半世紀愛されるガレージブランド。メイドイン兵庫の誇りを継いだ「神戸ザック」 | ニホン継業バンク
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2021.10.06

半世紀愛されるガレージブランド。メイドイン兵庫の誇りを継いだ「神戸ザック」

連載「継ぐまち、継ぐひと」

継ぐまち:兵庫県神戸市

継ぐひと:前川拓史

譲るひと:星加弘之

〈この連載は… 〉

後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。

取材・文:高橋マキ 写真:酒谷薫 編集:浅井克俊、中鶴果林(ココホレジャパン

人の生命を守る手しごと。残すしかない

昨今のアウトドアブームもなんのその。半世紀もの間、神戸市長田区でひとりの職人の手によってつくられ、全国の山好きに愛されてきたリュックサックがある。その名も「神戸ザック」。グッと上がったヒップライン、まるで背中に吸い付くような軽やかな担ぎ心地と丈夫さで、山歩き初心者からエベレスト登頂に挑むプロフェッショナルまで世代を問わず根強い人気を誇る。

自身も登山家である職人の星加弘之さんと妻の和子さん夫妻が1971年に自宅の庭にプレハブ小屋を建て、ミシン1台で登山用リュックサックを作り始めたのが「神戸ザック」の始まりだ。

ロゴも手書きという温もりと力強い存在感。1970年代の時代感を今も放つ、初代ザック(非売品)。
「神戸ザック」創業者の星加弘之さん(78歳)。

神戸市長田区。「履きだおれのまち・神戸」を象徴するケミカルシューズの産地で、ビーチサンダル発祥の地、そば飯発祥の地としても知られる下町だが、1995年の阪神・淡路大震災で大規模な火災が発生。商業地、住宅地がまちごと消失するという大きな被害の爪痕を残した。

「うちも、工場半壊のまま製造を続けるしかない状況でした。陸路で納品ができないから、大阪まで船で運んでね」

今思い返しても辛い……、まさにそんな面持ちで当時のことを教えてくださった星加夫妻。

「ふたりでいろんな苦労を乗り越えて、そすのたびによじ登ってきたけど、あと3年で80歳。体力的にもそろそろ辛いな、と引退を決めました」

半世紀にわたって、公私共に二人三脚で歩んできた星加夫妻。

社会人になった息子さんから「継ごうか?」と尋ねられたこともあったというが、両親としての答えは「好きにしたらええよ」。家族継承には繋がらなかった。

「だけど、」

と、神戸ザック継業の意義を語るのは、継承者の前川拓史さん。

「星加さんの作るリュックサックは普通のカバンとは違い、いわば登山者の命を守る仕事ですからね。実際に、救命の現場でも使われている。その技術が途絶えてしまったら、困る人がほんとにたくさんいるんですよ」

2020年に「神戸ザック」を継業した、前川拓史さん(熾リ株式会社代表)。

前川さんは、神戸ザックを販売する神戸市内のセレクトショップのオーナーだったが、「もしもの時は継がせてほしい」と、ことあるごとに冗談半分に言ってきたという。

少し寄り道しながらもそんなご縁が運よくつながって、創業から約50年を経た2020年6月に事業譲渡が成立。星加さんから前川さんへ、神戸ザック製造販売のバトンが託された。

世界を飛び回るバイヤーがたどり着いた地元

前川さんは、1993年のオープン以来、神戸を代表するセレクトショップとして多くの洋服好きから支持される「乱痴気」の代表であり、バイヤー。アメリカをはじめとした世界を飛び回り、ファッションと一緒に、音楽や情報といった最先端のカルチャーを神戸に持ち帰るのが仕事だった。

「ところが、2009年のリーマンショックあたりかな。それまでのぼくらのやり方が通用しなくなったんです」

ファストファッションの台頭、スマートフォンの登場によるEC通販ビジネスの拡大。カルチャーとしてのセレクトショップの過渡期だった。ショップのことは若いスタッフに委ね、バイヤーとしての前川さんの視点は海外から自らの足元へと移っていった。

