江戸・元禄時代から320年続くのれんの継業。お客さんの安心を受け継いだ「平井常榮堂薬局」 | ニホン継業バンク
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2024.02.20

江戸・元禄時代から320年続くのれんの継業。お客さんの安心を受け継いだ「平井常榮堂薬局」

連載「継ぐまち、継ぐひと」

継ぐまち:京都府京都市

継ぐひと:古川和香子

譲るひと:平井正一郎

〈 この連載は… 〉

後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。

取材・文:高橋マキ 写真:酒谷薫 編集:ココホレジャパン

京都市左京区・高野の住宅街のまちかど。ちょっと気になるこじんまりとした小さなお店は、カフェか美容室か、それともお花屋さんかーー。見上げると「薬局」の看板と、「平」の字を染め抜いたのれん。聞けば、創業は1701年。323年前というのは、江戸時代の元禄文化が花ひらいたころ。100年以上続く古い商いや家業が今なお多い古都・京都の中でも、320年といえば老舗中の老舗にあたる。

「私で9代目になる、みたいですよ」

「平井常榮堂薬局」9代目を継業した古川和香子さん。徳島大学大学院薬学研究科前期課程修了後、漢方の診療所や病院、薬局に勤務。2018年には国際中医師の資格を取得

丸メガネに白衣姿でニコニコと迎えてくれたのは、店主の古川和香子さん。先代の娘でも親族でもない彼女が、320年続いた漢方薬局「平井常榮堂(ひらいじょうえいどう)」ののれんを継業することになった経緯をうかがった。

まるで時代劇。風格漂う漢方薬局

1701(元禄14)年創業の平井常榮堂は、漢方薬、和漢薬を扱う専門店。和漢薬とは、体調を整えたり自然治癒力を高めるはたらきをもつ薬草類を使った日本古来の民間薬のこと。初代が幕府や大名に仕える医者として薬の処方を行っていたことがきっかけで商売を始め、明治時代まで代々医業と薬業を兼業していたのだと伝えられている。

江戸時代から続く「平井常榮堂」旧店舗から譲り受けた看板や薬箪笥

江戸時代に建てられたという旧店舗は今とは別の場所、京阪三条近くの鴨川沿いにある。その佇まいは威風堂々として格好よく、店内も薬箪笥がずらりとならんでいて、まるで時代劇に出てくるお店さながら。この暮らしの中の歴史遺産のような薬店が、店じまいすることになったと京都新聞に報じられたのは、2021年の秋のことだった。

「父が亡くなったんですわ」というのは、令和のその日までその創業の地で家業をつないできた8代目の平井正一郎さん。平井さんは多くを語らないが、現代社会の多くの事業承継問題に照らし合わせてみれば、その理由は推測できる。とにかく、平井さんの父である先々代が亡くなったことで、これまで通り商売を続けられなくなってしまったのだ。

「平井常榮堂」8代目の平井正一郎さん。20代後半で家業に入った。「継げとはいわれてないけど」「家業って、だいたいそんなもんとちゃうかな」。父と一緒にはたらくことでしごとを覚えた

「どないしょうかな。もう廃業しかないのかな」

20代後半から家業に入ったというから、その道50年。70歳を迎えた平井さんは「しょうがない」と「どないしよ」のはざまで頭を抱えていた。

夢は自分で漢方薬局を開くこと

そんなタイミングで、知り合いに連れられ、ひょっこりと旧店舗に現れたのが薬剤師の古川和香子さんだった。徳島大学で薬学を学び、以来、漢方の魅力にぐんぐんひきこまれていったという。

「ほんとは、新卒で京都に就職した2001年から、平井常榮堂は気になって気になって仕方ないお店だったんですが、あの風格でしょう。20代のわたしには、どうしてもひとりで入ってみる勇気がなくて。その後転職したり、一度山梨県に引っ越したりしたのもあって、ずっと機会がなかったんです」

