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2020.12.10

旅館継業✕福祉起業。北海道の山奥で「国づくり」を目指すプロレスラー、湯の元温泉旅館

連載「継ぐまち、継ぐひと」

継ぐまち:北海道三笠市

継ぐひと:杉浦一生

〈 この連載は… 〉

後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。

取材・文:來嶋路子 写真:佐々木育弥 編集:浅井克俊(ココホレジャパン

ある時はレスラー、またある時は旅館オーナー。その正体は?

北海道は11月に入って、いち早く冬の季節が到来した。取材の日、札幌から車で1時間ほどのところにある三笠市は小雪混じり。街から山あいへと車を走らせていくと次第に雪は激しさを増していき、森に囲まれた湯の元温泉旅館は白い景色に包まれていた。

車を止めると玄関のドアが勢いよく開き、半袖、サンダル姿の杉浦一生さんが現れた。杉浦さんは、昨年この旅館を継業し、合わせてグループホームも起業。障がい者でも生きやすいコミュティづくりを目指している。

三笠市にあり道立自然公園に隣接した自然に囲まれた温泉宿。ロビーではヒグマとエゾシカがお出迎え

真冬に半袖(!?) 杉浦さんは身長193センチメートルという体格を生かしてプロレスラーとしても活動しているそうで、昭和時代の風情を残す温泉旅館のオーナーというイメージからかけ離れた姿に、まずは驚かされた。

なぜ、杉浦さんは人里離れた旅館を引き継ぐ決心をしたのだろう? その生い立ちから、次第に理由が明らかになってきた。

杉浦さんは北海道出身。子どもの頃は引っ込み思案で泣き虫。友だちにいじめられても、刃向かうことができなかったという。そんな少年時代に憧れたのは、プロレスラーの獣神サンダー・ライガーだった。

「体が大きくて階級差のある選手とも互角で闘う姿に感動して、プロレスラーになりたいと思うようになりました」

杉浦さんは現在38歳。2006年にプロレスラーとなりブルート一生というリングネームでデビューした

高校でレスリング部に所属。大学時代もレスリングに明け暮れ、22歳になって全日本学生選手権で優勝。卒業後、別の職業についたものの、誘いを受けてプロレスラーとしてデビューした。一時はアメリカやカナダで対戦を行ったというがケガにより現役を引退した。

「プロレス自体は好きだったけれど、目標がプロレスラーになることだったんでしょうね。なれたことで、どこか満足してしまっていて、怪我しちゃったのでもう引退しようと思いました」

孤立した人たちの居場所をつくりたい

温泉旅館継業につながる“種”がまかれるきっかけとなったのは27歳の頃。ボディーガードについて学ぶ専門学校へ通い、その後に警備会社に入ったことだ。

「ボディーガードというと要人の警護役と思われがちですが、僕が主にやっていたのは、精神疾患者や薬物依存者の医療機関への移送です」

杉浦さんはこの移送を年間300件も担当。ゴミ屋敷に引きこもる人、ご近所とのトラブルを頻繁に起こす人などケースは様々。なかには被害妄想から、自分の身を守るために武装している場合もあった。そうした人々に寄り添い、話に耳を傾け、安全を確保しながら病院へ一緒に向かうのが役目だったという。

「病院に向かう車中で、いろんな話をしました。そんな時に『本当はこのままじゃいけないことはわかっているけれど、誰も味方をしてくれない』と言う人が多かった」

ある家を訪ねたとき、呼び鈴を鳴らしても反応がなかった。ベランダにまわってみると窓から人が寝ているように見えた。その脇には薬の袋が落ちており、警察に通報した。

「後で聞いた話では、おそらく前日に亡くなっていたようなんですね。もう少し早くここに来れたら、また違う人生があったんじゃないかと思いました。こんなことがあって孤立してしまった方たちの居場所はどこにあるんだろう?と考えるようになりました」

山奥で障がい者の雇用を生み出せないか?

杉浦さんは2013年、障がい者のためのグループホームを栃木で始めることにした。施設の立ち上げは手探りだったというが、その後、東京や埼玉にも施設をつくり、合計4箇所の運営を行うまでになった。入所者も100名ほどで経営は軌道に乗っていたが、2019年に代表を退き、新たなビジョンを実現するべく実家のある北海道へと戻る決心をした。

「もともと現場に向き合いたいと思って始めたのに、ホームが拡大していくうちに、経営の数字ばかりを追いかけるようになっていました。また、これまでグループホームの入所者さんの雇用を生み出すような活動はできていませんでしたから、山奥でそれができないかなと考えました」。

三笠市は豪雪地帯。11月だというのに取材の日はかなりの積雪があった

閉校になった校舎を利用することも検討する中で、湯の元温泉旅館のM&A情報を知った。この旅館は、これまで隣接する桂沢湖のダム工事の作業員が利用していたことが経営の基盤になっていたそうで、その工事が終了を迎え、このままでは継続は厳しいという判断があったのだという。

杉浦さんにとって希望の条件がすべて揃っていた。旅館の敷地は裏山もあって、とにかく広く、障がい者の雇用の場を生み出す可能性を秘めていた。また、別館もあることから、すぐにグループホームの経営も始められると考えた。

日帰り温泉も人気。神経痛、関節痛、慢性皮膚病などに効能があるという

レジも打てない、お皿も割っちゃう

元オーナーは杉浦さんの両親の知り合いだったこともあり、とんとん拍子に話は進んだ。交渉を始めたのは2019年3月。事業承継が5月。グループホームが認可されたのは10月。杉浦さんは事業承継に先駆け、4月中旬からこの旅館に泊まり込んで、旅館業がどんなものかをまず体験していったという。

