
〈 この連載は… 〉
岡山県西部を流れる高梁川流域の10市町には、ここにしかない味や技術、長年愛されてきたお店がたくさんあります。しかし、それらは、後継者不在を理由に少しずつ姿を消してしまうかもしれません。この連載では、市民のみなさんから「絶対に残したい」と応援の声が寄せられた事業を営む店主に、仕事に対するこだわりや思いを伺います。
取材・文:中原あゆ子 写真:bless和田奈緒子 編集:中鶴果林(ココホレジャパン)
代表銘柄は「多賀治」と「十八盛」
倉敷市児島と玉野市を結ぶ国道430号の道筋に、江戸時代から続く老舗蔵元「十八盛酒造」と書かれた風格ある蔵がある。海運を見守る由加山のふもとに位置するここ児島田の口地区は、すぐ南に田の口港があった海辺のまち。江戸の昔から、讃岐(香川県高松市)の金比羅宮に参拝し、海を渡って由加山にも参る「両参り」の参道口としてにぎわっていた。
門前町に酒屋を開いたのが初代・志保屋幸助だ。酒株(清酒酒造免許)を取得し、1785年(天明5年)に創業したことが古文書に記されている。「天明の飢饉といわれるほどの食糧難の頃ですから、米が確保できずに酒株を手放す人もいたのでしょう。その免許を買い取って始めたようです」と、八代目で現当主の石合敬三さんは語る。創業時の屋号は志保屋といい、「幸助酒屋」という愛称で呼ばれていた。1977年には「十八盛酒造株式会社」を設立し、創業以来230年余りの歴史を刻んできた。
代表銘柄は、五代目の名を冠した「多賀治」。敬三さんが杜氏として2013年(平成25年)から特約店銘柄として発表した。いずれも魚料理をはじめ、和洋の料理に寄り添う食中酒として、豊かな味わい、香り、キレと3拍子そろった味わい。しぼったばかりの生原酒のフレッシュな味わいが愉しめる「しぼりたて生酒」や、ジーンズラベルがお洒落なリキュール「ことのわ」、リ・ブランディングした「十八盛」など、新たな消費者層にアピールする新酒も次々と開発している。

原料はすべて岡山県産の「雄町」や「朝日米」を中心に、「山田錦」「吟のさと」「あけぼの」を使用。水は、かつては由加山の山水を使っていたが、現在は高梁川の伏流水を仕込みに使う。瀬戸内の温暖な気候や豊かな食文化に育まれ、備中、安芸津、但馬杜氏ら歴代の蔵人によってふくよかな米の旨味のあるキレの良い酒を醸し続けてきた。

改革派が生んだ一級酒「十八盛」
長い歴史の中でもイノベーター的存在だったのが五代目・多賀治だ。初代から続く「幸助」を襲名せずに本名の「多賀治」を名乗り、酒だけでなく味噌・醤油の醸造を始めた。そしてワンランク上の銘柄として「十八盛」ブランドを生み出すなど斬新なアイデアで改革を進めたそうだ。当時の酒造りは名杜氏・山下一郎のほか備中杜氏が担い、その後は安芸津杜氏や但馬杜氏が蔵を仕切った。
良い酒を目指していたが、戦後は物資不足を補うために質より量が奨励され、添加物を使った大量生産時代が続いた。「作れば売れるような時代だったので技術にはそれほどこだわらなかったようですが、祖父(六代目・清忠)も父(七代目・多喜夫)も、『原価を欠いても良い酒を』という代々の教えを守り、最良の材料で酒造りに熱心に取り組んでいました」と敬三さんは振り返る。
昭和40年代をピークに、日本酒は次第にビールやウイスキーなどの洋酒に押されて生産量が減っていった。同時に本物志向も高まっていたが、メーカーの大量生産は依然として続き価格も価値も下がる一方だった。
「大手との価格競争には太刀打ちできませんし、大量生産品では味の差別化も難しいと思います。2000年以降は、中小の蔵元にとってはきつい時代でした」
そんな厳しい時期だった2006年、高齢の父に代わり、三男の敬三さんが代表取締役に就任した。

「化学の眼」で酒造りを探求
敬三さんのふたりの兄は別業種に就職。敬三さんは東京理科大で半導体を専攻し、その後パナソニックでブラウン管の開発に関わったが、「いつかは自分が後を継ぐのだと自然に考えていた」という。その後、「実家に帰って手伝ってほしい」という父の願いを受けて、1996年に実家に戻った。酒造りには帰郷するまで携わったことはなく、帰郷してから約15年間は酒造りの手伝いや現場の瓶詰め作業などを行っていた。
「最初はろ過作業や瓶詰めから経理まで、何もかもやっていたので死ぬか思うて」と苦笑する。そんな中、前任の杜氏が高齢のため引退し、まだあまりわかっていないまま杜氏になった。そこから代表取締役を務めながら、我流で麹造りや酒母立てを習得していった。

バリバリの理系出身らしく、敬三さんは研究を重ねて酒造りを探求した。「自分がやるまでは酒造りの仕事はブラックボックスみたいなイメージで、軽々しく立ち入れないと感じていた」と話すが、酵母や麹の神秘を体感するうちに没頭するようになったという。
研究開発とともに作業の効率化も進めてきた。蒸し米を取り出すのにスコップで掘っていたが、ホイストを使って吊り上げるようにし、麴室を増設して作業スペースを確保。より思い通りの麹ができるようにした。
「効率化はあくまでも無駄な作業時間と労力を削るためです。それにより大事なところに注力できるようになりました。一つひとつ丁寧な仕事を続けるのは大変ですが、良い酒を造るための手作業は変わりません」と話す。

「蔵では微生物たちが静かに活動をしていますが、目には見えないので五感を使ってその様子を伺います。今取り組んでいるのは自然の酵母で仕込む生酛造り。酒造りの原点ともいえる製法です。醪(もろみ)がふつふつと発酵する音に耳を傾け、酵母と対話しながら仕込むのですが、なんとも神秘的です。今取り組んでいるのは自然の酵母で仕込む生酛仕込み。今年は最初の蔵出しもできそうです」と熱っぽく語る敬三さんの酒造りへの想いは、まるで親心のようでもある。
「日本酒を取り巻く環境はまだまだ厳しいものがありますが、230年余り受け継いできた伝統を守りながらこれからも真摯に酒造りに取り組んでいきたいですね。米を育てる農家の方々の思いや、蔵人たちの思い、大切に味わってくださるお客様にストーリーを感じていただけるようなお酒を、これからも丁寧に醸していければ」と語ってくれた。

倉敷・高梁川流域の絶対に残したい技 : 230年余の歴史を持つ酒造
※本記事は後継者を募集するものではありませんので、直接事業者様にお問い合わせされることはお控え下さい。