継ぐまち:広島県福山市
継ぐひと:日下宗真
〈 この連載は… 〉
後継者不足は、現代の日本が抱える喫緊の課題。「事業を継ぐのは親族」という慣習や思い込みを今一度とらえ直してみると、新しい未来が見つかるかもしれません。ここでは、地域の仕事を継ぐ「継業」から始まる豊かなまちと人の物語を紹介します。
取材・文:中鶴果林 写真:浅井克俊 編集:浅井克俊、アサイアサミ(ココホレジャパン)
日本人にとってお寺は身近な存在
日本人であれば、人生で一度はお寺に足を運んだことがあるだろう。地元にある小さなお寺から観光地として賑わう大きなお寺まで、お寺のイメージが浮かぶかもしれない。
では、日本全国にはお寺がどれだけあるか知っているだろうか。実は、コンビニの2倍もの数があり、その数はなんと7万5千軒にも及ぶ。お寺がどれだけわたしたちの生活に身近であるのかが分かる数字だ。
それだけ身近な存在であるお寺だが、「仏事の時だけお世話になるもの」と考えている人も多いかもしれない。しかし、お寺は意外にも、人と地域をつなぐ役割を持っていたのだ。
お寺の住職は、一般的に血縁関係で受け継ぐ印象を持っているかもしれないが、今回紹介するのは、第三者承継によるお寺の継業ストーリーだ。
幼い頃からお坊さんになるものだと思っていた
広島県内2番目の人口規模である福山市は、新幹線停車駅があり、ビジネスマンや観光客でにぎわう。駅から南に車を30分ほど走らせると、江戸時代に海上交通の要所「潮待ちの港」として栄えた、歴史あるまち「鞆の浦」にたどり着く。
福山駅と鞆の浦を結ぶ道から、住宅街へ続く細い路地を少し入った先に、約9百年の歴史を持つ「天徳寺」がある。
天徳寺は、坐禅修行をして悟りを開く「禅宗」のひとつである臨済宗妙心寺派の寺院だ。
住職の日下宗真(くさか・そうしん)さんは、このお寺の出身ではなかったが、第三者承継で天徳寺を継いで今年で9年目となる。日本のお寺のうち、約8割は家族や親族など血縁関係で継ぐそうだが、なぜ日下さんは仏門の世界に入ったのだろうか。
宗真さんは、大阪府の堺市に生まれ、高校卒業までを過ごした。その後、仏教を学ぶため、京都にある花園大学に進学。大学進学時にはすでにお坊さんを志していた。
「父親はお坊さんではなかったのですが、『お前は大きくなったらお坊さんになるんだぞ』と言われて育ったので、小さい頃からずっとそう思っていたんです。一種のマインドコントロールですね」と笑って振り返る。
父親が宗真さんを仏門の世界に導いたことには、理由があった。
「実は、父親の父親、つまり私の祖父がお坊さんだったんです。父はお寺を継がなかったけど、お寺自体が好きだったんでしょうね」
大学卒業後は、出家するためにお師匠さんを見つける必要があり、お坊さんである叔父さんの弟子となった。こうして、仏門の世界に足を踏み入れ、岐阜県多治見市にある修行道場で約3年間修行を積んだ。修行後は、大学時代から手伝いに行っていた北海道のお寺から、手伝いに来てほしいと声をかけてもらい、お寺とはどういったものかを経験するために北海道へ向かった。
しかし、お寺の家庭でなかった宗真さんは、自分が「継げる」お寺がない。北海道のお寺でお勤めをしながら、お寺探しは続いていた。
「ご縁のある人たちに、どこか継げるお寺はありませんか?を声をかけていたんです。いくつか紹介を受けて話が進んだこともありましたが、頓挫してしまうことも多かったんです」
女性でも僧侶になることはできるものの、男性の割合が多い仏門の世界では、男性のご子息のいないお寺から声をかけてもらうことがあるようだが、お相手とのマッチングがうまくいかないこともある。また、声をかけてもらったお寺の経済状況が芳しくなかったりと、一筋縄では決まらなかったそうだ。
