2020.4.7

「継業される側の流儀」を潔く整えた、かのみずあまご園

連載「継ぐまち、継ぐひと」

継ぐまち:岐阜・郡上市明宝寒水町

継ぐひと:西川弘祐

譲るひと:和田孝平

〈 この連載は… 〉

後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。

取材・文:高橋マキ 写真:浅井克俊 編集:ココホレジャパン

ひょうたんから駒が出た

郡上八幡と飛騨高山の間。寒水川は、烏帽子岳から吉田川に流れる清流

岐阜県のほぼど真ん中に位置する郡上市明宝地区。かつて里人が、烏帽子岳から流れてくる水を「神(か)の水」と呼んだことからその名がついたという神秘的なエピソードも残る「寒水川(かのみずがわ)」のほとりに、あまご園を営む和田孝平さんと、3ヶ月前に移住したばかりの西川弘祐さんを訪ねた。

西川弘祐さん。埼玉県入間市で生まれ育ち、北海道で大学時代を過ごした。27歳

「ここへ来る前、事前に受け取れる情報もあまりなかったので、『かのみずあまご園』という屋号だけを頼りに、自分でもネット検索してみたんです。だけど、検索では何ひとつヒットしないんですよね(笑)」

爽やかな風貌そのままの口調で、穏やかに語る西川弘祐さんは、社会人5年目の27歳。彼が継業するのは、それまで縁もゆかりもなかった郡上のあまご養殖だ。

西川さんが、埼玉県入間市から東京の池袋まで毎日1時間かけて通勤するサラリーマンライフに終止符を打ったのは、ちょうど1年前だった。休業中に見たテレビ番組で有楽町の「ふるさと回帰支援センター」のことを知り、セミナーに足を運んだのが、ここに来ることになったきっかけだという。その時は林業の就業相談に行ったのだが、担当者が最後の最後に余談としてポロリと「岐阜であまごの養殖をしている方が、後継者を探しているらしい」と教えてくれた。

「以前、同じ岐阜の飛騨小坂の養殖所の中にある釣り堀で釣りをしたことがあって、その時に、家族経営らしき養殖所に興味を持ったことを思い出したんです。こんな自然の中で働けたらいいなあって」

ひょうたんから駒とは、このことか。翌日に早速、詳しく話を聞きたいと改めて申し出た。そして、9月後半には県の担当者と一緒に郡上を訪ね、後継者を探しているという和田孝平さんに初めて会った。和田さんのやさしい人柄に惚れ、また、仕事に関するお互いの条件もマッチして、その日のうちに彼は心を決めていたのだという。

「事前情報が少なくて最初は不安になったりもしたけど、実際に来てみたら、おやっさんもいい人だし、会社としてもしっかりしてるし、すぐに不安は吹き飛びました。逆に、インターネットで調べて1件もヒットしない会社でここまでうまく経営できてるんだったら、まだまだ可能性があるな、と夢がふくらみましたね」

実は当初、林業のほうでも他所で内定をもらっていた西川さんだったが、住む場所が用意できないといわれて話が滞っていた。「このあたりでも、農業をやりたいという子らはおるけど、住むところがないんよ」と、そんな事情を見越して和田さんが用意していたのは、自宅の離れ。かつて我が子たちの子供部屋として建てて、彼らが巣立った後、そのまま空いていたのを、「住むところがあればエエと思って」得意のDIYで単身暮らしできるように整えてくれていたのだ。

子供部屋を改装し、和田さんのDIYで蘇った離れの2階が西川さんの新しい住まい

話はトントン拍子に進み、2ヶ月後には、家賃は月に5,000円(ネット代、電気代含)、月給制で、「平日はごはんも時々一緒に食べる」和田さんと西川さんの師弟生活がスタートした。

日々の仕事は基本的に9時始まり。10時に休憩タイム、12時から1時間の昼休み、5時には終業。日曜は配達の関係で休めないが、土曜と月曜の週休2日制。「一人でも、サラリーマンと同じこのペースでずっとやってきたでな」と和田さん。こうして書くとごくシンプルなことのように思えるが、これまで残業続きで帰宅が24時を回るような働き方をしてきた西川さんにとっては、これ以上ない福利厚生だろう。

「初めの3週間ぐらいは、しゃべる相手もいなくて寂しい思いをしましたが、年末の飲み会に誘ってもらってからこちらの友だちの輪も広がりました。家に遊びに行ったり、温泉に行ったりしています」

それを聞いて、隣では和田さんがニヤリ。「まあ、一人でやるようになったら大変やけど」と、冗談めかす。そんなセリフを笑いあえるくらい、二人には仕事の信頼関係ができている。「今はとりあえず配達を任せてるけど、これから暖かくなるから、そろそろ魚の選別も手伝ってもらおうかな」。例年に比べて雪の少なかった冬が終わり、この里山にもまもなく、緑が芽吹く季節がやってくる。

あまごは脇腹に赤い斑点がある。釣り人のために渓流に放たれるほか、甘露煮などの地域特産の加工品にもなる

起業精神は、継業にも向いている?

