幾春別の歴史をみてきた食堂
古くは炭鉱のまちとして栄えた三笠市。最盛期には63,000人が暮らしていました。今回後継者を募集する「更科食堂」は、創業から約90年以上、炭鉱で働く坑夫たちのお腹を満たしてきた、幾春別でもっとも古い食堂です。
更科食堂の創業の地は、三笠市のおとなりの岩見沢市美流渡(みると)。3代目の平田尚敬さんのおじいさんが、富山で蕎麦の修行をした後に創業。昭和初期に現在の場所に店舗を移しました。尚敬さんのお父さんは、炭鉱での仕事のかたわらお店を手伝っていたそうです。
小さい頃からものづくりが好きだった尚敬さんは、高校卒業と同時に蕎麦打ちをはじめ、40歳の頃に3代目の店主となりました。
しかし、その頃には炭鉱はすでに廃鉱となっており、人口は徐々に減少。いまでは約8,000人まで減りました。
幾春別の時代の移り変わりを見てきた更科食堂も、尚敬さんの健康上の理由と建物の老朽化から、一度は廃業を決めたそうです。
しかし、炭鉱時代の面影を残す建物と、引き継がれてきた秘伝の出汁を使った蕎麦つゆの味をこのまま失うのは忍びないと、地域住民が建物を保全。そして今回、三笠市が地域おこし協力隊制度を活用し、更科食堂の4代目店主として1〜2名を募集(夫婦や親族により複数名で継業したい場合は、2名での応募も可)することになりました。
更科食堂の建物と味をまちに残したい
更科食堂までのアクセスは、札幌から高速を利用して約1時間少々。札幌から富良野までの中間に位置しているため、食事休憩として立ち寄る方も多いそうです。
更科食堂の建物は、昭和初期に建てられた当時のまま。特徴的な青い屋根の形と板張りの壁の外装だけではなく、店内にも昭和初期のレトロな雰囲気が残ります。建物の1階が店舗、2階が蕎麦打ち部屋で、半分は住居スペースとなっています。4代目には、地域おこし協力隊の任期期間中この建物が無料で貸与され、任期終了後には、土地建物が無償譲渡されます。
蕎麦以外にもうどんやラーメン、丼ものなども提供していますが、看板メニューは、手打ち蕎麦。初代から手打ちを続けています。尚敬さんも2代目から蕎麦打ちを習いました。
蕎麦つゆとかえしは、昆布、宗田鰹などの上質な素材から取る出汁をつかった秘伝のレシピ。これが更科食堂の味を支えています。
常連だったお客さんからは、こんな声も上がっています。
「出会って30年、昼時並ばすに入れたらラッキーです。サラリーマンにとってはお財布にやさしい価格設定なのでついつい2つ注文しちゃいます。」
「おすすめはなんといっても手打ちの冷たいそば。麺のシャキシャキ感が店主こだわりのつゆと相性抜群です。あの味が食べれなくなって寂しい限りです…1日も早い再開を期待しています。」
蕎麦以外の商品も含め、更科食堂の味は、尚敬さんから4代目に引き継がれます。尚敬さんは持病を抱えており、十分な修行時間を取れない可能性もあるため、調理・飲食業の経験がある方が好ましいです。しかし、飲食経験がない方でも、老舗蕎麦店を承継する意思があり、まじめで根気強く仕事に向き合える方であれば歓迎します。
歴史ある食堂を地域ぐるみで再開する
更科食堂のある三笠市は、北海道のほぼ中央に位置しており、札幌市や旭川市だけではなく、新千歳空港からも1時間圏内と、主要都市へのアクセスが便利です。
三笠市は、「2021年版 住みたい田舎ベストランキング」(宝島社)の北海道エリア「総合部門」ランキングで、第3位にランクイン。また、地域おこし協力隊として三笠市に移住した方によれば、三笠市ではフルーツから葉物野菜、根菜まで幅広く生産しているので、美味しい食材が安く手に入るそうです。
地方都市での飲食店経営では、地域外からの集客はとても重要です。更科食堂の繁忙期は春から夏で、特にゴールデン・ウィーク、夏休み、シルバー・ウィークがかき入れどきだったそう。新型コロナウイルス感染症によって生活様式が変わりましたが、それを乗り越えられるようなアイデアを取り入れた経営ができると心強いと思います。
今回のプロジェクトに対して、まちもサポート体制を整えています。市は地域おこし協力隊制度を活用。任期期間の最長3年間は、三笠市の会計年度任用職員(開業後は雇用関係無いの委嘱)として給与が支給されます。町内会をはじめ地域の方も、地域の食堂を継いでくれる4代目を積極的にサポートします。
更科食堂は、90年以上の歴史がある地元の有名店。平日、休日に関わらず、行列ができるほどでしたが、残念ながら閉店。SNSでは惜しむ声が多く投稿されました。その再開時には、きっと市内外から多くのファンが訪れてくれるはずです。三笠市、幾春別地域の古き良き時代の思い出をいまに残すこの食堂を、まちと一緒に再開してみませんか?