そして40代になって再び京都に舞い戻ってきた古川さん。20年の時を経て、ひょんなことからいよいよ勇気を振り絞って平井常榮堂の扉を開く時がきたのだ。

「当時、大好きなファッションブランド『ミナペルホネン』の皆川明さんが講師をされると聞いて、夢を叶えたい人のための学校《世界文庫アカデミー》に通っていたんです」

いつかは自分で漢方薬局をやりたいというぼんやりとした夢を胸に温めていた古川さんの、気持ちが少しだけ夢に近づいていたのかもしれない。とはいえ、いきなり「継がせてください!」というために店に入ったわけではない。ただ、薬剤師としてのキャリアを重ね、漢方の勉強を地道に続けたことで「ずっと気になっていたあの店」の扉を開く勇気がわいたのだ。

「いつか自分で漢方薬局をやりたいという気持ちは、とはいえ、めちゃくちゃ強いわけではなくて。コツコツお金を貯めるということもなく。でも、勉強は重ねていました。漢方が好きで、いろんな勉強会に行ったり、資格を取ったり。なんとなくやりたいけど、自分に自信がないから結局は就職をして、、、」

次の人生に向かうべき一歩を大きく踏み出せないでいた彼女に、ある日突然、思いもよらぬ転機が訪れた。

チャンスは一瞬!

「うちのお客さんと商品を、お願いできんか」

譲りたい。初めにその意思を示したのは、平井さんのほうだった。

古川さんの実直な人柄や、薬剤師として診療所で働く傍ら国際中医師の資格認定を取得するといった勉強熱心なところ、経験と資格に裏付けされた確かな知識を見込んだ上での打診。彼女がいつか夢を叶えて新しいお店を始めるなら、ゼロからではなく、初めからお客さんがいるほうが収入の基盤になるだろう、と提案を持ちかけたのだ。

「2度目に足を運んだ日だったと思います。とにかく後継者がいないことも閉業を考えていらっしゃることも、私はまだまったく知らないタイミングでした。平井さんの前ではお店をやりたいという自分の夢の話もしてなかったと思います」

古川さんとしては、夢であった自分のお店を開くにあたり、そんなありがたいはなしはない。

「やります!」

備えよ常に。チャンスは一瞬。幸運の神様には前髪しかないというが、彼女にはしっかりとその前髪をつかむ準備ができていた。

「即答でした。なぜなら、そこまでは “わたしのお店” のはなしだったんですよ」

それが、2020年夏のこと。古川さんの夢は実現に向けて急速にふくらみ、平井さんには旧店舗からの退去が迫っていた。

旧店舗前で撮った記念写真が飾られていた

導き出された、継業という選択肢

平井さんの声かけによって、漢方薬局開業に向けての一歩を踏み出した古川さんは、相談のために慣れない役所や商工会議所に足を運ぶうち「事業を継ぐということなら、国の補助金が出る」ということを知る。屋号は変わっても構わないらしい。平井さんにそのことを伝えると、「もらえるものは、もらえたらいいね」と、前向きの返事がもらえた。

「商工会議所の連携先に京都府事業承継・引継ぎ支援センターという公的機関があって、担当の方がすべてスムーズに進めてくださいました。そのうち、今のこの新店舗の物件も決まって、融資の相談などどんどんはなしが具体的になっていくにつれ『融資の前に、まず事業を承継することが先』と告げられたんです」

いわく、古川さんが平井常榮堂を継業することを世の中に発表しなければならない。ところが、発表しようにも、これから開業する店はまだ屋号が決まっていなかった。

「また、平井さーん!って。そのときは恐るおそる、という感じでしたが、自分の考えを口にしてみたんです。平井常榮堂の屋号を、継いじゃダメですかねって」

対して、平井さんの返事はあっさり。「逆に、ええんか!?」だった。そう。最初に彼女に話を持ちかけたのは、平井さんのほうだったのだから「むしろ、ありがたかった」。

親族ではないが短い間にお互いに対する信頼を築き、継業というカタチを選択したふたり。それでも「うやむやにしないで、お金はきちんと払ったほうがいい。お金を出すか出さないかで気持ちが違うから」という商工会議所からのアドバイスを受け、古川さんが身の丈の譲渡金を支払うことで2021年7月に事業承継が正式に完了した。

「始まってみるとやはり、お客さんにとっても、お取引先のメーカーさんにとっても、常榮堂という名前があることで、信用が全然違うと感じました。何もないわたしがお店を開くのとは全然違うんだと思います」と古川さん。

「その分、また重いけどね(笑)。看板を背負うというのはそういうことやから。ま、この人は下手なことはしないからね。全部持っていってくれたから、ありがたくてありがたくて。うん、おかげで僕はのびのびさせてもらってる」