そんなとき、大学時代のOB会に出席した際に、「お寺は決まったのか」と聞かれ、まだ探していることを伝えた。その会話の中で「いいお寺がある」と紹介されたのが、現在住職を務める天徳寺だった。紹介してくれた先輩があいだに入って話を進めてくれたことで、あっという間に天徳寺の住職になることが決まったのだそう。
「決まるときはこんなもんなんだな、と思いました」
こうして、宗真さんは生まれ育った土地でも、学生時代を過ごした土地でもない、広島県福山市のお寺にたどり着いた。
お寺を継いで見えてきた課題
お寺の住職を継ぐ場合と、一般的な会社の後継者として受け継ぐ場合では、いったいなにが違うのだろう。
お寺を継ぐまでの大まかなプロセスは、①継ぐひとが決まった時点で、前の住職が、宗派を統括する本山に申請をする。②「この人を住職にしたい」という内容を、法類と呼ばれる親戚のお寺に認めてもらい、本山に書類を提出。③さまざまな手続きを経て、任命書を受け取り住職となる、という流れ。
「お寺は宗教法人に属していて、登記上の所有者はお寺。お寺はお寺のものなんです。住職が変わった場合は、不動産の登記などはなく、代表者である住職が変わるだけです」
さらに、お寺には檀家(だんか)と呼ばれる、寺院の運営を支える存在がある。お墓を建てた家庭はお寺に葬儀や法要、お墓の管理を任せるかわりに、お布施を支払うことで檀家となり、お寺を経済的に支援する。これを檀家制度と呼び、江戸時代から始まった。
「住職はお寺の代表ですが、自分のお寺という認識はありません。檀家さんからの預かりものを守っているのです」
宗真さんのように、第三者承継でお寺の住職を継ぐ人は多いのだろうか。
「まったくいないことはありませんが、珍しいと思います。でも、修行道場にいた時には、大手証券会社を退職して出家し、血縁ではないお寺を継いだ方もいましたよ」
お寺は本来は誰が継いでもいいそうだ。多くの人がイメージするより、実は開かれた世界であることに驚いたが、その一方でいまお寺は課題を抱えているという。
「日本にあるお寺のうち、約4分の1が住職がいない”空き寺”となっています。住職がいない理由は、継がれるご子息がいなかったり、お子さんが女性の場合。また、お寺だけでは生活が成り立たないような経営状況の場合は、息子さんがいても継がせない、という方もいます」
地方では過疎化が進むことで、支えてくれる檀家さん自体が減ってしまい、経営が厳しいお寺が増えている。しかし、住職が不在だからといってお寺が潰れることはなく、近くのお寺の住職が兼務するという。
「もうひとつの課題は、檀家制度が崩壊し始めていることです。これまでお寺は檀家さんによる資金の支援を受けて運営していましたが、都心部ではお墓を作っても檀家にならないという人が増えています」
地域から都市部に転居した家庭が、代々お世話になっていたお寺から離れ、葬儀があっても葬儀屋を介してお寺に葬儀を依頼をするのが一般的になりつつある。お葬式をきっかけに檀家になる、という流れがなくなってきているのだ。
お寺に属さない「霊園」でお墓を建てる人が増えているように、お墓の形の多様化も関係しているだろう。
地域の過疎化や人々の生活様式の変化により、長らく続いてきた檀家制度というお寺を取り巻く環境が崩れ始めている。だからこそ、宗真さんは「選ばれるお寺にならなければいけない」と、危機感を持つようになった。
かつてのように人が集まる場をつくりたい
空き寺や崩れ始めた檀家制度という課題に直面し、「お寺は変わらなければいけない」と感じているのは、宗真さんだけではないようだ。
「3年ほど前から、中四国で住職を務める仲間たちと活動を始めました。みんな、新しいお寺のあり方を模索するために「なにかやろう」と思っていたんです」