家族でなくても構わない、自慢のあまご園を若手に継いで欲しいーー。そんな思いを和田孝平さんが抱くようになったのは、小さなきっかけがあった。彼には子どももいるが、「長男は小さい頃から釣りにも行かんので、好きな道に進めよと言ってあった。やっぱり、こういう仕事は「好き」でないと無理ですよ」。一方、地元に戻ってきてもいいと言ってくれていた長女からも「向こうにいい人ができた、と報告を受けたんっさ」。娘さんには「そうか、期待しとらんで」と答えたが、本音は「ちょうど、70歳を目前に今後のことを悩んどった時で、半分は期待しとったかな(笑)」。正直な人だ。それが4年前ほど前のできごと。

かのみずあまご園を、これまで一人で切り盛りしてきた和田孝平さん

ここ、寒水川の清流のほとりに生まれ育った和田さんは、農業高校を出たのち、稲作と養蚕をなりわいとする家業の手伝いをするようになった。農閑期には、若い働き手として土建会社へアルバイトに出る。それでも、昭和40年代になると高度経済成長に取り残されゆく里山の暮らしは、生活がギリギリだった。

「これではアカン、と。ちょうどその頃、親戚に魚を飼う家があって、うちにも祖父の時代の水車がある。それ以前に僕は釣りも好きでね(笑)。前の田んぼを潰いて、今の1/3の規模から養殖業を始めました」

当時の「農業近代化資金」で、すぐにお金が借りられた。その条件は「3年据え置きの15年返済」。しかも利子保証は村が負担してくれた。土建屋で覚えたショベルカーを操って田んぼを潰し、父と二人で水槽を造作。しばらくは農業、土建、魚で兼業したが、間もなくして土建会社のバイトは辞め、新しい融資を受けて今の規模まで環境を整えた。昭和49年、和田さん21歳の起業だ。

豊富な河川水、気候を生かした養殖。2,000㎡の池で約30万匹の稚魚を養殖、年に10トン出荷している

親戚にノウハウを教わりながらとはいえ、養殖は未知の領域。けれど「元は大工になりたかった」という和田さんの天性ともいえるチャレンジ精神とクリエイティブな資質は、起業に向いていたようだ。

「それでも7~8年は大変やった。この地域の川一帯に、外来の強烈な病気が出たりして。その時は、1週間で95%の稚魚が死んだっさ。あの手この手でなんとか工夫して乗り切ったけど、軌道に乗ったといえるのは、10年目くらいかな」

その頃、世間はバブルで景気が良かった。いくら作っても売れた時代を経て、培ったノウハウで順調に稼げる時代が、リーマンショックまで四半世紀続いた。

うちが辞めたら地域が困る

自らのリタイアについて、60代で真摯に向き合った和田さん

70歳になったら辞めようと考えていた。若干の蓄えはあるし」

ところが問題は、和田さんよりも一世代上の人たちがすでに次々と廃業していることだった。「全国的に一斉に起業した業界で、80歳手前で一斉にリタイアしとるわけ」。この界隈でも最盛期には12~3件あったが、現在は3件。バブルがはじけた後の市況の変化と高齢化が主な原因だ。

そんな状況下で、魚のサイズをコントロールできる独自のノウハウを誇り、「ヒレピンで姿が美しく、しかも釣りやすい」と定評のある和田さんのあまごは人気が高い。市場、郡上漁協のほか、県外の漁協や個人へも出荷している。ここで和田さんがあまご養殖をやめたら、漁協も郡上市の観光業も釣り人も、この地域を愛する多くの人が困るのだ。それならばと、地元の組合の総会で意見を出し、県へ継ぎ手を求める情報発信の依頼をしてみたのが3年前。どこも後継者不足を嘆いているのに、継業の前例はなかった。