「姫路市〜たつの市(天然皮革)、北播磨地方(播州織)、豊岡市(かばん)など、兵庫県内の地場産業や伝統工芸品の産地を巡るようになりました。ここ12年くらいで、メイドイン兵庫をテーマにした新しいお店を立ち上げたり、産地のプロデュースなどを手がけましたが、その間にも、失われてしまったもの、途絶えていく職人さんの技術の多さを目の当たりにしてきました。ここ、神戸も例外ではありません。日本酒やスイーツ、パンといった食品を除けば、震災以降の長きにわたって、もうほとんど『これがメイドイン神戸だ』と、大きく胸を張れない状況が続いています」

「一方で、かつて買い付けのために足繁く通ったアメリカのポートランド、デトロイトでは、若い世代による『メイドインUSA』をとても大切にしたまちづくりが盛んに行われていました。ここ長田も、靴のまちとしてものづくりの精神が息づく下町。ミシンを踏んでいても、うるさいって言われない。ミシン職工として働くベトナム人など、他国籍の住人や働き手も多いので、ローカルなエスニックレストランが多かったりと、まちにも多様性があってユニーク。電話一本ですぐ駆けつけてくれる糸屋さんがいたり、信頼できる必要な資材を、豊岡や大阪などの近場で調達できるメリットがあります」

阪神淡路大震災の火災を免れたエリアに昭和風情を残す、神戸市長田区のまちなみ。すぐそばに漁港もあり、風に乗って、潮の香りも漂う。

海外を飛び回った経験があるからこそ、今、改めて自分たちの足元を見つめ直して見い出した地元のポテンシャル。前川さんの頭の中に広がるのは、「神戸ザック」の現在・過去・未来をつないでいくための、立体地図のようなものかもしれない。

「工場が最先端、みたいになったらいいなと思うんです」

もちろん、そのためには「工場」のあり方、従来のイメージをアップデートする必要もある。整理整頓された職場、しっかりとした雇用関係、などなど。

「神戸芸術工科大学で非常勤講師をしているんですが、ファッション業界を目指す若者たちと付き合っていても、これまでのように単純に『デザイナーになりたい』『販売員になりたい』じゃなくなっているんです。働く場所やきっかけのあり方がすっかり変わってきてるな、と」

そんな「今」の感覚と、未来への思いをのせて、今年の春、新しい「神戸ザック」はスタートを切った。ショップの上階に設けた製造部門の名称は、工場でもアトリエでもない「神戸ザック研究所」。南向きの窓から明るい陽光が届く風通しのいい職場に、ミシンの音がカタカタと響く。そして、週に3日だけではあるが、創業者・星加夫妻の姿もともにある。

風通しのよい工場でミシンを踏む新スタッフさんたち。

何を継ぐのか、継げるのか

和子さんは、今も週に3日のペースでミシン場の指導にあたる。

「私は、キッパリ辞めるんだと思ってたんですけどね」

和子さんが小さく、フフフ、と笑う。2018年に星加さんが体調を崩したのをきっかけに「継ぐひとがいなければ廃業しかない」と心を決めた夫妻だったが、廃業を惜しむファンの声が多数寄せられたこともあり、神戸市産業振興財団の「100年経営支援事業」に事業譲渡の登録をした。数人の候補者が手を挙げ、それぞれ数ヶ月ずつ「勉強させてください」と技術を教わりにきた。

「でも、みんななんていうのか……ワフっと夢を見てる、という感じなのよね」

星加夫妻の仕事は「ただ裁断して縫う」という簡単なものではないし、できればこれまでの取引先との信頼関係もしっかり継いでもらいたい、という思いがあったのだろう。事業譲渡というスタイルには至らなかったが、そのうちのひとり、宇都悠平さんは、星加夫妻の元で技術を学びながら自宅にミシンを購入。脱サラして約半年間の準備期間を経たのち、自らオーダーメイド専門のザックメーカー「うと鞄工作所」を立ち上げた。宇都さん自身も趣味の登山を通じて神戸ザックに出会ったひとり。星加さんがそうであるように、山に登る人の立場に立って、オリジナルのリュックをつくっているという。

「そういう意味では、私たちの山のものづくりのスピリットは、宇都さんが受け継いでくれたともいえるわね。きっとこれから、面白いものを作っていかはると思うから、私たちも楽しみにしているの」

