継ぐまち:岡山県美作市
継ぐひと:宇都宮健二
譲ったひと:右手信幸
繋いだひと:尾高大介、丸山耕佑(美作市)
〈 この連載は… 〉
後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。
取材・文:江森真矢子 写真・編集:浅井克俊(ココホレジャパン)
「辞めてもらっては困る」観光拠点の継ぎ手探しを市が買って出た
岡山県北、鳥取県に程近い美作市の中山間部にある右手(うて)養魚センターに、待望の継ぎ手がやってきた。あまごを中心とした川魚の養殖や隣接する管理釣り場の運営は今、美作市地域おこし協力隊として姫路市から移住した宇都宮さんが、大先輩たちに教えを受けながら事業を担いはじめている。
継ぎ手を募集したのは岡山県美作市。地域おこし協力隊として3年間かけて仕事を学び、任期終了時に株式の一部を譲渡。経営を引き継ぐという条件だ。昭和45年に、10代から30代までの青年5人がビニールハウスではじめた養魚場は、育てた魚の販売だけでなく、管理釣り場を運営するなど50年で事業を拡大。地域にとってなくてはならない施設となったが、創業メンバーが高齢化。担い手を探していたところ、美作市も協力して継ぎ手を募集することにした。
共同経営者のうちの2人が亡くなり、3人が70代になったとき、「近年はどう続けるか、いつ廃業するか。」ということを話し合うことも多かった。美作市に相談すると、帰ってきた答えは「辞めてもらっては困る。」釣り場が人を集めているから、市は隣接地にアウトドア施設、トム・ソーヤー冒険村を開業したという経緯もある。釣り場がなくなれば、来客数も落ちるだろう。
また、事業承継は美作市にとっても力を入れる施策のひとつ。市民の生活や働く場として欠かせない事業所が経営者の高齢化を理由に廃業し、それが人口流出や過疎化の一因となっていることを課題視してきた。美作市まち・ひと・しごと総合戦略にも「5年間で3件の事業承継」を目標に揚げられている。
起業ではなく継業支援という地域振興策
事業を担当するのは企画振興部企画情報課の尾高大介さん。「私の実家は温泉街の湯郷(ゆのごう)です。廃業の話は周りでもよく聞いていましたし、私たちは地域を回って仕事をしているので、この現状をなんとかできないかと思っていました。」
美作市のとった方法は、地域おこし協力隊制度を活用して継ぎ手を募集するというもの。「地域の声を聞いて、地域から要望のあった場合に市が動き、募集の広報、採用から任期中の協力隊の相談、継業までサポートをします。」と尾高さん。任期満了時には、継業にかかる費用を支援する。
地域振興施策として、創業支援だけでなく継業支援をする自治体は多くはない。「一から始めるのはそりゃ大変じゃわ。わしらだって借金して始めた。河川の利用許可だってそう簡単には下りない。一度廃業してしまったらもう一度始めるのは難しいと思う。農業やらいうたら初期投資もいるし、育って収益が上がるまで何年もかかることもある。継いでほしいと思うとる人もようけおるんじゃから、いい考えだと思うし、わしらにしたらありがたい。」と右手養魚センターの創業者である右手さんが言うように、一から始めるには、設備投資や技術の承継などハードルは高い。しかし、協力隊制度を活用した継業であれば、3年間でしっかり仕事を覚えてもらい、協力隊の活動経費で研修や視察にも出かけることができる。「人物の見極めをした上で事業を譲ることができるのもありがたい。」と右手さんは言う。
同じく非常勤職員の丸山耕佑さんは、元地域おこし協力隊。これまでの協力隊募集ルートでは応募のなかった右手養魚センターの後継者募集に、ニホン継業バンクを活用してはと提案した。「以前の募集では応募がなかったのですが、継業バンクを開設して募集したところ6件の問い合わせがあり、3人が現地説明会に参加してくれました。」と、継業対策に手応えを感じている。
尾高さんと地域をまわる中で「あと5年はがんばれる、という事業主さんと出会ったこともあります。しかし、5年先には分かりません。手遅れになる前に、今から事業承継に関する情報収集や発信に取り組んでいきたい。」と継業支援に意欲的だ。
これは僕のためにある仕事だ!