和田さん自慢の稚魚の自動選別機。なんでも一人でこなせるようにと、余裕がある時代に、投資を惜しまず機械導入してきた

「誰もやり方がわからんし、こちらから所得や年収、得意先のデータを提出して、あとは待つしかない」

最初に声がかかったのは、他県の企業から。ニジマスを養殖して海(生簀)へ放つ事業者だという。「でも、会社やし。魚種がニジマスやし」向こうとこっちの条件が折り合わない。ニジマスは(外来種だから)この辺りの川に放流できないし、漁業組合のニーズに応えられない。もう一人は個人だったが、和田さんと変わらぬ年齢がゆえに、お任せできないと判断した。

「未経験でも、3年くらい給料払いながら一緒に教えて働ける人がいいな、と。いきなり買うのも借りるのも大変やと思うから、本人が希望すれば、施設は生活していける低額のリースで、15年経ったら資産を(無償で)譲る。起業していちばん苦労する、得意先、売り先も全部譲るリース分は、僕にとっては年金がわりにもなるでしょ。その上で、条件の合う人を県に申し込んでいたんです」

田んぼの真ん中に作った池も仕組みも、ほとんど全てがオリジナル。これを第三者に譲ろうという決心が潔い

3年の技術指導、15年の資産リース後に譲渡という数字は、かつての自身の起業時の経験に基づいて、和田さんが決めたという。そこにやってきたのが、西川さんだ。西川さんも、会ったその日のうちに心を決めていたと言ったが、和田さんも同じだったらしい。相性というやつかもしれない。人の出会いというのは不思議だ。

「一緒に仕事すればすぐわかるけど、彼は物覚えがいいもんでね。期待しとります」。

「こういう性格だから、彼とは初対面で細かいところまで全部話しあった」と屈託なく笑う和田さん

もっと広がれ、継業という選択肢

取材にうかがった私たちがいちいち驚くほどに「継業される側の流儀」を事前に丁寧に整えていらした和田さん。いちばん驚いたのは、すでに屋号まで変えていたことだ。苗字の「和田」とついていたのを、誰が継いでもいいようにと「かのみずあまご園」に変更した。こうやって、自分の頭で考え、常に時代を先読みし、先手を打ちつつ丁寧に仕事をされてきたからこそ、今があるのだろう。何もかもが、スマート!

「どこも後継者がいないもんで、補助金が出る場合もある。農業では、この辺の人たちも、後継者育成資金というのをずいぶん利用しとるけど、この業界にはまだない。行政の方に相談する中で、外海の漁船関係ならあるというから、ふたりで申請してみることにしました」

漁船の例はあるが、内水面での継業助成はまだ前例がないらしい。ちょっとした冒険だ。「全国でもうちみたいな継業は初めてみたい。だから、期待しとるんよ」。終始わくわくした口ぶりで和田さんは語ってくれたが、実際には細かく数字や条件を精査し、県や組合など多くの協力を仰いでいる。きっと、このほがらかな雰囲気に誘われて、まわりが応援したくなる人なのだ。

「両親も応援してくれています。兄が海外にいるからか、岐阜は遠く感じないみたいですよ(笑)」と、西川さん

一方の西川さんは、かのみずあまご園に出会うまで、「継業」という言葉を知らなかった。東京時代の友人もすでに何人か遊びに来たというが、みんなが彼の現状に驚いているという。友人達もまた、西川さんと同様、人生に「継業」という選択肢があることをまだ知らない。「知れば、いいな、挑戦してみたいな、という人がたくさんいると思うんです」。

とはいえ、かなりの急展開でここまでたどり着いた。これから3年、15年という長いスパンで事業を継承していくことに、不安や迷いはないのだろうか。

「想像もしていなかったことだけど、こんな風に自分が経営者になれるチャンスに巡り会えるなんてラッキーだし、意外にもモチベーションは高いです」

魚のことも、経営のことも。和田さんから教わりたいことはたくさんある。本番はこれから!

たとえば、6次産業やネット通販。「僕も若けりゃ、まだまだいろんなことやりたいっすわ。笑」という和田さんが、年齢的な理由からあえて手を出さずにいた「余地」がまだまだある。これから先、二人の3年があり、15年がある。果たして短いのか長いのか。漁協も組合も行政も友達も、そして私たちも、この継業の行く先を、あたたかい眼差しで見守っている。

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継いだもの:あまご専門の養殖業

かのみずあまご園

住所:岐阜県郡上市明宝町寒水470番地

TEL:0575-87-2146