というのも、時を遡れば、新婚星加家の自宅の庭のプレハブ小屋から、神戸ザックが始まったのだ。

星加さんと和子さんが知り合ったのは、20代の半ば。当時、大手の鉄鋼会社に勤めていた星加さんが、入部していた社内登山部の印刷物を制作するためにドアを叩いたガリ版教室が二人の出会いの場だったという。「その後、テントや装備といったものづくりに惹かれるようになり、山の装備屋さんに転職したんです」と星加さん。「そりゃあ、家族をはじめ、みなから反対されたねえ」と、いたずらっ子のような目で語る。その職場に3年勤めたのち、28歳で結婚、独立。当時の自分たちと、今の宇都さんの奮闘ぶりが重なるのかもしれない。

創業時から星加夫妻とともに半世紀の時を刻んだミシンも。もうパーツを新たに入手することができないため、少々不具合があって製造には使えないが、まだまだ現役。ショップでお客さんを迎える看板娘だ。
神戸ザックのブランド「IMOC(イモック)」は、かわいい芋虫のキャラクターが目印。

「やりたい想いと、向いてる向いてないはあるしね」

と、星加さんはいう。神戸ザックのブランド「IMOC(イモック)」は、パイプをくわえたかわいいイモムシのキャラクターがトレードマーク。その意味は「イモムシのようにみんなで山に登ってたから」と語られてきたが、実はダブルミーニングがあることを明かしてくださった。「ぼくのあだ名がイモやからやねん。山の先輩がね、ぼくのことをそう呼んでたから。イモが作るザックで、イモックって」。

「イモムシって、小さいのにどこへでも這い上がるでしょ。結構、這い上がらなくちゃいけないようなところを登ってきた人生やったしな」

たくさんの段ボールの型紙は、神戸ザックの財産。登山者の身体に沿うよう考案された曲線、多くのパーツを操るオリジナルの技術は、まさに職人技。

多くは語らないまでも、そんな人生をコツコツと歩んできた星加さんだから、安易に弟子を取ることはなかったし、息子に継げとも言わなかったのかもしれない。個人ではじめた事業ではあったが、半世紀を経た今、個人への譲渡は、譲る側にとっても譲られる側にとっても、おそらく思いのほか難しかったのだ。

個人の希望者数人を見送った最後に、実はずっと以前から小さく手を挙げ続けていた前川さんが登場する。

「ぼくも技術を習おうかなと思ったりしたんですけど、不器用なんで、まったく無理でした(笑)」

ちょっと冗談めかしてそういったあと、前川さんは続ける。

「逆に、ぼくがド素人やったことが幸いしたんです。これまで星加さんは、驚異的に良心的なプライスで受注生産されてきていました。カスタムオーダー、お修理しかり。だから、正直なところ、工場を知ってる人や、採算ベースで商売を考える人には今回の継業は難しかったと思います。この人数でやっていこうと思うと、相当難しい。ぼくの場合は、この技術を残さないといけないという想いが強かったから、なんとかここまで漕ぎつけることができました」

2020年6月に継業して、実際に工場とショップが動き出したの2021年の春。その半年の間にも、材料費が2割値上がりしている。経営者としてはもちろん、販売価格を上げたり、製造体制、仕入れ面での工夫をしていく必要がある。そういった前川さんの判断を、星加夫妻も受け入れた上で継業に至ることができたのは、長年かけて育まれていたお互いへのリスペクトがあったからなのだろう。

そして続く「神戸ザック」の物語

テクリ、ドルフィー、ロールアップ、アルキニストといった、ユニークな商品名も星加さんが考案したものを引き継いでいる。

長年のファンには、星加さんと同世代の方も多い。全国を探しても、こんなふうに登山ザックを作ってもらえるところはない、とショップを訪れるお客さんが口々にいう。継業に際しては、一緒に産地巡りをしてきた「BEAMS」のクリエイティブディレクター・窪浩志さんが背中を押してくださったのも大きかった。

だからこそ、神戸ザックというブランドだけを残すのではなく、技術を継承しなければならないと思った、と前川さん。

「もしかすると、おふたりはスパッと辞めたかったのかもしれないんですけど、3年という約束で現場に残って、指導に当たってもらうことにしました。定番が6型ぐらいあるので、それだけでもしっかりふたりから技術を習っておきたいんです」

