港町として賑わった野辺地港
青森県の右側・下北半島の付け根部分に位置する野辺地町(のへじまち)は、江戸時代に盛岡藩の港町として栄え、江戸時代から明治中期にかけては北前船の寄港地として発展しました。気候はヤマセ(山背=偏西風)の影響で1年を通じて冷涼な気候ですが、冬は青森県内でも1、2位を争う豪雪地帯でもあります。
そんな野辺地町にある「昭和堂」は1958年(昭和33年)創業で、現在は兄弟3人で経営しており、船釣りツアー企画や、釣具の販売を手掛けています。
「このあたりはかつてカレイ釣りのメッカだったんですよ。今は自然環境の変化もあり、真鯛が釣れるようになりました。現在は土日を中心に、朝5時に野辺地港を出港する乗り合いでの釣り船パックを提供しています」
1969年には野辺地と函館を結ぶフェリー航路が就航し、1993年の最終運航までの24年間は多くの人が行き交い、賑わっていました。フェリー航路が就航するよりも前の約30年前は、大型バスツアーで野辺地港で釣りを楽しむ人たちが多く、多い時には1日にバス8台の観光客を受け入れたこともあったそうです。
釣船ツアーの需要を受けて、1992年には釣具の販売をメインとする2号店を構えました。両親が高齢となったため、30年前から兄弟3人の経営へとバトンタッチし、現在まで切り盛りしてきました。
時代の変化に対応した事業展開
創業当初から続く1号店では、船釣ツアーを催行するため、出港の1時間前の朝4時にお店を開けています。ツアーの参加料金は1人8,500円(税込)。口コミで広がった青森県と岩手県からのお客さんがメインで、次回の予約をして帰られる常連客も多いといいます。
釣具販売をメインとする2号店では、主にファミリー層かつ釣り初心者の利用が多いそうです。ルアー釣りから渓流釣りまで、さまざまなジャンルに対応した多くの商品を取り扱っています。
「釣りのアイテムは数え切れないほどあって、新商品も次々出ますので、うちの店はこれでも少ないほうなんです。うちは初心者の方を対象とした品揃えにしています。というのも、釣り好きの方はご自分でこだわったアイテムを持っている方も多いので」
実は創業時の昭和堂は、玩具販売がメインでしたが、釣り需要の高まりを受けて両親が船釣りを企画し、釣具販売へと業態を転換してきました。月舘さん兄弟も、旅行好きが高じて、当時は県内でも一番初めに「釣り船パックツアー」を企画しました。両親、兄弟の2世代にわたり時代の変化に対応しながら、レジャーを軸とした事業を展開してきたのです。
自然環境や人口減への対策が必要
港町として発展してきた背景もあり、海に近い環境で釣具店を営むことは、利用客に楽しみを提供するやり甲斐もある一方で、自然環境に影響されやすいという問題もあります。
「晴れていても、風の向きによっては船釣りに出港できないこともあるので、仕事が天気に左右されてしまいます。今年の夏は海水温が例年の2度~3度高く、東京湾の水温と変わらなかったんです。これ以上海水温が高くなるようなら、釣り業界は厳しくなると思います」
地球温暖化による影響を受けやすい事業であることを踏まえて、「釣りが好きだから」だけではなく覚悟を持って仕事に取り組む必要がありそうです。
また、老若男女が楽しめるというイメージがある釣りですが、野辺地町に来る常連客の年齢も高齢化してきているため、今後は新しい層へのアプローチも必要だと話します。
「私たちが年を重ねると同時に、お客様も年齢層が上がっています。ずっと利用してくださる方たちにこれからも楽しんでいただくことはもちろん、新しい客層を獲得することも必要だと思っています」
自然を相手にする上で避けられない環境問題や、多くの地方が抱える少子高齢化という課題。一事業者には大きすぎる問題ですが、島国である日本から釣り文化がなくなることはないはずです。古くから港町として栄えた野辺地町で、65年かけて獲得した顧客基盤を活かし、釣り文化の担い手になってみませんか?