320年の歴史という看板。むしろ肩の荷が降りた、とでもいうように笑う平井さん。

「ほんとうに安心して譲れました。僕からすれば、神様が来てくれた、天から降ってきた、そんな気持ちですよ」

消えては困る、漢方薬局の営み

かくして、平井常榮堂薬局は2021年11月に「移転」というカタチで場所を移して再スタートを切った。

「第三者が継いだというので、マスコミにもたくさん取り上げてもらいました。テレビや新聞を見て新規の方も来てくださるし、前の店のお客さんも来てくださるから、最初の1年はとても忙しかったですね」

丸2年を過ぎて、ようやく少し落ち着いたかな、とふたりは顔を見合わせる。

「最初の2ヶ月は、平井さんも毎日来てくださって、わからないときはなんでも教わって。とても助かりました」

具体的にどんな「わからないこと」が起こるのだろう。

「いわゆる、“暗号” ですね。『お店に行ったらおじさんが出してくれたやつ』とか『便秘の薬』とか。最近でもそういうことがあって『おー、わからないぞ』って、平井さんに電話しましたね」

日本の漢方薬局で出せる漢方薬は、薬局方という法律で決まっている。数百種類もの生薬が使用され、複数の生薬をひとつの漢方薬に配合し、症状や体質に合わせて使い分けるのだ。古川さんはこれを予約制の「漢方相談」でじっくりと時間をかけて導き出す。辞書よりも分厚い本をひっぱり出して、カウンターでお客さんと額を突き合わせながら一つひとつ事例を追うこともある。「彼女は対応がていねいやからな。ゆっくり話を聞くし」。平井さんが認めている、古川さんの特性だ。

いつも、季節やその日の気候に合わせて、ブレンドハーブティが用意されている。「漢方になじみがなくても、カフェみたいに気軽に訪れてもらいたい」という古川さん

「西洋医学のお医者さんは、病名がわかってお薬を出してくれはる。ぼくらは病名わからなくても、たとえばその人の癖なんかでわかることがあるんです。病気という点ではなく、その人を診てる、というのかな。その人を治すのか、病気を治すのか」

お医者さんにケンカ売ってるみたいに聞こえたらあかんなぁ、と平井さんは笑うが、もちろんそういうことではない。

漢方生薬は、仏教をはじめとする多くの文化と同じく大陸から日本に伝わったとされるが、その後、日本で独自の発展を遂げた医学といわれている。けれど、他の多くの文化と同じように明治時代の西洋文化の流入により、西洋医学が主流となってきた歴史がある。しかし、平井さんがいうように、西洋医学と漢方医学は、容易に代替できない、似て非なるものなのだろう。

紙を貼り合わせて柿渋を塗った大小の薬箱は、平井常榮堂歴代店主のお手製。「もちろん、私もしっかり教わりましたよ」と古川さん。「若い人はみんなこれに反応する。人気やな」と、平井さんもうれしそう
平井さんが旧店舗時代に販売していた「おふろのもと」も受け継いでいる。「漢方相談は予約制ですが、買い物はいつでお気軽にもどうぞ」

「たとえば」と、古川さんがいう。

「大きな『眠れない』というひとつの症状があっても、それに付随する症状がたくさんあるんです。それをたくさん聞くことで、なぜ眠れないかがわかってくる。その全体を良くする漢方を出す、という感じですかね。今まで勉強したり経験したことと照らし合わせて、薬を出すんですね。飲んでみないとわからないというところもあるので、まず飲んでみてもらって、どうなるかでまた次の手を考えて。その経験を積み重ねることで、さらに絞り込んで、その人に本当にあった漢方に行き着く。これを一つひとつ、診ていくんです」

西洋医学では名前のつかない不調や不安に、じっくり寄り添う。タイパ、コスパ最優先ではなかなか解決できないカラダの困りごとに、たしかな経験と知識をもった上で一緒に頭を悩ませてくれる漢方薬局の存在は、やはりこれからも、わたしたちの暮らしに必要不可欠なのだ。


継いだもの:漢方薬局

平井常榮堂薬局

住所:京都府京都市左京区高野西開町21-5

TEL:075-741-8167

ホームページ:https://www.jyoeido.net