全国シェア1位を誇る児島の学生服を、『手のみ』の技で支える。柄物に特化した裁断業を営む「天野裁断」 | ニホン継業バンク
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2022.11.15

全国シェア1位を誇る児島の学生服を、『手のみ』の技で支える。柄物に特化した裁断業を営む「天野裁断」

〈 この連載は… 〉

岡山県西部を流れる高梁川流域の10市町には、ここにしかない味や技術、長年愛されてきたお店がたくさんあります。しかし、それらは、後継者不在を理由に少しずつ姿を消してしまうかもしれません。この連載では、市民のみなさんから「絶対に残したい」と応援の声が寄せられた事業を営む店主に、仕事に対するこだわりや思いを伺います。

取材・文:中原あゆ子 写真:bless小野友里恵 編集:中鶴果林(ココホレジャパン

足袋作りから伝わった技を応用

紺やベージュのブレザーに、チェックのズボンやスカート。かつて黒い詰襟やセーラー服だった中・高校生の学生服は、今やファッション性の高いデザインが主流になっている。年々多様化する学生服の一大生産地として知られる倉敷市児島地区で、柄物に特化した裁断業を営んでいるのが、「天野裁断(てんのさいだん)」だ。

児島の繊維業の起こりは江戸時代にさかのぼる。塩分を多く含む土地は米作に向かず、塩に強い綿花の栽培が盛んになったことで、真田紐(さなだひも)や小倉繊(こくらおり)、足袋などが生産されるようになった。足袋の技術を応用して学生服の生産が始まったのは、大正時代の終わり頃。1960年代以降は学生服や作業服の生産はますます活発になり、地域ぐるみの分業が進んでいった。

鷲羽山のふもとの集落に「天野裁断」が創業したのは、高度成長期真っ只中の1970年代。現社長・天野義則さんの義父・司さんが立ち上げた。当初は紳士服メーカーの仕事を請けていたが、10年間裁断技術の修業を積んだ義則さんが35歳の時に会社を受け継いだ。

天野義則さん。1963年生まれ。手のみ裁断の技術を極めて24年目になる

機械だって、人の手には勝てない。

天野さんと妻・恵子さんは、児島に長年伝わる「手のみ」裁断の技術を持つクラフトマン。「手のみ」とは、手の平ほどの特別な「のみ」を使い、型紙に沿って生地を直接裁つ技術のこと。大正時代まで児島で盛んだった足袋作りの技術を活用したといわれているが、今では児島にも数えるほどしか職人がいない。特に若い職人が育っていないのが深刻な課題となっている。

「機械って速く見えるんじゃけど、人間の力にはかないませんよ。この柄合わせというのは人間の目で見んとね」。コンピューターで設計するCADを使っても格子柄の線や曲がった生地を合わせるのは難しく、人の目で確認しながら「手のみ」裁断するほうが、ずっと正確で速いのだという。

手のみ裁断をすることで、生地のロスも減らすことができる

無地の学ランからチェック柄へ

柄物に特化していったのには、天野さんの先見性があった。裁断技術修行中の5年目、ちょうど1980年代の半ばに、チェックの衣装でデビューしたバンド「チェッカーズ」が大ブレイクした。

「チェッカーズさんの人気をきっかけに、チェック柄の制服が登場しましてね。これからチェックの学生服が増えるんじゃないかと直感しました」と話す

そこで柄物、特にチェック生地の学生ズボンをメインに受注するよう方針転換したところ、予想は的中。以後、学校別のデザインや有名デザイナーによるブランド学生服も普及し、チェック人気は右肩上がりに。ジェンダーレス制服の流れもあり、注文は引きも切らなくなった。

受け継いだ技をさらに磨く

自宅2階の作業場では、天野さん夫妻と4人の従業員がてきぱきと仕事に取り組んでいる。天野さんは、受け継いだ技に甘んじることなく、ここで日々、技の改良を試みてきた。生地を伸ばした上に型紙を置くが、通常は、生地がずれないように針を打つ。しかし、天野さんはその「針刺し」という手順を踏まず、長年の感覚をもとに手裁ちすることで、手間と時間を省いた。

経験と勘を大切にしなが日々新しいやり方に挑戦するなど、研究することを怠らない

生地を最も効率よく取れるよう型紙の配置も工夫している。いかに速く、正確に裁断できるかを考えながら工程を変えたり、また戻したり。「3、40年前と同じことをやっていては時代に取り残されるのでね」。まだ満足はしていないというような表情で、義則さんは首を横に振る。

学生服業界のため、進化し続ける

義則さんが使う「のみ」は、手に合うように自転車チューブを巻き、自分で研いでメンテナンスする。「包丁と一緒で、使う人によってクセがあるんです。握り方や強さ、刃の薄さや角度に好みもある。だから手入れは全部自分でやります」。また、体の向きを変えなくて良いよう、両手で同じように「のみ」を使えるように鍛錬も積んできた。そうした熟練の技術が、スピードや品質につながっているのだ。

天野さんの「手のみ」。力を入れすぎても刃が折れてしまうなど、絶妙な力加減が必要だという

「うちの技術を残してほしいと言ってくださる人がいるのはありがたいことです。1枚でも多く、1時間でも速く商品を納めようと、急な発注にも応じてきたことが信用につながったんでしょうか」と天野さんはあくまでも謙虚に話す。

信頼と実績がベースにあってのことながら、ニッチな分野だけに仕事には事欠かないという。技術を磨けば、かなりの収入も見込めるそうだ。「収入は普通に勤めるよりはいいと思いますよ。じゃけどお金の問題じゃなく、布を切らんことには、服づくりは始まらないからね」

熱意とバイタリティのある人、来たれ

天野さんは、この技術をなんとか伝えたいと真剣に育成を考える。「高額な機械を導入するのもいいですが、技術を伝えなければ、あと3年で児島で作る学生服はなくなってしまう。若い世代の彼ら、彼女らに技を伝えるのが、僕らの役目かなと思って」

「手のみ」裁断士になるための資質を問うと、

「性別や体力は関係ありません。手先が器用で、やる気とバイタリティがあれば。男性、女性というのは関係ないですね」ときっぱり。「習得に3年、5年と時間がかかるからこそ、自分たちが教えられるうちに伝えたい。技を持つ若い人を育てて、長年お世話になったメーカーさんに恩返ししたい」と何度も繰り返す天野さん。

「児島の学生服の活性化の助けができるのであれば、ぜひとも協力していきたい」と技術の継承には前向きだ

ここ数年は休みがないほど多忙を極めているため、「できりゃあ早く引退したい」という本音もぽろり。「メーカーさんのご要望に精一杯応えようと思ったら、とても休めませんよ。でも、若い職人さんが増えてくれたらね」と、恵子さんと顔を合わせて目を細める。「もし引退したらとりあえず家でゆっくりしたいね」と夫婦ふたりで口を揃えて笑った。


絶対に残したい!倉敷・高梁川流域の技 : 児島に長年伝わる「手のみ」裁断の技術

※本記事は後継者を募集するものではありませんので、直接事業者様にお問い合わせされることはお控え下さい。