〈 この連載は… 〉
岡山県西部を流れる高梁川流域の10市町には、ここにしかない味や技術、長年愛されてきたお店がたくさんあります。しかし、それらは、後継者不在を理由に少しずつ姿を消してしまうかもしれません。この連載では、市民のみなさんから「絶対に残したい」と応援の声が寄せられた事業を営む店主に、仕事に対するこだわりや思いを伺います。
取材・文:藤原真理子 写真:bless林達也 編集:中鶴果林(ココホレジャパン)
昭和な香りが漂う中華料理店
全国に知られる岡山県倉敷市の港湾地区、水島コンビナートで働く人々のベッドタウンであり、かつて川崎製鉄株式会社(現JFEスチール株式会社、以下川崎製鉄)の社宅や独身寮などが林立していた倉敷市連島西之浦エリア。この一角にレトロなたたずまいの商店街がある。日ノ出商店街という名がかすかに残る小さな通りの入り口に位置するのが大龍軒。2023年10月でオープン51年を迎える中華料理店だ。店主の古川一十三(かずとみ)さんは御年76歳。妻のハツミさん、その妹の山本洋子さんと3人で半世紀に渡って店の看板を守ってきた。

知り合いの一言で出店を決める
鹿児島出身の一十三さんは、関西で調理師として働いていた両親の影響で、子どもの頃から料理人になりたいと思っていた。若くして京都、大阪、神戸の中華料理店で修業を重ねた後、神戸市三宮のビジネス街に自らの店を営んでいた頃、川崎製鉄の知り合いから「倉敷で店をやってみないか」と誘われたという。ちょうど山陽新幹線の新大阪―倉敷間が開通した1972年。「新幹線で倉敷に遊びに来て、店となる場所を見せてもらったんですが、周りには社宅や独身寮がたくさん建っていてね。この場所ならいけると思いました」。一十三さんが25歳の時のことだ。

店を開いてからの毎日は、それは大変な繁盛ぶりだったそう。川崎製鉄のシフトは3交代制で、仕事を終えた社員たちが朝、昼、夜と食べに訪れ、その忙しさたるや「もう、無茶苦茶だった」と振り返る。現在の営業時間は午前11時30分から午後10時までだが、当時は午前10時から翌日の午前1時まで。夜のお客が長引いたり午前2時、3時に入店して来たりするのはザラ。これを開店して3年間は年中無休で営業していた。「石の上にも3年というから、とにかく頑張ろうと必死だったね。夜勤の帰りに食べたいというお客さんのために料理だけ用意しておき、私たちが寝ている間にシャッターを開けて勝手に食べて飲んで帰るという、そんなこともあった」
人に愛されお客に恵まれた日々
その後はさすがに定休日を定めて現在に至っているが、状況は大きく変わらず。独身者や会社員、女性グループ、近隣のファミリーをはじめ多くの胃袋を満たしてきた。客とのつながりも強く、常連客が知り合いを呼び店の2階で麻雀をしては食事をしたり、趣味の釣りではお客と一緒に釣りクラブを作り、休日になると釣りに出かけたり。「本当の親戚や兄弟のような付き合いをさせてもらいました」
1970年代のオイルショックの時期はさすがに売り上げもダウンしたが、25年ほど前に周辺の住宅事情が変わった時も、新型コロナ感染拡大の時も、さほど客足は変わらず、大きな影響は受けなかったという。「思えばいいお客さんに恵まれていた。ありがたかったね」と一十三さんはしみじみ話す。
自分の舌を信じて編み出した料理
大龍軒の料理は、一十三さんが修業時代、自分の五感を頼りに覚えた味の数々がベースになっている。「修業先を転々としながら一品一品料理を覚え、ノートに書いては料理作りの基本を学んできました。お客に出した後、鍋に残っているソースをこっそり味見して記録することもあったね」そして店をオープンする頃にはすでに何でも作れるようになっていた。
舌で覚えた味をもとに自分なりに分析してレシピを編み出し、再現した料理はどれもやさしく、不思議と後を引く味わいだ。中華のお手本のような見事なパラパラ加減に仕上げられた「やきめし」600円、お酢独特のツンとくる酸味をおさえたまろやかな味わいの「すぶた」850円。食べ応えのある「やきギョーザ」470円、すっきりクリアなスープに自家製チャーシューともやしがのった「ラーメン」500円。人気のメニューを挙げればキリがないが、なかでも「焼きギョーザ」は、長年研究に研究を重ねて作り上げた自慢の一品。一口ほおばるとキャベツ、ニラ、生姜、ニンニクなど野菜の香りがふわりと口中に広がり、その奥に確かな肉の存在感がある。何個でも食べられる、店一番の人気メニューだ。

手抜きなしの手作りが味を支える
料理の下地となっているのは、既成品を一切使わず、手作りを貫く丁寧で誠実な料理づくり。ごま油や白絞油にねぎなどをたっぷり入れて煮詰めて作る香味油、鶏ガラや豚骨、香味野菜をじっくり煮込んで仕上げるスープなど、味の決め手となるものはすべて手抜きなしの自家製だ。
「中華料理は中国の料理ということではないから、自分の好きな料理を作ればいいと思っている」と、自分を信じて日々厨房に入る。それが一十三さんの料理に対するこだわりでもある。それだけに、お客の食べる姿は気になるといい、「調理場からしょっちゅう客席を見ているよ。うなずいた時はおいしかったんだな、と」
ひとたび厨房に立てばピンと背筋を伸ばし、76歳の年齢を感じさせない勢いと手早さで料理を仕上げていく一十三さん。その姿には長年のキャリアと確かな自信を感じずにはいられない。

51年という長い年月を振り返った時、「とにかく楽しかった。辛いと思ったことは一度もないなあ」と一十三さん。これからのことを尋ねると「店を継ぎたいと言ってくれる子はいるんよ。でもいつになるかはわからない。それまでは体が続く限りがんばるよ」と笑顔で話してくれた。

絶対に残したい!倉敷・高梁川流域のお店 : 半世紀にわたって客足の絶えない町中華の名店
※本記事は後継者を募集するものではありませんので、直接事業者様にお問い合わせされることはお控え下さい。