和食道50年の職人技で、下津井ならではの旬の味覚を提供し続ける「すし割烹 松本」 | ニホン継業バンク
  • 会員登録
  • ログイン

2023.03.18

和食道50年の職人技で、下津井ならではの旬の味覚を提供し続ける「すし割烹 松本」

〈 この連載は… 〉

岡山県西部を流れる高梁川流域の10市町には、ここにしかない味や技術、長年愛されてきたお店がたくさんあります。しかし、それらは、後継者不在を理由に少しずつ姿を消してしまうかもしれません。この連載では、市民のみなさんから「絶対に残したい」と応援の声が寄せられた事業を営む店主に、仕事に対するこだわりや思いを伺います。

取材・文:中原あゆ子 写真:bless和田奈緒子 編集:中鶴果林(ココホレジャパン

北前船で栄えた下津井港

倉敷市の南端に位置し、鷲羽山のふもとに細長く延びる倉敷市児島下津井。近代的な瀬戸大橋の造形と、ひなびた漁港とのコントラストが美しい港町だ。江戸から明治時代にかけて北前船寄港地として栄え、「下津井港は~よ~」とはじまる北前船の船頭衆たちの民謡・下津井節が、今も歌い継がれている。

瀬戸内海に面した港町風情のある通り。向こうに瀬戸大橋を眺める

瀬戸内海に面したこの地は、古くから住民の多くが漁業に従事していた。なかでも「下津井ダコ」と全国的に有名になった真ダコ漁が盛ん。海流がぶつかる下津井沖の波でもまれたタコは、身が引き締まっていて旨味が凝縮していると評判だ。1985年(昭和60年)に創業した「すし割烹 松本」も、生きのいい地物の魚介をネタにした寿司やタコ料理が自慢の料理店として、40年近くこの地で営みを続けてきた。

3代続くタコ漁師の家系

店主の松本真一さんは、タコ壺漁を営む下津井の漁師の家に生まれ育った4代目。祖父の代から3代続く家系だったが、ひとり料理の道に進んだ。理由を聞くと、「小さい頃は船に乗ってタコ壺を引き揚げるのを手伝ってはおったんです。でも、親が厳しくいうし、仕事もきつかったんで嫌になって。どっちかというと食べるほうが好きだった」と笑う。高校時代には下津井沖港に浮かぶ六口島の民宿で調理のアルバイトをしたりもした。

高校卒業後、大阪にある辻あべの調理師学校に入学し、基礎を学んだあと、ミナミの名店「福喜鮨」に見習いとして修業に入った松本さん。「そりゃあ厳しいっちゅうもんじゃなかった。技よりなにより体調管理に厳しゅうてね。風邪なんか引こうものならものすごい怒られました。だから今だに体には気を付けています」と笑って回想する。

職人らしからぬ優しい物腰の松本真一さんだが、板場では真剣な眼差しに

最初の1年は3時頃に起きてまずは店の掃除や片付けから。何も教えてもらえず、背後でとにかく親方や先輩職人のやることを、文字通り「見習う」だけだった。それでも3年目からはシャリ炊きを任された。米の炊き方や塩と酢の配合についてはレシピがあったが、手取り足取り教わったわけではなく、見よう見真似で親方の味を身に着けた。

4年目にはようやくお客さんの前に立たせてもらうようになり、「握ってみろ」と声が掛かった。「その時は、やっと認めてもらえたんじゃと思うてうれしかったね」と松本さんの顔がゆるむ。激戦区・大阪の名店で腕を磨いた松本さんは、瀬戸大橋開通前の下津井に戻って晴れて独立し、「すし割烹 松本」を開店した。

料理道50年の鮮やかな手技を披露してくれた

名物「タコの土手鍋」は祖母の味

そんな松本さんの自慢は、もちろん寿司。車エビやタコ、タイ、穴子、イカ、サワラ、貝類など、下津井漁港で揚がったばかりの新鮮な魚を生け簀で泳がしている。魚の味を最大限生かすため、酢飯は甘みを控えてあっさり仕上げ、ネタも江戸前のように締めたり漬けたりはあまりしないそうだ。

「にぎり盛り合わせ」は1人前1,100円とリーズナブル

また、タコを知り尽くした松本さんならではのオリジナルメニューの「タコの土手鍋」というのもめずらしい。漁協や漁師から直接仕入れるマダコの足を一本使い、出汁はブレンドした赤みそと白みそ仕立て。キノコや海藻、野菜とともに、ぐつぐつ煮ながら味わうひとり鍋だ。

ヒントになったのは、子どもの頃に祖母が作ってくれた鍋料理なのだそう。「タコ壺漁の収穫のなかでも売り物にならん小さいタコやイイダコを、野菜と一緒に鍋に放り込んでね。カキの土手鍋みたいにして食べさせてくれたのがおいしくて」その懐かしい味を、松本さんがマダコで再現した思い出深い「タコの土手鍋」は看板メニューになっている。

店の開店から3年後の1988年(昭和63年)に瀬戸大橋が開通した。それまでは橋梁の建設関係者や、視察の団体などが大勢来店し、店はたいそうにぎわった。開通後は観光客がどっと押し寄せ、50人が収容できる店内は、宴会や会食で座敷までいっぱいになったという。

にぎりが付いた昼定食が人気

瀬戸大橋フィーバーが落ち着いても、地元の名物料理を味わいたい観光客が次々と訪れて、店の評判も上がった。ところがバブルが弾け、リーマンショックで景気が減速した2007年頃から状況は変わった。接待や大きな宴会が少なくなりはじめたのだ。考えた松本さんは、夜だけでなくランチタイムも店を開くことにして、1,650円の「昼定食」や830円の「たこコロッケ定食」なども始めた。

その日仕入れた魚の一品料理もいろいろ

にぎりの盛り合わせに天ぷらやコロッケなどの揚げ物と、赤だしの付いた一日20食の「昼定食」はたちまち人気を博した。「敷居の高い店かと思ったら、寿司付きの定食が安く味わえる」と噂が広がり、売り切れることもある人気となった。現在は、ランチ時は家族連れや観光客、夜は飲みながら一品料理や寿司をつまむ地元の常連客や観光客に親しまれている。

下津井の変遷を見つめて

松本さんが今心配しているのは、下津井の海のことだという。「地球温暖化に加えて、海を整備したらきれいになりすぎてね。栄養のある餌もなくなったからか魚がおらんようになってきたんです。」できるだけ地物の魚を使いたいと思っても、材料が揃わないこともあるそうだ。それでも、良好な関係を保っている漁協や漁師に電話をすれば、たいていの場合融通してもらえるのはありがたいと話す。

さらに、代々暮らしてきた下津井の町は、じわじわと過疎化が進んでいる。「ふたつある小学校も生徒がおらんようになってなぁ」と寂しそうに話す松本さん。息子たちは別の仕事に就いているといい、「これからは夫婦ふたりで、食べられるだけぼつぼつやっていこうかなあと思う」

瀬戸大橋が開通し、町の風景は変わったが、漁師町の人情の温かさは変わらない。「この風景と人が好きだから、ここで変わらず営みを続けたい。町がもっとにぎわいを取り戻せばいいんですがね」と目の前の海を見つめながら、松本さんは話してくれた。


絶対に残したい!倉敷・高梁川流域のお店 : 寿司やタコ料理が自慢の料理店

※本記事は後継者を募集するものではありませんので、直接事業者様にお問い合わせされることはお控え下さい。