッフにもレシピを引き継ぎ、村上さんがいなくても営業できる体制を少しずつ整えてきた。その結果、現在「四ツ葉」の販売車は全部で3台あり、イベント出店が同日に重なっても対応できるようになっている。そうした方針は、単に事業規模の拡大が目的だったわけではない。村上さんはすでに何十年先の「四ツ葉」の未来を見据えていた。

現在は、イベント出店などを中心に県内各地で営業している

「私の中では『100年続けたい』というのが目標なので、あと50年くらいあるんです。でも私がずっと自分でできるかというと難しい。年齢的にもあと20〜30年くらいしたら、やっぱりまた誰かに引き継いでもらわないといけないじゃないですか。なので、私じゃないと絶対ダメっていうものにはしないほうがいいのかなと思っています」

一度存続の危機に直面したからこそ、村上さん自身も次のバトンの渡し方を常に考えている。そこで村上さんは「四ツ葉」のホットドッグを改めてレシピ化し、自分以外にも「四ツ葉」を任せられる人を増やす決断をした。それは、おじちゃんの思いや教わったことをしっかりと次世代に繋いでいくためでもある。「感覚で覚えろ」というおじちゃんのやり方とは少し違うけれど、この先何十年と「四ツ葉」を残すためには、確実に必要なことだろう。

「県南や県北では『四ツ葉』を知らない方もたくさんいるので、もっといろんな地域に行きたいと思っています」と話す村上さん

「『四ツ葉』のホットドッグって、初めて食べてもなんだか懐かしくて、温かい気持ちになれる味なんですよね。それって、100年後を生きる人たちにとっても変わらないんじゃないかと思うんです。そんなふうに世代が変わっても、『四ツ葉』の安心感はずっと残せたらいいなと思っています」

47年前、「美味しいものを食べさせたい」というおじちゃんの思いから辿り着いた「四ツ葉」の味。食べ物に限らず、確かな思いを込めて作られたものは時代を超えて愛され続ける。だからこそ、「四ツ葉」も存続の危機を乗り越え、その思いを受け継ぐ人が現れた。

2076年を生きる人たちは、「四ツ葉」のホットドッグを食べて何を思うだろう。きっとホットドッグを口いっぱいに頬張った時のあの幸福感は、いつまでも変わらないはずだ。


継いだもの:ホットドッグ専門キッチンカーと味

WEBサイト:https://www.kitchencar-kyushu.com/yotsuba

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