鮮度と味を保つ高純度の氷を届けて75年。水島の町と共に歩み続ける「田島商店」 | ニホン継業バンク
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2022.11.29

鮮度と味を保つ高純度の氷を届けて75年。水島の町と共に歩み続ける「田島商店」

〈 この連載は… 〉

岡山県西部を流れる高梁川流域の10市町には、ここにしかない味や技術、長年愛されてきたお店がたくさんあります。しかし、それらは、後継者不在を理由に少しずつ姿を消してしまうかもしれません。この連載では、市民のみなさんから「絶対に残したい」と応援の声が寄せられた事業を営む店主に、仕事に対するこだわりや思いを伺います。

取材・文:中原あゆ子 写真:bless 和田奈緒子 編集:中鶴果林(ココホレジャパン)

戦後の水島で父が創業

バーで飲むオンザロックの氷や、パーティ会場にある氷柱のアート、夏祭りのかき氷…。家庭用をはじめ、商業施設や工場向け、イベント用などさまざまな用途で使われる氷やドライアイスを倉敷市水島の地で販売する「田島商店」。

現社長の田島憲男さんの父が氷雪販売業をはじめたのは、戦後間もない昭和23年頃のこと。終戦後、外地(朝鮮)から地元・岡山に引き揚げてきて、水島に居を構えた。

「戦時中、水島に三菱重工業が航空機の工場をつくって、工員の社宅もたくさんあった。そこに戦地から戻ってきた人や、岡山空襲から逃れてきた人が家や仕事を求めて集まってきたのが、水島の成り立ちです」と話す憲男さん。

最初は、四軒長屋のような社宅に暮らし、八百屋を始めたが、ほどなく水島港の近くに製氷所ができたのをきっかけに、氷を仕入れて売り始めた。以来、製氷専門業者が手間と時間をかけて作った氷を仕入れ、冷凍庫に保管して顧客に直接配達している。

氷雪販売業をはじめて75年。ちょうど憲男さんが生まれた年からのスタートだった

純度と品質に自信あり

商品は、おもに角氷と砕氷。氷は「一貫、二貫」(一貫=約3.75㎏)を単位として数え、32貫の角氷120㎏を角氷として販売する。砕氷とはかち割り氷やクラッシュアイスのように、あらかじめ砕いた氷のことをいう。

一貫目の氷のサイズ(26㎝×13㎝×13㎝)はだいたいティッシュケースふた箱分

作り方を聞くと、専門の工場で32貫の鉄製の氷缶に、ろ過して不純物を取り除いた純水を注ぎ、マイナス約20度の塩化カリウム溶液を流したプールで約48時間凍らせるのだとか。超低温で二昼夜かけてゆっくりと凍らすことで、キメが細かく、硬く、溶けにくい、きれいな氷ができる。

「製氷会社が作る氷は、やっぱり純度が高い。家庭の冷凍庫とは質が違いますわな。皆さんすごいきれいな氷といわれますが、それが私らの扱う氷の質です」品質の高さは、田島さんにとってはごく当たり前のことなのだ。

柿の渋抜きにドライアイスが重宝するため、干し柿作りのシーズンは店頭に買いに来る人も多いという
 

「昭和30年代の初めは、まだ木箱の中棚に氷のかたまりを置いて、溶けた水をパイプで流しながら冷やすような旧式で、氷がないと食べ物を保存できませんでした。その頃は忙しくてね。私も中学生の夏休みには、配達の手伝いをしたもんです」

当時は水島だけでも製氷所や販売店が数軒あったが、今や倉敷市内には田島商店だけ。岡山県内にさえ数軒しか残っていないそうだ。

冷蔵庫の普及が売上に影響

水島コンビナートへ物資を運ぶルート県道188号線、通称「産業道路」沿いに店を構える

昭和40年代に入ると、氷の需要は一変した。家庭用の電気冷蔵庫が開発されたからだ。50年代に入ると一般家庭にも普及し、「電気冷蔵庫を買ったから、もう明日から氷はいいわ」と断られるケースが増えていった。

個人の注文が減った一方で、昭和45年から水島コンビナートの工場建設ラッシュで、工事現場や現場事務所からの氷の注文が入り始めた。「閉業した店が多かったから、電話帳で探して注文してくるお客さんもいてありがたかった。それでうちも息を吹き返したんです」

工場が建設され人が増えたことで水島地区の飲み屋街は賑わい、バーやスナックからの受注も増えた。すぐに水割りやロックが作れるよう、あらかじめカチ割りにした「砕氷」も重宝がられた。「昭和40年から60年代頃がうちの売上もピークやったね」と、田島さんは当時を懐かしむ。

大学卒業後、東京から帰郷し氷屋を承継

憲男さんが会社を継いだのは、事業が軌道に乗っていた60年代後半だった。後継ぎの話が出始めた頃、すでにふたりの兄は一般企業に勤務していた。「60歳を過ぎた父親の忙しそうな姿を見ていたら、誰かが手伝わんとなぁと心配はしていました」ちょうど東京の大学を卒業した末っ子の憲男さんが、帰郷して事業を継ぐ成り行きになった。

「氷屋を続けるのに、難しい条件も特別な資格もいりません。ただ冷たくて滑りやすく、すぐ溶けてしまう氷の扱いは、時間との勝負。テキパキと動けて体力があればできる仕事です。難しい条件はいらないですが、お客さまや社員との信頼関係が大事ですね」

200軒以上の顧客を抱え、仕事も好調だったため、承継後も格別苦労はなかったという憲男さん。バブル景気後は学校や地域のイベントが増え、地区や学校主催の夏祭りで販売するかき氷用の氷の注文でますます多忙になった。「祭りの場合は数がまとまるし、氷の量も予測が立てやすいから助かった。従業員とアルバイト総出で手分けをして配達していました」

創業当時から変わらずこの場所で氷の配達を営んでいる

むしろ現在のほうが状況は厳しいと、腕を組む憲男さん。かつては「町の氷屋さん」として親しまれていた存在だったが、家庭用冷蔵庫の普及や業務用の自動製氷機の導入が進んだ今は、業務用販売のイメージで見られることも少なくない。

「今はどこでも氷を売ってるじゃないですか。スーパーやコンビニに行けば個包装された氷があるし、冷蔵庫でも製氷ができるようになった。その影響は少なからずあります。」追い打ちをかけるようにコロナ禍で祭りやイベントの中止が続いたこともあり、現在は多角化としてドライアイスや灯油の販売を手掛けるほか、店舗の一角で古書の買取・販売も始めた。

歴史・美術・文芸書など専門書を中心に約1万冊を揃える。ネット書店「春秋書林」も運営

必要とされる限り氷を届けたい

時には、ホテルのレストランやパーティ会場から氷の彫刻用の氷柱の注文があったり、大型商業施設から大口注文が舞い込んだり、停電時にコンビニエンスストアから至急の注文が入ることもあるそうだ。

「どんな状況でも、イベントや商売で使いたいとか、配達してくれて便利だからって贔屓にしてくれるお客さんが途切れないのはありがたいことです。閉業した同業者さんからお客さんを引き継がせてもらったことで今があるんです。必要としてくれるお客さんがいる限り、仕事は続けたいし今後のことも考えていきたい」光を受けてきらきら輝く氷を見つめて語ってくれた。


絶対に残したい!倉敷・高梁川流域のお店 : 創業75年の氷雪販売業者「田島商店」

※本記事は後継者を募集するものではありませんので、直接事業者様にお問い合わせされることはお控え下さい。