ただ縫製するだけではなく、一つひとつの細かなリクエストに対して型紙を起こし、オリジナルを作ってきた神戸ザック。とにかく、パーツが多い、曲線が多い。大型になると、かなり特別な技術が必要になる。「カバン屋さんに外注に出しても、全然割りに合わないから請け負ってもらえへん」という。一朝一夕では受け継ぐことができない、見よう見真似ではできない手しごとなのだ。

「以前は、ショップオーナーとして、メーカーに別注をかけたり、納品期日を急かしたりすることはしょっちゅうでしたが、今はそれが現場にとってどれほど大変なことか、頭を悩ませることか、身に染みて実感しています(笑)」

神戸市内の私立小学校指定のリュックサック。よく見ると、左右のサイドポケットの形が違う。片方は巾着になっていて、紐を引っぱったり絞ったりの練習ができるように工夫されている。登山関係だけでなく、少年野球チームや、レスキュー隊など、客層は幅広い。

星加夫妻も「数年で技術を継いでもらうのは難しいかもしれないけど、基礎的なことは覚えてもらいたい」と、週3日の指導に合意。以前は、なんでも任せられるベテランのミシン場さんと一緒だったからできていた仕事もあった。だから、かつては1日でできた仕事が、今だと1週間かかってしまうというもどかしさもあるが、「もう少し、時間はかかるよね」と、わかっている。

「みなさんがお若いから、私たちも気分が若返りますよ。みんな、ファッションの学校を出ていてミシンが初めてではないから、よくやってくれています。それに、とにかく素直で仕事熱心。新しい体制で働きはじめて半年なんですけど、製品もできてきてますよ」

一方、星加さんが指導にあたる裁断技術は、機械も扱う力仕事。今は毎日午前中だけ、40代の男性が副業で学びにきている。

「なかなかの力仕事なので女性には難しく、ミシン場さんが兼ねることができない作業なんです。ここには、しっかり力仕事できる人が一人いてほしいんですよね」

こうして現場では基礎を習得させながら、前川さんのプロデュース力も最大限に発揮。ここ数年トレンドが続くサコッシュのリリースや、タウンユースに向けたカラーバリエーションの追加など、いずれも神戸ザックらしさを踏襲しつつ、今の感覚にアップデートした格好だ。

「僕たちファッションをやってきた人間からすると、カラバリにブラックは必須。だから、実は取引先としてこれまでも長年リクエストしてきてたけど、星加さんは最後まで首を縦に振ってくれなかった。なぜなら、山では視認性が高い赤や青などのカラーには、ちゃんと『命を守る』という役割があるからです」

前川さんの長年のリクエストが叶ったテクリ(M)のブラック。「今でも、黒を裁断している時の星加さんはちょっとご機嫌が良くないんですけどね」。それも近い将来にはいい思い出になりそうなくらい、評判は上々だ。

しかしアウトドア用品は、今や登山者だけのものだけではなくなった。リュックはもちろん、道具もウエアも、その機能性と実用性は、2020年代の今、あたりまえのように私たちの日常に浸透している。バイヤーとしてのアンテナをもつ前川さんの采配は、しっかりと時勢をつかんでいる。

「新スタッフはみんなファッションが好きなので、もう少し技術的に慣れてきたら、色のことを考えたり、新商品の開発をしたり、一緒にしていきたいと考えています」

新型コロナウイルスが蔓延して以降、新しい趣味として山歩きを始めた人も多いというのも追い風だ。

「神戸だと、六甲山系を登る方、それに、兵庫の山を登る方も多いですね。よく売れるのはタウンユースにも兼用できる20~28リットルサイズ。山に行くなら、ハイキングか、テント立てずにロッジ泊の方用ですね。以前と比べて、女性のお客さんも増えました」

神戸ザックにたくさんの想いを詰め込んで、次の50年という新しい山を登りはじめたばかりの前川さん。「コロナ禍が明けたら、星加さんとお客さんと一緒に、ハイキングツアーをやりたいんです」。まずはその日を目指して、新旧混合で力を合わせて一歩ずつ進もう、イモムシみたいに着実に。


継ぐもの:神戸ザックの製造販売

住所:兵庫県神戸市長田区腕塚町3丁目2-2 新長田サンヨービル

TEL:078-742-9070(店舗)

神戸ザックホームページ

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