住職ひとりでは他の業務との両立が難しいが、仲間がいればできることもある。こうして始まった「結の会」で、宗真さんは会長を務めている。合掌造りの地域で村人たちが助け合って屋根を葺くことを「結」と呼ぶことから、「結の会」という名前を付けたそうだ。
もともとお寺独自の行事として、般若心経を書き写す写経会や、住職による法話会など開催してきたが、結の会では、活動拠点としてお寺を新しく建て、さまざまなイベントを開催。
「イベントのひとつ「寺コン」は、単に男女の出会う場ではなく、仏様とも出会う場、という意味も込めています。人と人をつなぐだけではなく、薄れてきた仏様とのご縁を結べたらと思って」
かつて住民票がなかった時代、檀家制度は村をまとめる役割を果たしており、お寺は地域を管理する機能を担っていた。また、子どもたちに勉強を教える「寺子屋」があったり、子どもが産まれたらお坊さんに名前をつけてもらうことも多かった。お寺が地域にひらかれ、信頼される存在だったといえるだろう。
しかし、そういった習慣は徐々に薄れていき、今では「お寺は礼服を着て、仏事の時だけ訪れる場所」という印象を持たれることが多くなってしまった。宗真さんは「お寺を礼服を着てくる場所ではなく、普段着でも立ち寄れる場所にしたい」と話す。
さらに、新型コロナウイルス感染症の影響を受けて、新しい取り組みも始めたそうだ。
「フィットネス関連の会社と協働して、オンラインで坐禅と法話のプログラムをやっています。なにもなければお寺に足を運ぶことがなかった層にも参加してもらえているので、よかったなと思います」
選ばれるお寺となるために、変わっていくのではなく、本来の姿に戻っていければと考えている宗真さん。
「今までやってきたことを継続しつつ、プラスアルファといった形で時代に合わせたやり方を取り入れなければ、と頭を捻っています」
オンラインでの坐禅や法話ができるのは、今の時代の強みかもしれない。時代に合った形で、お寺を「人が集まり、公民館のような場所」にアップデートしようと試行錯誤を続けている。
ただあるのではなく、価値のある存在になるために
仏門という特殊な世界に身を置いている宗真さんに、醍醐味や楽しさを伺った。
「お寺の仕事全般を「ビジネス」とは捉えていません。わたしたちは、僧侶であり、出家者であり、宗教者。布教をすることが使命です」
宗真さんは、「せっかく知り合った人にはちょっとでも仏教や禅を経験してもらいたい。そして、人と人がつながればおもしろい」と考えている。
布教という宗教者の使命を第一に考えながら、お寺を知ってほしいという想いが、さまざまな活動の原動力なのだろう。
そんなとき、取材の途中でアラームが鳴った。
「これから鐘を打ちに行きます」。そういって、鐘の方へと向かう宗真さん。
「天徳寺では、1日に2回、朝と昼に鐘を鳴らすようにしています。法事などで鐘を鳴らせないときは、地域の人に「どこかに行ってたの?」と言われることもあるんですよ」
ただ存在するだけのお寺ではなく、価値のあるお寺になるために。鐘を鳴らすのは、「お寺がここにあるよ」ということを伝えるための役割もある。
こうして鐘を鳴らすことも布教であり、宗真さんが毎日打つ鐘の音は、地域の人々にとっての日常になっている。
約9百年という長い年月のあいだ、福山の地で人々の生活を見守ってきた天徳寺。時代とともにお寺を取り巻く環境は変わり、課題も見えてきた。
住職という「役割」を継いだ宗真さんは、かつてお寺が気軽に集まれる場所であったように、お寺の「人と地域をつなぐ役割」も受け継いだのだ。
時代に合わせた方法で工夫を重ね、選ばれる存在になる。お寺の継承と一般的な事業継承は少し異なるが、この地域における存在価値をアップデートし続けることは、長く続いていくために大切なことだと言えるだろう。
継いだもの:天徳寺
住所:広島県福山市田尻町1085
TEL:084-959-5101