その募集に応募してきたのが宇都宮健二さん。趣味は釣りとオートバイ。一貫して製造業の現場で働いてきた元サラリーマンだ。きっかけは、Facebookの継業バンクの募集記事。
「この辺りは、釣りや趣味のオートバイで通ったことがあって、いつか住む場所としていいなあと漠然と思っていました。この先どう働いて行こうか考えていたところに、ほんとに偶然、ぽん、と現れたんですよ」。釣りが好きで、いつか田舎暮らしも、と考えていたこともある宇都宮さんは「これは僕のためにある仕事じゃないか!」と思ってすぐに連絡を取り6月には現地見学に。前の仕事を辞めることに迷いはなかった。そして、採用選考を経て10月に着任、取材時はようやく半年余りがすぎたところだった。
宇都宮さんの仕事は、まずは魚の孵化から出荷までの一通りの工程を担当すること、そして、卸先への魚の配達や管理釣り場のお客さん対応も加わる。宇都宮さんより少し前にアルバイトで入った清水さんとともに、WEBでの情報発信にも取り組んでいる。
半年働いてみてどうですか?と問うと「とにかく楽しい!」という答えが返ってきた。釣りが好きだから、魚の研究をすることは苦にならないし、自分なりの工夫で結果が出ると嬉しい。製造業の現場にいたから、日々の「カイゼン」は身についた習いだ。
例えば、日々の水槽の掃除。食べ残しや糞がたまる前にこまめに掃除をすることで水質が改善した。「宇都宮くんがきてからね、魚が元気。ピチピチしてますよ。育てる人によって魚は変わるんよ。真面目だし、ようやってくれてます。清水くんとふたりで情報発信もしてくれて、これまでと違う客層が来るようになりました。」と右手さんは目を細める。
機械が得意な宇都宮さんは、外部に頼んでいた車の修理や機械のメンテナンスも自分でやる。全くの畑違いに飛びこんだとはいえ、これまでの経験を十二分に生かせているのも、日々やりがいを感じる理由なのかもしれない。
新しい風が、来客増をもたらした
新型コロナウイルス感染症の影響で、2020年は旅館との取引が激減するというピンチに見舞われた右手養魚センターだが、夏からはアウトドアブームもあり管理釣り場の来場者数が激増した。夏にはなんと前年比300%の売上。その後も順調に、お客を集めている。来客対応の得意な清水さんは、釣りはしない。釣り方を教えるのは宇都宮さんの役目、自然に役割分担をしながら、新しい世代が右手養魚センターの顔になりつつある。
釣り好きや家族連れだけでなく、若い女性のグループやデートで訪れるカップルなどこれまでと違う層が来るようになったこと、リピーターが増えているのも若い2人のがんばりがあったからだろう。
コロナはピンチとチャンスの両方をもたらしたが、右手養魚センターの経営もこれまで全てが順風満帆だったわけではない。創業直後は、旅館相手の商売で借金を3、4年で完済するほどの売り上げがあったが、業務拡大に伴い外から買ってきた魚が原因で病気が蔓延し、全滅したこともある。
「創業時には、『5人で共同事業なんてうまくいきっこない。』といろんな人に言われましたよ。でもね、50年間一緒にやってきたからいろんなことを乗り越えられた。若い人たちにも僕たちと同じように、役割分担しながら一緒にやっていってもらえたらええなあと思ってます。」と右手さんは言う。
「孵化から出荷までの日々の管理や、管理釣り場での接客については一通り覚えましたが、まだ1年を通してのサイクルを見ているわけではないのでまだまだ勉強です。釣り好きとして、『どうしたらお客さんが喜んでくれるかな。』と考えたり、やってみたいこともあるのでこれから、試していきたいです。」と宇都宮さんは展望を語る。
次の課題は、金銭の出入りを見たり、パートさんのマネージメント、養魚数の計画を立てるといった経営を覚えていくことだ。「3年経ってひとり立ちできるようになったら、株の一部を譲って経営を渡す段取りはするから、それまで地域おこし協力隊というサポート体制のある中で、いろんなことに挑戦してもらいたい。」と右手さんは言う。
地域のインフラやなくてはならない拠点、地域を魅力的にしている小さな仕事たち。それらが少子高齢化や人口の東京への一極化などを背景に廃業の危機にある。その数は2025年までに127万件とも言われ、中には、廃業してしまったら、二度と取り戻せない仕事も多くある。経済合理性でみれば「価値がない」と言われてしまうものかもしれないが、それだけでは測れない本質的な価値があるはずだ。その価値を認め、未来へつないでいくことこそが、地方創生の本質ではないだろうか。
段階を経て、少しずつ、確実に。右手養魚センターでは、創業者たちも市も、継ぎ手の成長を見守りながら、半世紀続いた仕事を未来につないでいこうとしている。
継いだもの:川魚の養殖・販売、管理釣り場の運営
住所:岡山県美作市右手1359−1
TEL:0868-77-2071
営業時間:8:00〜17:00
定休日:なし(年中無休)