
〈 この連載は… 〉
岡山県西部を流れる高梁川流域の10市町には、ここにしかない味や技術、長年愛されてきたお店がたくさんあります。しかし、それらは、後継者不在を理由に少しずつ姿を消してしまうかもしれません。この連載では、市民のみなさんから「絶対に残したい」と応援の声が寄せられた事業を営む店主に、仕事に対するこだわりや思いを伺います。
取材・文:中原あゆ子 写真:bless小野友里恵 編集:中鶴果林(ココホレジャパン)
懐かしの駄菓子が50種類
岡山県高梁市の中心部に伸びる栄町商店街のアーケードのはずれに、小さな駄菓子の店がある。「駄菓子の店」と大きく染め抜いた暖簾をくぐると、お菓子が詰められた木やブリキのケースがずらりと並ぶ。その奥で、柔和な笑顔を浮かべて「いらっしゃい」と迎えてくれるのが、店主の植田智恵子さんだ。

碁盤目に並ぶガラスケースをのぞくと、駄菓子がいっぱい。懐かしのせんべいや豆菓子、かりんとうに金平糖、抹茶味の松露、カラフルなアイシングをかけた動物ビスケットや7色のゼリービーンズなどがどの箱にも詰まっている。全部で50種類はあるだろうか。
「多い時は100種類ぐらい扱っていたんですよ。お客さんがね『おばちゃん100種類もあるよ』って数えてくれたんです」。昭和時代以前に生まれた人にとっては、懐かしさに胸がキュンとするようなお菓子ばかりだ。

手焼きせんべい店がはじまり
開業は、1947年(昭和22年)。出征先から引き揚げ、大阪で暮らしていた智恵子さんの父親が、叔父から手焼きせんべいの焼き方を習い、地元の高梁市に戻って開いたせんべい店がはじまりだった。おやつが貴重だった当時、店の一角で実演する焼きたてのせんべいはたいそう人気で、母が車を押して町へも売りに行っていたほど。店が忙しい時は、小学生の智恵子さんがせんべいに砂糖やしょうゆを塗る手伝いもしていた。
店は繁盛していたが、体調を崩した父親はせんべいを焼くことができなくなり、引退。1979年に母が店を受け継ぎ、菓子問屋から仕入れたお菓子を販売する駄菓子店に転じた。智恵子さんは、既に学校を出てデパートで婦人服の仕立てをしていたが、休みの日や時間がある時には手伝い、母を助けた。

創業時から変わらぬ「量り売り」
その母も他界し、智恵子さんが1990年に店を継いだ。「商売は好きじゃなかったんですけれど、仕方なかったので」と言いながらも、智恵子さんは母のやり方を受け継ぎ、仕入れから販売までひとりで切り盛りしてきた。今でも変わらないのは、量り売りのスタイルだ。「おばちゃん、このおせんべいちょうだい」といわれると、スコップでザクッとすくっては、紙袋にさらさらと入れて、秤で量ってくれる。

お菓子は100g単位で販売し、どれも100円台から300円台と、子どものお小遣いで買える良心的な価格。県内の保育園児が「おつかい」体験で訪れることも多いそうだ。量ったお菓子は、大きな木製のそろばんを弾いて計算し、くるくるっと袋のはしを閉じて手渡ししてくれる。そのスローでていねいな所作が、懐かしくも温かい。
仕入れるお菓子は、以前は一斗缶で届いていたが、近年は缶の値段が上がったため紙ケースで届くようになった。大きな箱で届いたせんべいやおかきを、タイミングよく店頭の箱に補充する。売れゆきを見計らい、味見をしながら足していくので、いつでもパリッ、サクッとした歯ごたえや風味が新鮮だ。
品揃えは年中同じではなく、季節性もあるそうだ。「やっぱりね、夏場と冬場は品揃えも変わります。夏は湿度が高いからかりんとうや芋けんぴはなくなって、ゼリー系が増えますね。冬場はお茶請けの甘いお菓子が多いかな」。人気商品はと聞くと「塩とおしょうゆ味の丸いおかきはみんな大好き。あとクッキーも最近は人気ですよ。子どもさんは小さな金平糖が好きみたいね」と教えてくれた。

駄菓子を通じた語らいの場に
今は木曜を定休日にしているが、一昨年までは年中休みなく、暑い夏も寒い冬も表の戸は全開にしていたそう。子どもからおじいちゃんやおばあちゃんまで、誰でもぶらりと立ち寄れる開放感がいい。「来てくださったら30分から1時間ぐらいそこへ座っておしゃべりしてくださいます。そんなお客さんとの交流があるから、お店を続けられるんでしょうね」
50年もの間、たくさんの笑顔と語らいがここで交わされてきたのだ。非接触の店ばかりになった今、こういう温かい対面型の接客にほっとする。「でもね、昔は子どもたちがたくさんいたんですが、今は町内に小・中学生がひとりもいないんです。お客さんも大人の方のほうが多くなりました」この通りを見つめてきた智恵子さんの表情が少しばかり曇る。

コロナ禍による影響も少なからずあった。「通りに人が全然歩かなくなりました。コロナの影響は本当に大きいです」とため息をつく智恵子さん。それでも常連客は変わらず立ち寄ってくれるし、SNSなどで知って県外から訪れた女性客が喜んでくれたこともあったと顔をほころばせる。
「以前は病気一つしなかったんだけど、最近はほんとに動けなくなって…。おせんべいの缶も重くってね。もうお店を閉めようと思うこともありますが、皆さんとお話したり、そろばん弾いたりしていると、ボケなくていいかなとも思う」と笑う。商売の妙味ではなく、この空間で出会う人との語らいや触れ合いが、今となっては智恵子さんの元気の源となり、生きがいになっているのかもしれない。
倉敷・高梁川流域の絶対に残したいお店:ぶらりと立ち寄れる量り売りの駄菓子屋