「レジも打てないし、お皿は割っちゃうし、ひどいもんでした。代表が変わっても、従業員がみんな辞めずに残ってくれたのは、この人に任せておいたら旅館が回らないと思ったからなんじゃないでしょうか(笑)」

湯の元温泉の看板メニューの鴨鍋。伝統の味を受け継ぎつつも、鴨ジンギスカンなどの新メニューも考案した

とぼけた調子で杉浦さんは笑うが、これまでの旅館のやり方を引き継ぎつつも、そこに新たな取り組みを加えていった。着手したのは建物の裏に広がる森の開墾。自分で木を切り笹を刈って道をつくった。ときにはホームの入所者にも手を借りながら、市民が農園として利用できる畑を整備し、キャンプ場やバーベキュー場もつくった。SNSでその様子を発信していったところ、隣町の人が重機を持ってきてくれて、手伝ってくれるようになった。

「開拓、楽しいです。山の中に池もあって水路の跡があるので川をつくろうという計画も。テントサウナをやって、サウナの後に川に飛び込んだら最高じゃないですか。それからピザ窯もつくろうと思っていて、お腹が空いたら畑でとれた野菜をピザ生地にのっけて、みんなで焼いて食べちゃおうと思っています」

また、昨年、覆面レスラーとしてリングに復帰。謎のレスラーとして対戦を続け、次第に話題となる中で顔を明かした。ファンの間から「旅館に泊まってみたい」という声が上がった。今年は新型コロナウィルス感染拡大によって旅館業は大きな打撃を受けたが、杉浦さんのアイデアを駆使した活動によって、昨年よりも売上は微増。日帰り温泉の利用客数は倍近くにもなった。ソーシャルディスタンスの取れるキャンプに人々の注目が集まったことも要因の一つとなった。赤字は出ていませんか?と問いかけると……。

ところどころに剥製や置物があってキッチュな雰囲気を醸し出している

「たぶんプラスかなぁ……。銀行からの融資も受けられているし、お金のことは会計事務所に任せてあるし、大丈夫じゃないかな。細かいことがわからないから不安にならないんですよ(笑)」

ちなみに立ち上げの際の自己資金もほとんどゼロだったそうで、すべて銀行や政策金融公庫からの融資でまかなった。有限会社であった湯の元温泉を引き継ぐとともに、グループホームの起業もあったことが融資の判断材料としてプラスに働いたそうだ。

客室は10室。畳などは新しくしたが、それ以外は元のまま。大きな改装はしていない

旅館と福祉と山奥の環境があれば

湯の元温泉の存在を知ってから、わずか半年間という早い展開の中で事業を形にしていった杉浦さんは、継業で苦労した点は「ない」と言い切る。その理由は、自身のビジョンに到達するためのファーストステップでしかないからかもしれない。いま杉浦さんは、近隣の限界集落の消防団や町内会とも積極的に交流を図り、この地域で新しい価値観を共有できる国のような場所、“すぎうらんど”をつくろうと可能性を探っている。

裏山のキャンプ場を案内してくれた杉浦さん。「寒いですけど、いつもこの格好です」

「最初は旅館の中で完結させることを考えていたんですが、高齢者世帯が多く、限界集落もある地域の現状を見ていたら、僕らの活動とマッチするところがあると思いました。僕は障がい者でも生きやすいコミュニティをつくっていければと思っています。どちらが上とか下とか、そういう概念のない、日常の中で普通に生きられる場所です。例えば、その一つの取り組みとして考えているのは、キャンプ場の周りをスノーシューで観光客に歩いてもらうという企画で障がい者にガイド役になってもらおうと思っています。ここがリスの観測ポイントですよとか、一人で回るだけではわからなかったいろいろな楽しみを伝える機会にしたい。普段は支えられている立場だと思われていた人に、僕らが教えてもらうことになる。そういうところから徐々に価値観の変革をしていきたいんです」

山間部での暮らしは、人々の助け合いなくしては成り立たない。畑の管理や除雪、家の修繕などマンパワーが必要なことも多い。こうした仕事を健常者も障がい者もともに行っていくことで、障がい者というカテゴリーが自然と消えていく日が来るのではないかと杉浦さんは考えている。

終始、売り上げには頓着していないような表情でいた杉浦さんだったが、最後に「昔ながらの温泉旅館が経営に苦しむ中で、どこに存続の鍵があるのか?」と聞いてみると、キラリと目が光り、経営者としての姿が一瞬見えたように思えた。

「実際にやってみて、旅館と福祉と山奥の環境がマッチすれば、成り立つと思います。ただ、経営が成り立ちますとは大きな声では言いたくありませんね。いま福祉業界に大手企業が結構参入していますが、数字ありきでやれる事業ではないと思っています。とにかく人ありき。でも歴史ある旅館を救ったりとか、障がい者の暮らす環境をよくしたいという方がいれば、ノウハウはいくらでも公開しますよ

杉浦さんは冬期もリングに上がるのだという。プロレスラーとしての活動も“すぎうらんど”を実現させるための一つの手段だ。湯の元温泉の新たなロゴマークは温泉に入ったクマの姿で、これからグッズも開発する予定だ。リングに上がることで、グッズの物販が伸び、そこにまた新たな障がい者の雇用が生まれたらと期待している。

「覆面を脱いじゃったので、次は元のリングネームだった『ブルート一生』にするか、『北海熊五郎』にするかと考えています。三笠の温泉地の山奥から熊が現れた(!)ってね(笑)」


継いだもの:温泉旅館

湯の元温泉旅館

住所:北海道三笠市桂沢94

電話番号:01267-6-8107

湯の元温泉HP

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